ひみつの花園
(2)

「王子……」
 世凪のもとへやってきた梓海道が、困惑気味に声をかけた。
 梓海道は、落ち込む世凪にどう声をかければよいのかわからず、力なげな背をじっと見つめた。
 世凪は、梓海道に振り返ることもなく、両手を体の横でぎゅっと握り締め、かすれたような声で言葉を吐き出す。
「……梓海道……。もうぼくのそばに寄るな。お前も噂されるぞ」
 皮肉るような微笑をたたえる。
 その顔は相変わらずうつむいたままで、そして妙に静かだった。
「かまいません。わたくしは、王子にお仕えすると決めたのですから……」
 世凪はようやく顔を上げ、そして梓海道にその顔を向けると、複雑そうな微笑を浮かべた。
「もの好きな奴だな?」
「はい……」
 梓海道は、ただ静かに微笑みそこに立っていた。
 そんな梓海道に、世凪はふうとため息をもらす。
 そして、じっとその目をとらえる。
「……なあ、梓海道。お前は知っているか? 人間界……それから、使い魔制度……」
「え……?」
 突然の話の転換に、梓海道は一瞬ついていけず、思わずそんな間抜けな声をもらしていた。
 すると世凪は、怪訝そうに梓海道を見つめる。
 知っているか?と聞いたものの、当然そんなことは梓海道も知っていると思っていたのだろう。
 城下の裏通りの子供ですら知っているような、当たり前のことだから。
「なんだ。知らないのか?」
「いえ……。そういうことではなく、何故そのようなことを……?」
 梓海道はうろたえることなく、静かに答える。
「……行って……みようかと思って……」
 梓海道の問いかけに、考え込むように世凪がぽつりとこぼした。
「は……?」
 当然梓海道は、世凪のもらした言葉に眉を寄せる。
 そんな梓海道を、世凪はくすりと皮肉まじりに笑う。
「知らないのか? ぼくには、人間界へ行く力がある」
「え……!?」
 梓海道は、今世凪の口から出た言葉が信じられないとばかりに顔をゆがめる。
 常識から考えて、そんなことはあり得ない。できるはずがない。
 通常人間界へは、使い魔の契約なくしては行くことができない。
 契約をかわした召喚者の召喚によって、限夢人はようやく人間界へ行くことがかなうのだから。
 それなのに、契約を結んでいない世凪が人間界へ行けるなど、そんなことはあり得ない。あってはならない。
 しかし、世凪は今、人間界へ行けると告げた。
 それは一体どういう意味なのかと、梓海道の頭を混乱させる。
 梓海道は驚きいっぱいのその顔で、まじまじと世凪を見つめた。
「まだ、母様が生きていた頃だ。……母様がそう言ったことがある……」
「王妃さまが……?」
 ぴくんと、梓海道の眉が反応する。
「母様には不思議な力があった。……だから、そう言われた時も、不思議に納得した。……母さまの言うことだから……」
 世凪は、ふっと切なそうな眼差しを梓海道に向けた。
 それで、梓海道も何かを悟ってしまったらしい。
 険しい表情で世凪に確認を入れる。
「王子……それでは……」
「うん。ぼくは行くよ」
 すかさず世凪は答えた。
 足元に転がっていた小石を、こつんと蹴りながら。
 そんな世凪の姿は、梓海道の胸に、さらに切なさを運んできた。
 納得したようにふうとため息をもらす。
「そうですね。ここは空気がよくありません。気分転換にはよろしいかと……。ですが、お一人で行かれることは承服しかねます」
 梓海道のその言葉を聞き、世凪はにやっと微笑み、梓海道の顔をのぞきこむようにつめ寄る。
「うん。だから、お前も一緒に行くのだよ。それなら文句はないだろう?」
「え……!? しかし、人間界へ行くには契約が……」
 納得はしていたものの、やはり頭のどこかではそれを信じていなかったらしく、梓海道はまた驚いたようにそう言っていた。
 今度は多少、叫ぶようにして。
 また、仮に世凪は人間界へ行けたとしても、自分は行くことができないと梓海道はわかっていた。
「だから、そんなものは必要ないと言っただろう?」
 そんな梓海道に、世凪はひょうひょうと言ってのける。
 そして、ぐいっと梓海道の腕をつかんだ。
「お、王子!?」
 梓海道が慌てて叫んだ瞬間、二人の姿はもうそこにはなかった。
 ひゅうっと一筋の風が、むなしく思い出の庭を吹き抜けていた。


「ここは……!?」
 真っ青な宙を舞い、少し強めの風を顔に受け、少し苦しそうに梓海道が眼下を見下ろす。
「……人間界だろう?」
 眼下には、見慣れぬ風景が広がっていた。
 ところ狭しとひしめきあうように建つ、家々。
 それは限夢界のそれとは明らかに異なっていたが、それでも家であろうことは梓海道にもわかった。
 しかし、それはあまりにも小さすぎて、梓海道の目には、まるで城下の裏通りのように映っていた。
 それらの家は、恐らく、限夢界の、梓海道のような従僕が仕えるであろう家ではあり得ない小ささである。
 しかしそんな小さな家々の中から、ひときわ目をひく、大きな屋敷が目に飛び込んできた。
 広大な庭を持つ、限夢界のそれとさしてかわらぬ大きな邸宅だった。
「それはわかっています。しかし、ここが人間界のどこなのか……」
「よく見てみろ。恐らく、例の御使威家だろう?」
 世凪は、梓海道の腕をぐいっとつかんだまま、もう一方の手でその屋敷を指差した。
「え……?」
 世凪が指差したその屋敷の庭には、どうやら限夢人らしき人物がちらほらと見えた。
 人間界で、限夢人を目にできる場所といえば限られている。
 よって梓海道も、悔しいけれど、それをすぐに認めてしまった。認めざるを得なかった。


「きゃあっ! 麻阿佐さん、そんなの近づけないでよ〜!」
 小さな女の子がそう叫びながら、花がいっぱいに咲き乱れる庭を駆けまわっている。
 その後を、手に何か小さなものをつまみ、にんまりと微笑みながら、前かがみになった男が追いかけていた。
 この男が、麻阿佐だろう。
 春の風にそよそよと、灰色がかった水色の髪をそよがせている。
 明らかに、限夢人だった。
 この人間界で、そのような髪色を自然に持つ者など、世凪や梓海道の常識からはあり得ないので、即座にそう判断した。
 にんまりと微笑みつつ、決して間を縮めることも広げることもなく、一定の距離をたもって小さな女の子をおいかけていた。
 そこに、麻阿佐が少女に寄せる思いがあらわれているようだった。
 恐らく、麻阿佐は、この少女をとても大切にしている。そう思えた。
「こら、麻阿佐。あまり姫さまをいじめるな」
 そんな少女と麻阿佐の間に、金色の髪をさらりと風になでさせ、一人、男がわって入ってきた。
 麻阿佐はぴたりと足をとめる。
「由岐耶か。だって姫さま、きゃあきゃあ言って楽しいから、つい……」
 そして、うっとりと(くう)を見つめる。
「いい加減にしろ!」
 麻阿佐は、即座に由岐耶によって殴られた。
 由岐耶はむうっと麻阿佐をにらみつけている。
「った〜……」
 麻阿佐は由岐耶になぐられたそこを、面白くなさそうにさする。
 そんな麻阿佐などさっさと無視し、由岐耶は、ぶわっと涙をあふれさせている少女へと駆け寄った。
 その顔は困りきっていた。
「姫さま、大丈夫ですか? まったく、麻阿佐ときたら……」
「ゆ、由岐耶さあん」
 由岐耶が、姫……柚巴に慌てて駆け寄ると、柚巴もまた、すがるように由岐耶の足にしがみついてきた。
 まだ幼い柚巴は、そこに腕をまわすので精一杯だった。
 由岐耶は柚巴に合わせ腰をかがめると、柚巴を優しくそっと包み込んだ。
 そして、ぽんぽんと背をさすりながらあやしに入る。
「申し訳ありません、姫さま……」
 由岐耶の腕の中で、柚巴はぐすぐすと泣いていた。
 そんな柚巴のもとに麻阿佐がやって来て、その手につまんでいたものをくりくりといじりはじめる。
「……だけど姫さま、これくらい平気にならないと。世の中にはまだまだ……」
 そして、ふうっと、あてつけがましく大きくため息をもらす。
 その瞬間、再び麻阿佐に鉄槌が下った。
 今度は由岐耶が下したのではない。
 今もって柚巴を大切に抱きしめているのだから、そんなことをするのはとうてい無理だろう。
 いくら不思議な力を持っている限夢人といえども。
「馬鹿者。お前と一緒にするな。姫は繊細なのだ。……まったく、そんなものはさっさと捨ててこい!」
 どうやら、麻阿佐に鉄槌を下したのは、こう言った人物のよう。
 威圧的に有無を言わせぬ態度で麻阿佐を見下ろし、ついっと麻阿佐の手にある芋虫をさした。
「……竜桐さまのおこりんぼう」
 麻阿佐はぷうっと頬をふくらませ、恨めしそうに竜桐を見上げる。
「うるさい!!」
 容赦なく、今度は竜桐の蹴りが麻阿佐に炸裂する。
 その二人のやりとりを見て、それまで泣いていた柚巴は、もうすでに機嫌を取り戻し、きゃっきゃっと楽しそうに麻阿佐を指差して笑っていた。
 ぱっと一輪の黄色い花が、この庭をうめつくす花と同じたんぽぽの花が、花開いたようだった。
 そんな柚巴を、由岐耶は懐かしそうに、微笑ましそうに見つめている。
 柚巴の右手を握り、左の肩をそっと抱きながら。
「姫さままで、笑わないでくださいよー!」
 しかし、そんなやんわりとした雰囲気も、ここには、麻阿佐には存在していなかった。
 叫びながら、泣きはじめてしまった。
 そんな麻阿佐を、竜桐はやはり、じろりとにらみつけていた。
 しかし、そこには、たしかにあたたかな空気が流れていることは、上空を漂う世凪の目にも梓海道の目にも明らかだった。
 そこは、花々に包まれた、幸せを凝縮したような箱庭。
 ひみつの花園のように、世凪の目には映っていた。
「梓海道……。あれは?」
 ぼんやりと見つめながら、だけどたしかに興味を示しつつ、世凪は眼下で繰り広げられているわきあいあいとした様子を指差す。
「……使い魔ですね……。では、あの少女はもしかして、あの使い魔たちの主人……ということになるのでしょうか?」
 相変わらず世凪に腕をつかまれたままの梓海道は、のぞきこむように見下ろし、そんなわかりきったことを口にする。
「ふ〜ん……」
 しかし、世凪にはそれで十分だったらしく、気のない返事をして、また眼下へと視線を落とした。
 じっと、ある一点を見つめる。
 再び世凪が視線を落とすと、そこでは花々の中に座り込む柚巴が、由岐耶から花冠を頭にのせてもらい、二人、楽しそうに笑い合っていた。
 すでに麻阿佐も芋虫を放り出し、その横で、今度は柚巴に花のシャワーを浴びせ笑っている。
 その様子を、一歩引いて、竜桐が微笑ましそうに見つめていた。
 その光景は、今の世凪にとっては、まるで夢のようだった。
 花冠を受ける柚巴の姿は、あの楽しかった母との思い出、花咲き乱れる王宮の中庭での光景を思い起こさせる。
 幸せだった、楽しかったあの頃が、心を駆け抜けていった。
 世凪は、たたじっと、日が暮れるまでその景色を見つめていた。


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update:03/12/10