茅、戸惑う
(2)

「え……? あの男が世凪なのか?」
 華久夜が発したその言葉に、先ほどの男が、少し驚いたように華久夜に尋ねてきた。
 華久夜は、いきなりの問いに、多少たじろぎ、そして、きょとんと答える。
「え? ええ、そうよ。あなた知らないの?」
 上目遣いに男を見上げ、首をかしげる。
 その瞬間、再び観衆から喚声が上がった。
「な、何!?」
 華久夜は慌てて、観衆が皆一様に視線を注ぐそこへ視線を移した。
 そこには、仁王立ちで、いかにも偉そうに、威圧的にたたずむ世凪がいて、その足元には、おびただしく血を流し、苦しみ悶える男の姿があった。
「きゃあ……!!」
 その光景を見た華久夜は、思わずそう声を上げ、がばっと莱牙に抱きついた。
「華久夜!」
 莱牙も、がしっと華久夜を抱きしめる。
 あの気丈で小悪魔な華久夜からは想像ができないけれど、小刻みに震えている。
 華久夜もやはり、まだ幼い、普通の少女だった。
「お、お兄様……」
 華久夜は消え入りそうな声でそうつぶやき、さらに強く莱牙に抱きつく。
 その体は、がたがたと震えている。
「……あの男は、限度というものを知らないのか!?」
 先ほどの男が、汚らわしそうにはき捨てた。
 そして、大きくため息をもらし、ぼりぼりと頭をかく。
 莱牙が次に男を見た時には、もうその男は、不遜な態度をとり、無抵抗な男をそれでもなお痛めつける世凪へと歩みを進めていた。
「お、おい! お前……!」
 その男の目を見張る行動に、莱牙は慌てて男を引きとめようと声をかける。
 しかし、男はそんな莱牙の言葉も耳に入っていないかのよう。
 あの世凪に逆らって、ただですむはずがないとわかっているはずだろうに、何とも無謀なことをしでかそうとしている男である。
「あの男は、どうやら、おいたがすぎるようだ」
 ゆっくりと世凪に歩み寄りながら、男はそうひとりごちた。
 男からは、どこか自信に満ちたオーラさえ感じた。
「何なのだ? あの男……」
 莱牙は自分に関係ないとばかりに、もうそれ以上引き止めるのはやめ、訳がわからないと首をかしげる。
 莱牙の腕の中では、華久夜がまだ震えていた。
 触らぬ神に祟りなしというのに、どうして、この男はその神に自ら触れようとするのだろうと、その場に居合わせた誰もが不思議に思ったことだろう。
「立てよ。この俺に喧嘩を売ってきたんだ。それなりの覚悟はできているのだろう? ――それくらいではくたばらないだろう? お前も限夢人のはしくれならな……」
 世凪はそう言って、足元に倒れている男を容赦なくなおも蹴りつける。
 その度に男は悲痛な声をもらし、観衆からは悲鳴に似た声が上がる。
 しかし、それでも誰も世凪の凶行をとめに入ろうとはしない。
 皆、承知しているから。世凪に関わってただですむはずがないと。
「ぐう……」
 倒れている男は、苦しそうにうめき声を上げるだけで、抵抗する力すら残っていないようである。
 殺しはしない。しかし、許しもしない。
 容赦のない世凪の攻撃が、絶えることなく続いている。
「自分の力をわきまえろ」
 世凪はそう言ったかと思うと、またがんと男を蹴りつけた。
 そしてまた、観衆からは悲鳴に似たざわめきが起こる。
 この観衆もまた、たいがいである。
 そのように辛い光景と思うのならば、野次馬根性を出してわざわざ見なくてもよいはずなのだから。
 世凪が起こすこんな騒ぎは、別に珍しいことでも、今にはじまったことでもないのだから。
 個人主義で、我関せずの限夢人ならば、そそくさとその場を去ればいいはず。
 しかし、それでもやはり、好奇心の方が勝ってしまっているようである。
「やめろよ」
 観衆の中から、世凪に向かってそんな声が聞こえてきた。
 同時に、また観衆から悲鳴に似た叫びが上がる。
 それは、非難にも似た叫びだった。
 誰だか知らないが、まったく余計なことをしてくれた、という非難の叫び。
 世凪をとめに入ったのは、先ほどの、莱牙と華久夜と接触していた男だった。
 結構よいがたいをした、傭兵くずれのような無骨な男である。
 世凪はその言葉で、ちらりと男の方に視線を移したが、すぐにまた、面白くなさそうに自分の足元へと視線を落とす。
「なんだ? お前は……」
 そして、足元の男をにらみつけながらつぶやく。
「もうそれくらいで勘弁してやれ。いくらなんでも、それはやりすぎだろう?」
 ぽりぽりと、少し困ったように頭をかく。
 すると、世凪のするどいにらみが男へと注がれた。
「け……っ。こんな奴、これくらいしてやって当然なんだよ」
 そんなことを言って、世凪はまた足元に倒れている男を蹴りとばす。
 男はうっと小さなかすれたうめき声を上げ、とうとう気を失ってしまった。
 世凪は、そんな男を、口ほどにもない奴と言わんばかりに蔑むように見下ろし、そしてまた世凪をとめに入った男へと、おもしろくなさそうに視線を移した。
「で、あんた一体何者? この俺にそういうことを言って、ただですむと思っているの?」
 気を失ってしまった男にはもうすっかり興味がなくなったとばかりに、今度はこの男へとつめ寄る。
 ふふんと鼻で笑い、馬鹿にしながらなめるように男を見まわす。
 どうやら、次のターゲットにされてしまったらしい。
 莱牙はその光景をため息まじりに見ていた。
 当然、観衆たちも。
 触らぬ世凪に怪我なし。さらには、命の危険にさらされることもなし、である。
「俺は……茅だ」
 男は、そんな世凪から視線をそらすことなく、しかしやはりどこか引き気味に名乗る。
 この怖いもの知らずの男の名は、茅というらしい。
「ああ。あの変人か……」
 そう言って、世凪はにやにやと笑う。
 どうやら世凪には、この男の名、茅の名に、聞き覚えがあるらしい。
 そして、茅がどのような男かも知っているようである。
 茅は、変人と言われたにもかかわらず、さらりとそれをかわしてしまった。
 茅には自覚があるらしい。
「ああ、変人だな、たしかに。それはかまわんが、とにかくその男はそれくらいで……」
「うるさいよ、あんた」
 茅がそう言ってとめようとするが、世凪はうっとうしそうにすぐに蹴散らしてしまった。
 そしてまた、馬鹿にするように茅をにらみつける。
「な、なんて男なの! 本当に嫌な奴ね」
 これまでの茅と世凪のやりとりを見ていた華久夜が、莱牙の腕の中で、ぎりりと爪を噛み、にくらしげにはき捨てた。
 莱牙もまた、今にも飛び出していきそうな華久夜を押さえつけながら、そのやりとりを見ている。
 さすがというべきだろうか、華久夜はあの後すぐに体のふるえをとめ、茅と世凪のやりとりに注目していたのである。
 何というか、屋敷を半壊させてしまう破壊神華久夜なだけはある。
 十を少し過ぎたばかりの少女が、もうすっかり、こんな恐ろしい光景になれてしまっているのだから。
 それどころか、華久夜まで、世凪に喧嘩をふっかけようとしている。
 だから、華久夜をとめる莱牙の腕には、いっそう力がこもる。
 気が気でない。
 さすがに莱牙とて、世凪に喧嘩を売った華久夜を守りきることなど不可能に近い。
 莱牙には、この世凪という男の力、恐ろしさがわかっていたので、何が何でも華久夜を飛び出させるわけにいかなかった。
 そして、茅のこの後の運命も莱牙にはわかっていた。
 いや、それは、ここにいる観衆全てにもわかっていたかもしれない。
 先にまっているものは、ただ一つ――
 しかし、莱牙には、少し気にかかるところがあったのもまた事実のようである。
「ああ……。しかし、噂に聞くあいつは、あんなむちゃはしないはずなのだが……」
 どこかしっくりこない、納得できないとばかりに、莱牙は首をかしげる。
「え……?」
 そんな莱牙の顔を、華久夜は不思議そうに見上げている。
 じっと、莱牙のその後の言葉を待つように見つめる。
 抱きしめる両腕に手を触れながら。
「あ、あの……」
 そんな莱牙と華久夜の耳に、か細い少女の声が聞こえてきた。
 莱牙と華久夜は、「ん?」と首をかしげ、声の聞こえた右ななめ下へと視線を移す。
 するとそこには、今にも泣き出してしまいそうな顔をした、小さな少女が立っていた。
 華久夜よりも少し背が低く、そして幼そうでもあった。
「ん? 何……?」
 華久夜が不審げにその少女を見ると、少女はその小さな肩をびくんとふるわせた。
 それで華久夜は、困ったように苦笑いを浮かべる。
 しかし、少女もすぐにぐっとこらえ、びくびくとしながら莱牙と華久夜に話しかけてくる。
「あの……あなたたちは、あの赤い髪の人と知り合いですか?」
 少女は「YES」を求めるように、じっと二人を見つめる。
 それで華久夜は、この震える小動物のような少女にほとほと困り果ててしまって、仕方なく、華久夜にしては優しく接してやることにした。
 困ったような微笑を少女へ向ける。
「……知り合いというほどではないけれど……」
「そうだな。別にこれといって……」
 華久夜に次いで、莱牙がぶっきらぼうに言った。
 すると少女は、即座にしょぼんと肩を落とした。
「そう……ですか……」
 そう言って、その場からすごすごと立ち去ろうとする。
 一縷の望みをもって話しかけたというのに、結局は無駄に終わってしまったとばかりに、頼りなげにその場を去ろうとする。
「ま、待って! あなた、もしかして世凪に何か用があるの?」
 そんな少女の姿にいたたまれなくなり、華久夜は思わず、立ち去ろうとする少女に声をかけてしまった。
 しかし、それが失敗だったかもしれない。
 少女は勢いよく振り返り、嬉しそうに華久夜を見つめた。
「はい……!」
 その瞬間、「しまった!」と、華久夜の脳裏に後悔が駆け抜けたことは言うまでもない。
 そして莱牙は、疲れきったように頭を抱え込んでいた。
 背負わなくてもよいお荷物を背負い、関わらなくてもよい世凪にかかわらなければならなくなってしまった。


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update:03/12/01