ひみつの花園
(1)

「う、嘘だ! か、母様が死んだなんて……! そんなの信じない! ぼくは信じないぞ!」
 世凪はそう叫び、王宮を飛び出した。
 真っ赤にはれあがったその目から、とめどなく涙を流し。
 世凪が駆けると、目からこぼれるしずくは飛び散り、空気中にむなしくとけ込んでいった。
 涙が伝った頬に、ひんやりと冷たい風を感じる。
 暑い寒いといったことを感じない限夢人にとっては、不思議な感覚である。
 それは恐らく、その肌で感じたのではなく、心で感じていたのだろう。
 心が、凍えるほど、冷たいものを感じていた。
 世凪の心は、大切なものを失い、ぽっかりと穴があいたようだった。
 そんな今にも壊れてしまいそうな、そのか細い神経を懸命につなぎとめているような世凪の後を、年老いた従僕が慌てて追おうと足を踏み出す。
 しかし、その弱った足腰では体がいうことをきいてくれない。
 悔しそうに顔をゆがめながら、それでも必死に、衝撃を受け、傷ついた王子の後を追おうとする。
 しかし、遊び盛り、暴れ盛りの幼い王子のちょこまかとした素早い動きには、この年老いた従僕ではとうてい追いつくことができない。
 次第に、その距離ははなされていった。
 その時、柱の陰から、一人の物腰の柔らかそうな少年が姿を現した。
 その少年は、年のわりには大人びた、落ち着いた雰囲気をまとっていた。
 どこか位の高い者に仕える使用人といった感じだった。
「おじいさま……。もしかして、今の方が……?」
 少年は、年老いた従僕の前に姿を現すと、走り去っていく世凪の背を見つめながら静かにつぶやいた。
 すると老人は、助かったとばかりに表情をゆるめ、肩で荒い息をしながら少年に答える。
 どうやらこの少年は、この老僕の孫のよう。
「あ、お前か。――ああ、あの方が王子。世凪王子だ。お前がこれからお仕えするお方だ……」
「わかりました。では、後はわたしにおまかせください」
 少年は、老僕の言葉を聞くと、すぐに納得したようにうなずき、そう告げ、姿を消していた。
 それはまるで、消えるように。


 世凪は王宮を抜け出し、城下のはずれ、底なしの沼と呼ばれる場所へやって来ていた。
 そこはどこかおどろおどろしく、不気味な雰囲気をもっていた。
 他人には無関心な限夢人でも、不思議な能力を持つ限夢人でも、さすがに恐ろしいものは恐ろしいと感じるようである。
 普段は、誰も近寄ろうとはしなかった。
 へどろ色のその沼は、地中から、空気かはたまたガスか何かが吹き出ているのか、ところどころ、ぽこぽこ、ぷくぷくっと、気泡を放っていた。
 ねっとりとしたこの沼からそれが開放される瞬間、一緒にそのどろどろの液体も持ち上げ、まるでおとぎ話の魔女のかきまぜる釜の中の液体のようなものに、世凪の目には見えていた。
 臭いはない。
 しかし、どんよりとした雰囲気と、音が響く。
 まだ幼い世凪は、さすがに恐ろしくなったのか、ぶるっと身震いをした。
 しかし、そこから立ち去ろうとはしない。
 何故ならば、世凪はあえてここを選び、やってきたから。
 それは……一人になりたいという、誰にも邪魔されたくはないという思いから――
 一人、母の死を受けとめ、たえるために……。

 パキ……。
 沼の脇に膝を抱え込んで座っていた世凪の耳に、小枝の折れるような音が聞こえてきた。
 世凪ははっとなり、勢いよく振り返っていた。
 その表情は、強張っていた。
 さすがに、こんな普段人の寄りつかない場所で、自分が発したもの以外に、人工の音を聞くとは思ってもいなかったのだろう。
 それが世凪を緊張させた。
 振り返ったすぐそこには、世凪と同じ年恰好の少年が、少し淋しそうに彼を見下ろしていた。
 見下ろすその瞳は、不思議な色を放っている。
 右は情熱的な赤、左は凍えそうなほど冷めた銀。
 その対極の雰囲気をもつ瞳は、今の世凪には妙に印象的だった。
 そして、そのオッドアイは、妙に心をとらえる。
「お、お前は?」
 少年の瞳をじっと見つめ、そうつぶやいた。
 そして、はっと気づき、慌てて目の辺りをこする。
 今まで一人で泣いていたことを悟られまいと、恥ずかしそうに頬を少し染めながら。
 一通り目の辺りの確認を終えると、一生懸命強がって、きっとその少年をにらみつけた。
 すると少年は、ふっと表情をやわらげ微笑を浮かべた。
 そして、すっと世凪の前にひざまずく。
「わたくしは、梓海道と申します。本日付けで、王子、あなたにお仕えすることになりました。以後、お見知りおきを」
 頭を下げ、再び顔を上げた梓海道は無表情だった。
 無表情で世凪を見つめていた。
 その顔には似合わず、目だけがやけに強い眼差しを放って、世凪の姿をとらえている。
「……従僕の一族か?」
 世凪がぽつりとつぶやくと、梓海道はすかさず答えた。
 やはり、無表情に。
「はい」
「お前、従僕のくせに、真っ黒な髪をしているな……。まるで闇のようだ」
 少し嘲笑気味に、ふんと鼻で笑う。
 あくまで、王子であることを貫こうとする。
 まだ幼く、そして母親を亡くしたばかりだというのに、悲しむことも許されず、皮肉にも、王子という意識が求められてしまう。
 しかし、やはりどこか淋しそうで、今の世凪には威厳のかけらすらなかった。
 何かやわらかいもので包み、守ってあげたくなってしまうような、頼りなげな王子の姿がそこにあった。
「従僕は主人に仕えてはじめて、髪の色が変化するのですよ」
 梓海道は、やはり変わらず無表情でたんたんとそう答えていた。
「ふ〜ん……」
 世凪は、ぷいっと梓海道から視線をそらし、再び沼へと送り、興味なさそうにぽつりとつぶやいた。
 これが、今後世凪に忠実に仕えることになる従僕との出会いだった。


 この頃、王宮内では、こんな噂がまことしやかに流れていた。
 王子は稀に見る力の持ち主だ。
 しかし、それはどこか異様でおかしな力だ。あってはならない力だ。
 ……そして、そんな力だからこそ、その力で、自らの母親までも死にいたらしめたのではないか……!?
 そんな根拠のない、中傷めいた噂が飛びかっていた。
 当然、そんな噂は、王宮に住むまだ幼い王子の耳に入り、彼の心を滅多打ちに傷つけたことは言うまでもない。
 小さな心が悲鳴を上げ、たまらずその場を逃げ出してしまうこともしばしばあった。
 通常、限夢人は長命で、千年ほどは生きるとされている。
 しかし、世凪の母、王妃に関しては、それにはとうてい及ばず、まだ百という若さでこの世を去った。
 それは、限夢人にとっては不思議なことで、あってはならないことだった。
 そして、世凪は、果たして運が良かったのか、それとも悪かったのか、通常あってはならないほどの強い力を幼いながらに持ち合わせていた。
 王族にしても群を抜いて強い力だった。
 それが災いし、世凪は不幸を呼ぶ王子と陰でささやかれていた。
 また、世凪自身も、毎日のようにあびせられるその言葉によって、自らを失いかけていた。
 まだ幼い心は、欲しくもない力を持ち合わせているが故、逃げ場を失い、慟哭(どうこく)していた。
 その噂は、まだ母の死を悼んでいた世凪にとっては、さらに追いうちをかけるものとなっていた。
「お、恐ろしい! あんな恐ろしい者が王子だとは……!」
「やはり、あんな化け物を生んでしまったばかりに、王妃さまも……!」
「あの王子が王妃さまの分までの力を、生命力を奪って生まれてきたのだ!」
 毎日のように、口々にささやかれる心無い中傷。
 世凪の心はそれを受け、次第に蝕まれていく。
 いつか、真夜中、一人ベッドの中で、狂うように泣き叫んだこともあるという。


 限夢宮。中庭。
 限夢界と人間界をつなぐ場所。
 それは一部の者にしか知られていない、普段、人の目にとまらない小さな庭。
 ここは、世凪にとっては思い出の場所だった。
 まだ母親が生きていた頃、世凪はよく、ここで母親と一緒に遊んでいた。
 母親はとてもおっとりとした、美しく優しい人で、たった一人の息子を愛し、大切に大切にしていた。
 時折中庭に咲く花を摘み、花冠をつくり、それを世凪の頭にかぶせたりしていた。
 「そんな女みたいなことするなよ!」と、のせられた花冠をすぐに取ってしまっていたが、世凪はそれを決して捨てようとも乱暴に扱おうともしなかった。
 少し照れたふうにぷうっと頬をふくらませ、ぐいっと母親につき返していた。
 世凪の男としてのプライドが妙に高いその姿を、母親はくすくすと笑いながら微笑ましそうに見ていた。
 世凪もまた、そんな母親を見るのがとても好きだった。
 母親と過ごしていた時間は、世凪にとって宝物だった。
 その宝物の時間は、今はもうない。
 世凪は今、一人中庭の中央にたたずみ、辛そうに地面をにらみつけている。


* NEXT *
* TOP * HOME *
update:03/12/07