華久夜の憤り

「ねえ、華久夜ちゃん、前に言っていたよね? 世凪が大嫌いだって。それって、たしか……」
 ぽかぽかとあたたかな陽が降り注ぐ、限夢界の城下のとある屋敷の庭に面したテラス。
 そこでの、女性三人の優雅なお茶会の席で、突如、そのような話題が持ち上がった。
 カチンと小さな音を立て、限夢界でも一級品の茶葉、姫君の憂鬱という意味を持つ、ティックルという茶葉で淹れたお茶の入ったティーカップをソーサーの上にのせ、柚巴はじっと華久夜を見つめた。
 お茶はまだ、半分ほどしか減っていない。
 柚巴は、もうずっとずっとそれが聞きたくて仕方がなかったとでも言うように、華久夜を見つめている。
 もちろん、柚巴の言葉を聞いた瞬間、華久夜は、これみよがしに思い切り嫌な顔をしていた。
 うげろと、かわいらしい、だけどどこか大人びた顔をゆがめる。
「こんなお天気のいい日のお茶の席で、そんなおぞましい質問をしないでくれる?」
 哀愁を漂わせ、華久夜は、ふうっと遠い目をする。
「え……?」
 華久夜のどこか悟りきったような雰囲気は、逆に柚巴を動揺させた。
 柚巴は、多少焦りながらも、どうしても興味が先立つとばかりに、華久夜にきらきらと期待に満ちた視線を注いでいる。
 そんな柚巴にやはり華久夜は半分呆れながら、諦めたようにため息をついた。
 そして、ちらっと視線を送る。
「……わかったわ。話してあげるわ。わたしと世凪の出会い。……ああ、もう本当、思い出しただけで腹が立つわ!」
 華久夜は、持っていたティーカップをがちゃんとソーサーの上に置いた。
 あまりにも力強く置いたためか、同時に、まだ少し残っていたティックルのお茶が飛び散った。
 飛び散ったしずくは、真っ白なテーブルクロスを、円を描くようにじわじわと褐色に染めていく。
「そ、そんなに?」
 華久夜の迫力に、柚巴は面食らったように華久夜を凝視する。
「ええ、そんなによ!」
 先ほどまでティーカップを持っていたその手をぎゅっと握り締め、わなわなと震えはじめた。
 華久夜のそんな怒りに比例し、華久夜のふわふわの金の髪は、生き物のように意思を持って動きはじめる。
 華久夜の兄、莱牙に言わせるところの、メドゥーサ華久夜の出来上がりである。
 そして、そんな莱牙同様、余計な一言で華久夜の怒りをあおる者がここにも一人いた。
「たしか……華久夜さまは、世凪に出会った時、ブ……」
 紗霧羅はそう言いかけると、問答無用で華久夜に口をふさがれた。
 ばちんと乾いた音がしたかと思うと、紗霧羅の口は、小さくかわいらしい華久夜の手に覆われていた。
「それ以上は言わないで!」
 そして、ぎらりと鋭い光を発する華久夜の眼差しが、紗霧羅に向けられる。
 紗霧羅は、とりあえず自分の口にある華久夜の手をどけながら、呆れたようにつぶやいた。
「はい……」
 そして、はあと大きなため息をもらす。


 それは、今からほんの一年前のこと。
 城下から少しはずれたところに、それはそれは美しい花畑があった。
 年中無休で、その花畑はいつも花を咲かせている。
 いつ行っても満開なのである。
 限夢界にももちろん四季というものがあり、季節のめぐりは人間界のそれとたいして差はない。
 ただ、限夢界に生きる植物は、さすがといおうか、人間界のそれに比べて、生命力が豊かすぎるほど豊かなので、季節を問わず、花をつけることが可能なのである。
 華久夜は、いつものように莱牙を脅し、その花畑へ連れて来てもらっていた。
 もちろん、華久夜一人で来ようと思えばこれるのだが、それは莱牙にきつくとめられている。
 普段から、莱牙に口うるさく、一人で街に出るなと言われている。
 その理由に華久夜も薄々気づいていたので、とりあえずは莱牙の言うことをきいている。
 また、言うことを聞いておかねば、あとあと面倒なことになることも心得ていた。
 それが莱牙にばれた時、何十分、何時間と説教を食らうはめになる。
 別に莱牙の説教など怖くはないが、説教にたまりかねた華久夜が爆発し、屋敷をたいていは半壊以上にぶっ壊してしまうので、それについてのおこごとを何故だか莱牙が食らう。
 その間、莱牙で遊ぶことができず暇を持て余すことになるから、華久夜は、極力、そうならないように勤めていた。
 といってもやはり、それはしばしば繰り返されているのだけれど……。
 何しろ、じっとしていられない性分の華久夜は、すぐに暇を持て余し、やっぱり莱牙にちょっかいをかけ、屋敷の破壊行動へ移ってしまうのだから。
 よって、華久夜は、「じゃあ、お兄様も一緒ならいいでしょう?」とそのようなことを言って、屋敷の外に出る時は半強制的に莱牙も同行させていた。
 そうすると、莱牙のお小言による破壊活動はとりあえず未然に防ぐことが、少しは可能になるから。
 この花畑は、はじめて莱牙とともに外へ出た時に連れて来てもらい、それ以来、華久夜のお気に入りの場所となっている。
 そして、ここが運命の場所でもある。
 世凪と出会った、あの最悪な運命の――


「もう。お兄様ってば、寝ちゃったの?」
 この花畑へやってくると、いつものようにさっさと昼寝を決め込んでしまった莱牙を見下ろし、華久夜はぷうっと頬をふくらませた。
 木陰で、すやすやと気持ち良さそうに昼寝を楽しむその姿を見てむっとした。
 やはり、一人で遊んでもつまらない。
 そんな莱牙を見ているのも、本当は嫌いじゃない。
 しかしやはり、華久夜がそんなに長い間じっとしていられるわけもない。
 莱牙の寝顔をじっと見ていた華久夜だけれど、ふと何かに気づいたようにぽんと手を打つと、にやりと小悪魔な表情を浮かべた。
 華久夜がこのように微笑む時に、よいことがあったためしはない。
 すぐ横にはえていた一輪の小さな真っ白い野花を、ぷつっと摘みとる。
 そして、目を三日月状に変形させ、にたりと微笑む。
 同時に、華久夜の手にあった野花が、莱牙の紫色の髪にそっと飾られた。
 透けるような紫色の髪に、真っ白の野花はよく映える。
 木陰とはいえ、さんさんと降り注ぐ太陽の光は、莱牙の髪も野花も、きらきらと照らしている。
「お・し・お・き・よっ」
 華久夜は楽しそうにそう言って、つんと莱牙の額をつつく。
 そして、るんるんと鼻歌を歌いスキップなどをしながら、花畑の中へ姿を消していった。
 華久夜が花畑に消えた後も、もちろん莱牙の髪には、さわやかな風に吹かれる小さな真っ白い野花が飾られてある。


 莱牙にちょっとしたおちゃめないたずらをし、華久夜が花畑の中心に来た時だった。
 いきなりどしんと音がし、華久夜の前に妙な赤と黒の色をした物体が降って来た。
 華久夜は何が起こったのかわからず、目を白黒させている。
「……ちっ、失敗か」
 その赤と黒の物体からそう声がもれ、その物体はむくっと高さを増す。
 よくよく見れば、その物体は人のかたちをしていた。
 立ち上がった瞬間、ふわりと揺れたその長い髪は、まるで鮮血のように鮮やかな赤をし、さらさらと華久夜の目の前を流れた。
 世界が、一瞬、赤く染まったような錯覚を覚えた。
 それと同時に、漆黒の闇に包まれたような感覚にも陥った。
 真っ赤な髪と同時に、黒色のマントが宙を泳いでいたから。
 長く鮮やかな赤い髪の、黒色のマントを身にまとった男だった。
 年の頃は、兄の莱牙とそうたいしてかわらない。
「な、な、なんなの! あなた……!!」
 いきなりの奇妙な男の登場に、華久夜は慌ててそう叫んでいた。
 すると男は、面倒くさそうに華久夜に視線を落としてきた。
「……お前には関係ないだろ。さっさと消えな、ブス!」
 その男ははき捨てるようにそう言うと、またすっと景色に消えていった。
 色とりどりの花畑の中に、赤と黒がとけ込んでいった。
 華久夜はしばらく、呆然とその男が消えた場所を見ていた。
 そしてようやく我に返り、はっと気づく。
 もちろん、華久夜が呆然としていたのは、消えたその男に驚いたからでも見とれていたからでもない。
「な、なんなのよ! 今の男は!! ブスって一体誰が? まさか、このわたしじゃないでしょうね!? わたしは、限夢界一の美少女、華久夜さまなのよ! 信じられないわ。まったく失礼な男ね!! 言い捨てなんてずるいわよ! 瞬間移動なんか使って……!!」
 華久夜は爆発した。ぼんと、頭から湯気が立ち上る。
 先ほど呆然としていたのは、そんな聞きなれない暴言に、思考回路を停止させてしまっていたから。
 まあ、聞きなれないとは、あくまで華久夜の言い分ではあるけれど。
 そして、誰かが華久夜を美少女と言ったことがあるかどうかについては、決して触れてはいけないことである。
 そこで華久夜は、この怒りをおさめるには、これはもう莱牙いじめしかないとふみ、急いで莱牙のもとへ駆け戻った。
 だかだかだかと花を踏み散らし、一目散に莱牙のもとへ戻る。
 すると、もうすでに莱牙は目を覚ましており、手に一輪野花を持って、駆け寄る華久夜をじっとにらみ、帰りを待っていた。
「華久夜! これは何だ!?」
 莱牙は華久夜が戻ってくるとすぐに、花をつきつけそう怒鳴った。
 ぎろりとにらみつける。
 しかし、莱牙のにらみが華久夜に通じるはずもなかった。あっさりとかわされる。
「うるさいわね! わたしは今、とっても機嫌が悪いのよ。痛いめをみたくなければ黙っていなさい!」
「華久夜、てめっ……」
 莱牙はぎゅっと花を握り締め、ふるふると体を震わせはじめる。
 そんな莱牙に、「お黙り!」とでも言うように、華久夜の夜叉のようなにらみが入る。
 そしてもちろん、彼女のふわふわの金の髪も意思を持ちはじめる。
 そうなっては、もう莱牙も華久夜に太刀打ちできない。いや、下手に怒らせては命が危険にさらされるので、ここはもうおとなしく縮こまるしかない。
 ぐっと怒りをこらえる。
 すると、とたんに華久夜の怒りもふっと消えていった。
 ふわふわの金の髪も、莱牙の首に巻きつくことなく、もとのように落ち着きを取り戻す。
「――ねえ、それよりお兄様。知っているかしら?」
 華久夜は、少し考えるようにぼそりとつぶやいた。
「何を?」
 莱牙は、ひとまずは怒りがおさまったとはいえ、まだ安心はできないので、少しびくつきながら答える。
 もちろん、それでも不機嫌のアピールは怠らない。
 しかし、華久夜にとってはそんなことはもうどうでもよいことだった。
 さらりと莱牙を無視して、自分の用件を話す。
「まるで血のように真っ赤な長髪で、真っ黒なマントを身にまとった男……」
「はあ!? それは、世凪のことか?」
 華久夜のそんな情報の足りない言葉に、莱牙はすぐに答えを用意した。
「世……凪!?」
 不機嫌な顔をさらに不機嫌にして嫌そうに出したその名に、華久夜は怪訝に首をかしげる。
 すると莱牙は、さらに嫌そうに顔をゆがめ舌打ちした。
「ああ、世凪。あいつなら有名だぞ。……まさかお前、あいつに会ったのか!?」
 莱牙は華久夜の腕をつかみ、迫る。
 赤髪長髪、黒マントといえば、この限夢界で知らない者はいないといわれている、あの男しかいない。
 あの、とんでもない男しか……。
 王のその力をも凌ぐとさえいわれている、あの恐ろしい男、世凪。
 そんな男に、華久夜は会ってしまったというのだろうか。
 莱牙は、それまでの怒りはどこかへすっ飛び、多少焦ってしまった。
 世凪に会って、よく無事ですんだものだと胸をなでおろしてもいた。
「え、ええ……。もしかして、その世凪って男、すごく有名なの?」
「……」
 莱牙のあまりもの迫力に、華久夜は多少どぎまぎとしながら首をかしげる。
 しかし、莱牙は何やら考えこんでしまったらしく、華久夜の問いかけに答えようとしない。
 とても難しそうな顔をしている。
 そんな莱牙はあまり見たことがないので、華久夜は多少、動揺しはじめてしまった。
 そんなに大変な男と会ってしまったのだろうかと……。
「お兄様?」
「有名だ。……あの男はとんでもない奴だ。二度と近づくなよ」
 莱牙はそう言うと華久夜の腕をつかみ、その場から華久夜とともにすっと姿を消した。
 華久夜を連れて、そのまま屋敷へと戻っていく。
 こんなところに長居は無用とばかりに。
 そして、華久夜はその後すぐに、はじめて、あの世凪のとんでもない噂を耳にすることになる。

 これ以来、華久夜はこの花畑には決して近づこうとしない。
 ここはもう、莱牙との楽しい思い出の場所から、悲しいことに、腹立たしいだけの場所と成り下がってしまったから。
 あの時、世凪とさえ出会わなければ……と思っても、出会ってしまったものはもう遅い。


 世凪との出会いを語り、そして昔の怒りを思い出し憤っている華久夜の横で、紗霧羅がぼそりとつぶやいた。
 もちろん、その顔は完全にあきれ返っている。
「なんともおそまつな出会いで……」
「世凪らしいといえば、世凪らしいね……」
 紗霧羅に続け、柚巴までもふうっとため息をもらし、憤る華久夜に冷めた視線を送る。
 柚巴と紗霧羅は、とりあえず、憤慨する華久夜は放っておいて、二人で、このぽかぽか陽気の中のお茶会の続きをすることにした。
 こうなってしまった華久夜は放っておくに限ることを、よく承知しているから。
 ただ、その要因をつくることになったのが柚巴の発言だったということが、きれいさっぱり彼女たちの頭から抜け落ちていたということは、ある意味、問題かもしれないけれど。


 その後、一年の時を経て、華久夜はあの莱牙との思い出の花畑へ、また行くことになるだろう。
 華久夜のお気に入りの二人の女性を連れて――


華久夜の憤り おわり

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update:03/11/25