なみだの恋心
(3)

 涙があふれるその瞳を一度とじ、そして再びあける。
 それと同時に、その頭が、小さく縦にふられていた。
 それは、すなわち……。
 肯定。了承。
 柚巴は、莱牙を受け入れる……。
 そういうことになる。

 柚巴の答えが下された瞬間、莱牙はまたぎゅっと柚巴を抱きしめていた。
 力いっぱい。思いのすべてをこめて。
 もう放さない。
 決して、手放したりなどするものか。
 この世でもっとも愛しくて、欲しくて欲しくてたまらなかった存在が、今ようやく手に入ったのだから。
 何があろうとも、この手だけははなさない。
 ずっとつかんで、つないで……はなさない。

 そうやって、相変わらず涙をこぼす柚巴の顔に、莱牙の優しく微笑む顔が近づいていく。
 キスをかわすように。
 それはまるで、神聖な儀式。
 永遠の愛を誓う、あの儀式のよう……。

 永久(とわ)に、柚巴を守り続けよう。
 莱牙の誓い。


 莱牙は、その生において、至福の時を迎える――


「……さま」

 今まで生きてきた中で、いちばんの幸せをかみしめていた時。
 どこか遠くの方から、そんな耳障りな声が聞こえてきた。
 それは、次第に大きくなってくるようで……。

「……さま。……牙さま」

 うるさい。
 耳の端にその声をとらえ、莱牙は内心毒づく。
 今、柚巴を抱いていなければ、容赦なくたたきつぶすところなのに……。
 そう思うと、命拾いをしたな。この耳障りな声の持ち主も。
 そうやって声を無視し、柚巴との時間をかみしめようとする。
 あまくいい香りのする柚巴の髪に、顔をうずめていく。

「莱牙さま!」
「お兄さま!!」

 ……幸せをかみしめようとしていたのに……。
 結局、そんな不愉快な二重奏で、あっけなく至福の時が終わってしまった。
 それは、ばちんという大きな音とともに。
 そして、今までたしかに自分の胸に抱いていた柚巴の感触も、さっと消えてなくなった。
 ふっと、跡形なく。
 一瞬のそのできごとに、莱牙はぴたっと思考をとめる。
 一体、何があったのかわからない。
 たしかに今、柚巴を抱きしめていたはずなのに……。
 目の前で、神隠しが起こったというのか?
 そんな莱牙に、容赦なく現実がつきつけられる。
「や〜っと起きたわね。このネボスケっ!」
 実にあっけないものだった。
 どこか遠くの方に旅立っている思考を、必死に手繰り寄せる。
 今起こっていることを理解するために。
 気づくと、馬鹿にしたように莱牙を見てくる華久夜の顔が目の前にある。
 ということは……つまりは……もしかして……?
「一体、いつまで寝ているのよ。もう夕食の時間よ」
 はあという盛大なため息とともに、そんな言葉がもたらされた。
 決定打。
 そして、ようやく覚醒。
 つまりは……そういうこと?
 莱牙が抱きしめた柚巴は……夢だった?
 そうは思ってみても、そう気づいてみても……まだ、頭は正常に機能してくれていないようで……。
 どこか、ぼうっとしている。
 そして、まだ腕には、胸には……柚巴を抱いていたあの感触が残っているように思えてならなくて……。
 ふわりと鼻をくすぐった、あのあまくいい香りが……。
 いまだ、どこか遠い世界にいっているような莱牙に、華久夜は皮肉るような笑みを向ける。
 にやりと、実に嫌な微笑み。
「ああ。柚巴。柚巴、柚巴〜。俺の柚巴〜」
「華久夜。何だ、それは」
 おどけるように柚巴の名前を連呼する華久夜を、莱牙は怪訝に見つめる。
 するとやはり、華久夜は、にやりと小悪魔の笑みを浮かべた。
 くすりと小さく笑い、ずいっと莱牙につめ寄る。
「何って、お兄さまの寝言っ」
 そして、楽しそうに、けろりとそう言ってのけた。
 それに続けるように、華久夜は実に愉快そうに言葉を紡いでいく。
 傷をえぐるように。
 傷口に塩……唐辛子をぬりこむように。
「本当、うるさいわよ。柚巴柚巴って。夢の中まで柚巴?」
 ぴくりと莱牙の頬がひきつる。
 ついでに、額に青筋の一本も浮かんだ。
 心なしか、華久夜に向けられる眼光が、するどくなったようにも思える。
 さらには、握り締めるその手が、小刻みに震えているような……。
 それはもちろん、怒りのためだろう。
 しかし、さすがは小悪魔華久夜。
 そんなものには、まったく気にとめた様子はない。
 むしろ、どんどん愉快そうに、そしてエスカレートしていく。
「ねえ、それって、欲求不満?」
 目をらんらんと輝かせ、興味深そうに莱牙の顔をのぞきこむ。
「はあ!?」
 瞬間、莱牙のすっとんきょうな雄たけびが上がる。
 同時に、その顔が真っ赤に染め上がっていた。
 普段の落ち着いた物腰の莱牙からは、とうてい想像もできないようなうろたえぶりである。
 ……ということは……つまりは、図星?
「図星〜! や〜ね〜。とっくにふられちゃっているくせに。これだから、未練たらしい男ってや〜よね〜」
 そんな反応をすれば、当然、華久夜にも見透かされてしまうわけで……。
 ついには、きゃっきゃきゃっきゃと楽しみはじめてしまった。

 それは、莱牙には禁句。
 言ってはならない言葉。
 恐ろしくて、誰も音にできなかったこと……。
 しかし、この華久夜だけは、平気で言ってのけてしまう。
 むしろ、おもしろがって。楽しんで。
 それは、華久夜にだけは許されていることなのだろう。
 何しろ華久夜は、莱牙にとって、柚巴の次に弱点だから。

 楽しそうにはしゃぐ華久夜を、うんざり気味ににらみつける。
 すると目のはしに、華久夜の向こう側で、ぽつりとつぶやく平良の姿が目に入ってきた。
 その口は……こんな言葉を形作っていた。
「お気の毒に……」
 当然のことながら、平良に、莱牙の絶対零度の厳しいにらみが入れられる。
 瞬間、かちーんと平良が凍りついてしまったことは言うまでもない。


 相変わらず、一人愉快そうにはしゃぐ華久夜と、石化し、そして風化していく平良を横目で一瞥して、莱牙は胸の内でそっと毒づく。
 あの夢を思い出し、舌打ちしていた。
 結局は……莱牙が望むものは、夢で終わってしまうという暗示なのだろうか?
 果てしない疲れを感じ、そのままどっとウッドチェアに崩れていく。
 夢の中の柚巴を思い浮かべ……。
 愛しい愛しい柚巴を思い――


なみだの恋心 おわり

* BACK *
* TOP * HOME *
update:04/07/18