ひみつの花園
(3)

 世凪はまた、人間界へやって来ていた。
 今度は、梓海道は連れず一人でやって来た。
 ちょうどその頃、限夢界の王宮で、梓海道が慌てふためきながら、消えてしまった王子を探しまわっているとは露にも思わず。
 また見たかったから。
 あの光景を。あのあたたかな、春の庭の景色を。幸せの陽だまりを――

「もう夜か……。そろそろ帰らないとな……」
 気づいた頃には、また夜になっていた。
 ずっとずっと、楽しそうに庭を駆けまわる柚巴を見つめていた。
 一瞬たりとも目をはなさず、柚巴の行動全てをその目にやきつけていた。
 遊びをやめて、もう屋敷の中に入ってしまってもなお、世凪はぼんやりと闇色に染まりはじめた花の庭を見下ろしていた。
 目の奥のそのビジョンを振り払うかのように、左右に一度、乱暴に首をふる。
 そして、限夢界に帰るべく、姿を消そうとしたその時だった。
 どこか遠くから、小さな女の子のすすり泣く声が耳に入ってきた。
「え……?」
 半透明になりかけていたその体が、また色を取り戻す。
 その泣き声が妙に気になり、その声を頼りに、泣き声の主を探しはじめた。
 すすり泣き……。
 そんな小さなものが、実際に空の上を漂う世凪に聞こえるはずがなかった。
 それは恐らく、耳ではなく、その心で聞いたのかもしれない。感じたのかもしれない。
 感覚で、その音を受信した。
 そして、世凪は見つけた。
 やはりまだ空の上を漂っているが、世凪は確信していた。
 急に顔を曇らせ、ざっと地上へと降りていく。
 そして、屋敷に近寄り、窓越しに、カーテンの隙間から、その部屋の中をのぞきこむ。
 そこには、先ほどまでたしかに笑っていた柚巴が、ベッドに突っ伏し泣いている姿があった。
 世凪は、その姿を見た瞬間、胸に激痛に似た衝撃を受けた。
 世凪の中を、何かがすごい勢いでざあっと通りぬけた。
「……お母様……。お母様……。どうして、どうして柚巴をおいて死んじゃったの……!?」
 ひっくひっくとしゃくり上げる合間から、ぽつりぽつりと、そんな言葉がもれてくる。
 ベッドに顔を埋めたまま、肩を小刻みに震わせ、必死に泣くことを我慢しているようだった。
「あの娘……?」
 世凪は、きゅっと唇をかみしめる。
 そして、カーテンの隙間というそんなせまい視界から、柚巴を見つめていた。
 もちろん、この時、世凪は気配を消していたので、そう簡単に、柚巴にも使い魔たちも気取られることはなかった。
 その程度の気のコントロールくらい、世凪にとっては、この時からもうすでに朝飯前だったから。
「もしかして、あの娘も母様を……!?」
 世凪は顔をゆがめ、辛そうにそうつぶやくと、すっと姿を消していた。
 そこに残されたのは、限夢宮の中庭に咲く花の、かすかな香りだけ――


 窓越しに見たあの日の柚巴の姿は、世凪の脳裏に鮮明にやきつき、そして、今もはなれない。

 それからというもの、世凪は毎日のように柚巴の様子を見に来ていた。
 もちろん、梓海道を連れず一人で。
 こっそり、王宮を抜け出して。
 今日は泣いていないか、今日は辛い思いをしていないか……。
 いつの間にか、世凪はそればかりを考えるようになっていた。
 そればかりを気にし、柚巴の様子を見に来ていた。
 そして、ある日、おかしなことに気づいた。
 それは、柚巴は決して人前では泣かない……いや、もちろんよく泣いてはいるけれど、それは麻阿佐をはじめとする使い魔のいじわるを受けて泣くという程度だった。
 決して、あの夜のように、母親を思い泣くことはしなかった。
 そして同時に、父親はというと、あまり柚巴に関わろうとしていないことにも気づいた。
 それは、父親の多忙ぶりからいたしかたない部分も多分にあったが、それでも世凪はそれがおもしろくなく感じていた。
 柚巴の置かれた立場はまるで、今の自分の立場を、否応なく世凪につきつけているようだったから。
 世凪も母を亡くし、そして多忙な父からはあまり目をかけてもらうことはなく、大人たちの中で暮らしていた。
 唯一、同年代の梓海道がいたが、それでも、梓海道は自分に仕える者であって友達ではないことを承知していた。
 つまりは、心から気を許せる者などいなかったのである。
 柚巴、彼女は自分と同じような環境におかれている。
 それがわかった瞬間、あらたに世凪の胸がしめつけられた。
 柚巴は、人前では決してその淋しさを見せようとはしない。
 ただ、夜中、一人でその淋しさにたえ、泣いているだけだった。
 その様子を見て、世凪は切なくなった。
 それは柚巴に自分を重ねているというだけでは、説明のできない切なさだった。
 こんな感情、これまで感じたことがなかった。
 とても苦しく、締めつけられるような思い。
 だけど、それでも、柚巴を守ってやりたい、抱きしめてずっとそばにいてやりたいという感情。
 いつまでたっても理解できないと思える、不思議な気持ちだった。
 そして、いつしか、世凪はその気持ちが何なのかわかりはじめていた。
 ある特別な気持ちを抱えるようになっていた。
 その気持ちとは――


 今宵もまた、柚巴は一人、ベッドをぬらしている。
 世凪はとうとう見ていられなくなり、姿と気配を消し、柚巴の部屋へと侵入してきた。
 そして、柚巴に歩み寄り、その体を抱きしめようとしたが、そこでふと動きをとめた。
 淋しそうに微笑み、そっと柚巴の耳に顔を近づける。
「……泣かないで。大丈夫。ぼくがついているよ……」
 世凪は、泣く柚巴の耳にそう告げ、そのまま人間界から姿を消していった。
 その瞬間、びくんと、柚巴は何かの気配に気づいたように反応した。
「今……誰か……?」
 ひとしきり部屋中を見まわし、ふっとあることに気づいたかのようにぼんやりと目を伏せた。
 そして、ゆっくりと、先ほど世凪がささやいた耳へと、その手を持っていき、触れた。
 その瞬間、柚巴の体の中を、何かあたたかなものが駆け抜けていた。


「王子! まったく、どれほど心配したと……! こんなに遅くまで、また人間界へ行っていたのですね!? もう、今日という今日は……!」
 世凪が限夢界に帰ってくるやいなや、梓海道がその気配に気づき、駆け寄ってきた。
 そして、間髪いれず、そうまくしたてた。
 しかし当の世凪は、どこか上の空といった様子。
 ぼんやりと、暗くなった限夢界の空を見上げている。
「ああ、うるさい。少しは黙れ。……大丈夫だ。――もう、人間界へ行ったりはしない」
「え……?」
 世凪の消え入りそうなつぶやきに、梓海道は自分の耳を疑うかのように世凪を凝視した。
 すると世凪は、視線を空から梓海道へとすっと移し、どこかふてぶてしい態度で言い放った。
「それと、今日からは、王子とは呼ぶな。世凪と呼べ」
「お、王子?」
 梓海道は、やはり世凪の言葉の意味がわからず、まじまじと世凪を見つめ続ける。
 額から、たらりと一筋の冷や汗を流しつつ。
「だから、世凪だと言っているだろう!」
 すぐに世凪の怒鳴り声が響いた。
 それに、慌てて梓海道が答える。
「は、はい!」
 一呼吸おいた後、じっと世凪を見つめる。
「それで王……世凪さま、どうしていきなり……」
 やはり、理解に苦しむとばかりに、梓海道は世凪のその真意を確かめる。
 すると世凪は、ふんと鼻で笑い、得意げに微笑んだ。
 にやりと、企むように、不気味な笑みをたたえる。
「梓海道。俺は決めたぞ。俺は、あの娘を妃にする!」
 そして、じっと梓海道の目をとらえ、そんな爆弾発言をした。
 世凪の目は、真剣そのものだった。
「き、妃……!?」
 さすがに梓海道も、ここまでの予想外の発言に目を白黒させ驚く。
 同時に、あたふたとあわてふためく。
 しかし、世凪はそんな梓海道にはかまわず、不遜な態度で続ける。
「ああ。そして、もう俺は泣かない。――柚巴が……柚巴ががんばっているのだ。だから俺は、柚巴を見習わなければならない。そして……柚巴を守れる男になる!」
 世凪は、それまで見せたことがないほど、どこかふてぶてしく、そして自信たっぷりにそう言い切った。
 決意をかたく、その胸に抱く。
 その瞳は、ぎらぎらと輝いていた。
 迷うことなく、惑うことなく、とどまることなく、ずっと先の未来を見すえるように。
「……世凪さま……」
 そんな世凪を見て、梓海道はもう何も言うまいと首を横にふり、そして静かに微笑んだ。
 優しい、見守るような視線を世凪に送る。
 その瞬間、梓海道の真っ黒だった髪が、それはみごとな透けるような鮮やかな銀髪へと色を変えていた。
 一瞬の出来事だった。
「え……!?」
 梓海道は、即座にその変化に気づき慌てる。
 自分の髪をぺたぺたとなでまわし、その変化を確認していた。
「どうやら、お前もこれで、完全に俺の従僕になったようだな?」
 世凪はそんな梓海道をちらっと見て、不敵に笑った。
 その笑みは、限夢界の夜の闇に不気味にきらめいた。


 そしてはじまりの日をむかえ、世凪が再び柚巴の前にその姿を現す時、運命の歯車が動き出し、伝説がはじまる。
 二つの世界をまたにかけた、王子の妃をめぐる追いかけっこの伝説が――


ひみつの花園 おわり

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update:03/12/10