女神覚醒
(3)

 姫野は、この未練を残した魂たちが集まる場にきて、はじめてそれを知った。
 彼女の本来の未練の塊は、「柚巴の幸せ」ただそれだけだった。
 だけど、事実を知ってしまってからは、それは少し違うかたちへと変化してしまった。
 破滅を身に宿した王子が誕生する時、それを浄化する女神が現れる。
 奇跡の女神・ファンタジアは、世界の危機を回避するために現れる。
 だから、奇跡とともに恐怖の象徴とされてきた。
 ファンタジアそのものが恐怖なわけではない。
 彼女が現れるのは、決まって恐怖の場だから。
 そして、そこで奇跡を起こす。
 思いの力で――
 姫野の前に現れた不思議な天使のような男が、そう告げた。
 そして、柚巴と世凪にふりかかった、その悲しい運命を。
 だから、姫野の未練は、変化してしまった。
 ……少し、ゆがんだかたちへと。
 二人の幸せのため、二つの世界を巻き込んだ。
 それに、不思議な男は、ほんの少し、手を貸してくれた。


「あなたたちは、めぐり会うべくしてめぐり会った。そして、その二つの魂が触れ合った時、歯車がまわりはじめるの」
 胸にもどった柚巴をしっかりと抱きしめる世凪に、姫野はその言葉を贈る。
 それが、すべてのはじまりで、そして、終わりだから。
 ……いや。まだ終わりなどではない。
 まだまだ、未来は遠く続いていく。
 今は、その一つの過程にすぎない。
 二人の物語は、まだはじまったばかり。
「それは……最高神・シュテファンの……」
 そのぬくもりを独り占めするかのように世凪の胸の中におさまる柚巴が、ぽつりとつぶやいた。
 いつだったか……世凪と出会った頃、どこかでそのような言葉を聞いたことがある。
 今は、それが最高神・シュテファンのものだとわかるけれど、あの時はわからなかった。
 そして、その言葉は、再び、柚巴のもとへとやってきた。
 それが、示唆するものは……?
 姫野は、柚巴のその言葉に、ただにっこりと微笑むだけ。
 言葉にしなくとも、それが本当を告げている。
 まわりだした歯車は、とまるその時まで、まわり続ける。

 世界は、誰かが誰かを思う、その思いでまわっている。
 誰かが誰かを思う気持ち、それは、何よりも強大な力。
 それを、二人に……そして、ここにいる全ての者たちにわかって欲しかった。
 信じていれば、奇跡は起こるのだと。
 出会うはずのなかった異なった世界の者たちが、こうしてこの場にともにいること自体が、奇跡の一つなのだと――


 もう荒ぶる神も破滅の申し子もいない世凪に、姫野はこっそりと耳打ちする。
 ごろごろと、まるで子猫のように柚巴を堪能しはじめる、その王子様に。
 世凪の狂気は、一瞬にして、ファンタジア……柚巴が、浄化してしまった。
 その存在だけで。
「そうそう。あのキスは、本当にはしていないから、安心してね。王子様」
 それだけを告げ、ゆっくりと顔をはなしていく。
 そして、にっこりとさわやかな微笑みを贈る。
 ほら、それだけで、王子様は取り乱してしまう。
 それが、本来あるべき姿。
 彼らの、幸せの構図。
 柚巴を取り戻しただけで、世凪の心は凪いでいく。
 柚巴が傍らにいれば、もう破滅に魅入られしその魔物は現れることはない。
 世凪は柚巴のために存在し、柚巴は世凪のために存在している。
「柚巴が幸せなら、わたしはあなたたち二人を祝福するわ」
 するりと、柚巴と世凪から、姫野は体をはなしていく。
 そしてそこでまた、にっこりと微笑む。
 どことなくあどけないその微笑みが、柚巴と母子なのだと告げている。
 ……不安要素は、全て取り除いた。
 それに、この二人は打ち勝ってくれた。
 ならば、もう何も言うことはない。
 あとは、二人が一歩ずつ幸せに向かって、歩いていくだけ。
 ともに、手を取り合って。
「ずっと、あなたたちを見守っているわ」
 少し淋しげにそう微笑みながら、姫野の姿は薄れていく。
 それに、柚巴は反応し、その胸へと再び駆け込もうとしたけれど、それは、世凪が体全てを使い阻んだ。
 それだけは、してはいけないと。
 本来ならば、触れ合うことのできない存在なのだから。
 世凪にも、その思いがわからないわけではない。
 世凪もまた、幼い頃、愛しい母親を亡くしているから。
 だけど、だからこそ、柚巴を知り、これほど愛せたのだと、今ではそう思える。
 母の死がなければ、柚巴を愛することはなかったかもしれないから。
 まっすぐにその薄れていく姿を見つめる柚巴の瞳からは、ぽろぽろと涙があふれだす。
 それを、世凪がそっとぬぐってやる。
 柚巴と世凪、そして使い魔たちが見守る中、一人の人間の女の姿が消えていった。
 光の粒となって、空高くのぼっていく。
 一つの魂が昇華された瞬間だった。
 悲しいけれど、苦しいけれど、柚巴は、それをちゃんと見届けなければならない。
 見届けてこそ、柚巴もそれに打ち勝つことになるから。


 それから、一体、どのくらい時間がたった頃だろう。
 正確には、それほど時間はたっていなかったかもしれない。
 ひとしきり泣き終えた柚巴が、世凪の胸の中で、みじろいだ。
 そして、まっすぐに世凪を見つめる。
 汚れないその瞳が、世凪の姿をはっきりと優しく映す。
 これでこそ、柚巴。これが、柚巴。
 世凪の大切で愛しい、柚巴。
「……世凪、全部見ていたよ。そして、ちゃんと受けとめたよ」
 そして、ぽすっと、また胸に顔をもたれかける。
 この世の全ての幸せを手に入れたように。
 この場所があるだけで、柚巴は幸せになれる。
 その幸せを十分に満喫し、そして決意ができた頃、柚巴は世凪の胸の中から抜け出していた。
 その行動を、世凪も、使い魔たちも、不思議そうに見守る。
 一体、これから、何をしようというのだろうか。


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update:06/11/15