茅、戸惑う
(1)

 ガシャン……。
 華久夜は驚きのあまり、持っていたティーカップを落とした。
 足元には、割れたティーカップと、絨毯ににじみ広がるティックルで淹れたお茶。
 ティックルは、華久夜のお気に入りのお茶である。
 外はあいにくの雨模様。
 そして、華久夜に、それににつかわしく、今、雷が落ちたような衝撃がはしった。
 いつものように暇故に一通り暴れて、そして屋敷の三分の一を破壊した直後のティータイム。
 もちろん莱牙は今、別室で父親からおこごとをもらっていることだろう。
 しかし華久夜には、そんなものはどうでもいいこと。
 今大切なのは、そんなことではなく……。
「華久夜さま、何していらっしゃるのですか!?」
 華久夜が床に落とし割れたティーカップを片づけながら、怪訝な顔で一人のメイドが華久夜を見上げた。
 他のメイドたちもまた、訝しげな表情を浮かべつつ華久夜を見ている。
 先ほどまでティーカップを持っていた手が、ふるふると震えていたから。
 そしてもちろん、華久夜のその表情も、尋常ならざる怒りの表情……。
「……うるさいわね。――それよりも、今の本当?」
 にくらしげに、かすれた声でつぶやく。
「はい……。城下では有名ですよ。世凪は……」
 華久夜が、今ご機嫌ななめなのはメイドたちも承知しているので、華久夜の怒りにはさして気を払っていないようで、さらりと答える。
 カチャカチャと割れた破片を拾い上げ、そのままその場を後にする。
 そして、別のメイドが話を続けた。
「世凪といえば、その名を限夢界に轟かせる問題児ですわ。神出鬼没で破天荒。世凪と目を合わせると無事ではすまないと、忌み嫌われ、そして恐れられているのです。……それで、どうして華久夜さまは世凪を……?」
 華久夜はその問いには答えず、ただじっと考え込む。
 その様子を、不思議そうにメイドたちが見ていた。
 どうやら華久夜は、メイドたちに世凪の話を聞いていたようである。
 華久夜の大好きな花畑を、たった一言で大嫌いな場所に変えてしまった、あの世凪の話を……。
 世凪と出会って、数日後のことだった。


「こら、華久夜。走るな!」
 少し顔を上げ、まっすぐ前を見ると、霧にかすんだような王宮が見える。
 限夢界、限夢宮。
 そこには、この世界を支配する王、限夢王がいる。
 そんな王宮のある城下の表通りを、華久夜はいつものように、ドレスのすそをふり乱し駆けまわっている。
 華久夜が屋敷の外から出る時は、たいていは莱牙と一緒である。
 「街は危ない」「一人で出かけるな」そんなことを、耳にタコができるほど莱牙に聞かされている。
 そして、一人ででかけたことが莱牙に知れると……屋敷のいくらかを破壊してしまう兄妹喧嘩がはじまる。
 その後は、もういつもの一途をたどるのみ。
「だってお兄様。お兄様がわたしを街へ連れてきてくれるなんて珍しいもの」
 莱牙に声をかけられ、つんとすました顔で華久夜は莱牙に振り返った。
 その拍子に、また華久夜のふわふわのドレスの裾がひらりと舞う。
 もちろん、華久夜のその言葉には、莱牙に対してこめられるだけの嫌味がたっぷりこめられている。
「まったく……」
 華久夜のいつもの不遜な態度に、莱牙はぼやきながらも柔らかな表情を浮かべた。
 そして、振り返ったままそこに立っている華久夜へと、一歩足を踏み出す。
 華久夜が、莱牙が追いついてくるのを待っていたから。
 その時だった。
 いきなりの喚声に、華久夜はびくっと体をふるわせた。
 通りの向こうから、何やら心地よいとはいえない人のざわつく声が聞こえてくる。
 もちろん、華久夜はそれに興味を示し、そちらの方へ行こうとくるりと体を翻した。
 同時に、やっぱり華久夜は、当たり前のようにその首根っこを莱牙につかまれていた。
「きゃっ! 何するのよ、お兄様!」
 華久夜は、ぎんと莱牙をにらみつけ、莱牙の手を放そうともがく。
 しかし、いくら華久夜とて、自分の背後に手をまわし、その体勢で莱牙に抗おうとしても、簡単に逃れることはできない。
 ぐるりと顔を後ろへ向け、悔しそうにまた莱牙をにらみつける。
 しかし莱牙は、悠然とした顔で華久夜を見下ろしていた。
 それがまた、華久夜の癪に障る。

 そうはいっても、結局こうなってしまうのがこの兄妹。
 やはり莱牙が華久夜のわがままに負け、二人は騒ぎの渦中へとやって来ていた。
 といっても、さすがにそこへ連れて行くことなどできないので、少し遠巻きにその様子を眺めるだけといって、真っ只中へ行きたがる華久夜の首根っこを莱牙は再びつかんだ。
「こらこらこら〜。これ以上は駄目だ」
 半分呆れ顔で、両手両足をばたつかせ暴れる華久夜をとめる。
「ああ〜っ!!」
 いきなり、華久夜が、(くう)を引きさかんばかりの大声を上げた。
 キーンと莱牙の耳を突き抜ける。
「な、なんだ!?」
 あいているもう一方の手で耳をおさえながら、顔をゆがめ、華久夜の顔をのぞきこむ。
 のぞき込んだ華久夜の顔は真っ赤で、目はつりあがり、口をぱくぱくとさせていた。
 華久夜の右手はすっと上げられ、前方を指差している。
 それで、莱牙はさらに華久夜の叫びの意味がわからなくなり、とりあえず華久夜の指差す方へと視線を移した。
 するとそこには、鮮血のような赤い髪を持つ噂の男、世凪がいた。
 人だかりの隙間から、わずかにその鮮やかな赤を見てとれる。
 鮮やかな赤い長い髪。
 それだけで、この城下では、この世界では、それが世凪を意味すると誰もが知っている。
 世凪は、それほどまでに限夢界中に知られる者だから。
 もちろん、悪い意味で、である。
「なんだ、世凪か……」
 華久夜の反応から何事かと思ったが、案外普通なものがそこにあったので、莱牙はさらりとそうつぶやいた。
 この城下に世凪がいることなど、別にこれといって珍しくはない。
 世凪は城下を根城に、気が向けば暴れまわっているような、そんな迷惑な男なのだから。
「まったくあいつは、また騒ぎを起こしているようだな……」
 結局、この騒ぎの原因は、ごくありふれた世凪が巻き起こしたことだとわかり、莱牙は拍子抜けし、華久夜の首根っこをつかんだまま踵を返そうとする。
「あの男……。許さない!」
 身を翻そうとした瞬間、するりと莱牙の手から抜け出し、脱兎の如く、華久夜は騒ぎの中へ駆け出していた。
「こら〜! 華久夜!!」
 もちろん莱牙は、無鉄砲にも世凪へと突っ込んでいく華久夜の後を慌てて追う。
 この時の莱牙の気持ちを代弁するなら……「もう、こんな生活、嫌!」というところだろうか?
 いつもいつも、この無鉄砲な小悪魔に振りまわされ、莱牙の生活はかき乱されている。
 恐れを知らないにも、程があるだろう……。

 人の波を掻き分け、ようやくそこから抜け出し、世凪につかみかかろうとまた一歩踏み出した時だった。
 華久夜の体は、ひらりと宙を舞った。
 いきなり宙に浮いた自分の体に、きょとんと動きをとめる。
「こらこら、お嬢ちゃん。それ以上近づいては危ないぞ」
 ぽけっとしたままの華久夜に、ななめ下からそう声がかかった。
 その声により、華久夜はようやく正気を取り戻し、がばっと声のする方を見下ろす。
 するとそこには、まるで傭兵くずれの、ちょっとやさぐれ気味の男がいた。
 その男の上げられた両腕をたどっていくと……見事、華久夜の腰の辺りに行き着く。
 どうやらこの男が、華久夜が宙を舞うことになった原因のようである。
 華久夜は、この男に抱え上げられていた。
 視線が合うと、その男はにかっと笑い、華久夜をすっと下に下ろした。
「……どうして、とめるの?」
 この上なく不服とばかりに、ぎんと男をにらみつける。
「どうしてって、危ないだろう」
 華久夜のその言葉に、少し驚いたような顔をみせたが、すぐにやれやれというように困った顔で微笑を浮かべた。
 そして、くしゃりと華久夜の頭をなでる。
 それで、華久夜はさらに機嫌を損ねていく。
 子供扱いをされたことが、腹立たしかったから。
「華久夜! お前はまた……!」
 ようやく、人を掻き分け、莱牙が華久夜のもとまで駆けて来た。
 小柄な華久夜は簡単に人の合間をすり抜けられるが、そこそこしっかりした少年の体では、そうもいかないらしい。
 少し髪を乱し、疲れた様子がある。
 その莱牙を目にし、華久夜はぎょっとした。
 もちろん、ぎょっとしたのは莱牙のその姿にではなく、顔いっぱいにたたえられた怒りの表情にである。
「お兄様……」
 華久夜は、思わず一歩後退してしまった。
「お前は……。ほら、もう帰るぞ。勝手な行動をしたら帰る。そういう約束だったな?」
 莱牙は多少乱暴に、ぐいっと華久夜の腕を引いた。
 しかし、華久夜も負けてはおらず、その引かれた腕を莱牙の手がついたままぐいっと引き返す。
「嫌よ。言ったでしょう!? わたしは、あの世凪という男に恥をかかされたのよ!? このまま黙ってなんていられるものですか!」
 ぎんと莱牙をにらみつけ、わなわなと震えはじめる。
 もちろん、同時に、ふわふわのその金の髪も、意識をもったように四方に広がっていく。


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update:03/11/28