莱牙の憂鬱
(1)

 パルバラ病の脅威も終息をむかえ、城下はもとより、限夢界中に平穏が戻りはじめた頃。
 奇妙なことに、莱牙の姿が、城下でよく見かけられるようになっていた。
 以前のように、暇つぶしのため、だらだらと街を見てまわるのではなく……。
 あちらで若者同士の喧嘩があると聞けば、そこへ行って、半ば横暴とも思える仲裁をしたり、そちらでつまらない盗みがあると聞けば、そこへ行って、半ばやりすぎ……半殺し程度に痛めつけお縄にする。
 そうかと思えば、迷子になったこどもを、さらに恐怖に陥れ親のもとへ送りとどけたり、大荷物を抱えた老人に会えば、不機嫌にその荷物をひったくる……。
 そんなことを繰り返していた。
 莱牙を知るすべての者の顔をひきつらせている。
 それは、由岐耶たち使い魔に感化されたのか、それとも世凪への対抗心からか……。
 とにかく、莱牙がしていることは、一見、めちゃくちゃのようにも思えるが、それほど悪いことでもなく……むしろ、見方を変えればいいことだったりするので、誰もその行動をとめようとはあえてしなかった。
 今のところ。
 そうすることによって、彼が負った心の傷が、少しでも癒されれば……紛らわせるのなら……。
 そう思っていたのかもしれない。
 彼の傷心は、彼のまわりにいる者ならば、誰でも知っている。
 そしてその傷は、いまだ癒えていないことも。
 そんな莱牙の変わりぶりには、理由があることも知っている。
 それは、一人の人間の少女によるもの。
 その少女が、あの手のつけようのないくらいすれていた莱牙を変えた。
 他人のことなどどうでもよく、横柄に振る舞っていた莱牙を変えた。
 彼の偉そうなその態度は変わらないものの、彼はまわりに目を向けるようになった。
 それは、優しい心をもって。
 たった一人の非力な少女が、王族である彼を変えた。
 彼の変化の最も大きなものは、彼が限夢界に与えた最も大きな衝撃は、誇り高い王族が、人間の少女の使い魔となった……ということである。
 それは、これまでの限夢界の常識を大きく覆した。
 いや。史上初。
 あってはならないことであったはず。
 そのことは、瞬く間に限夢界に広がり、一時は、限夢界中を驚きで満たしていた。
 それでも、莱牙は、それはそれで、今の状態を満足しているようにも見える。
 いつも、そばで、愛しい少女を見守ることができるから。
 それが、彼にとって、最も大きな収穫。


「……ったく、何なんだ!? あの女どもは……!」
 城下の表通り。
 晩秋の風が、肌を刺激する。
 気温や温度の概念がない限夢人でも、その熱の変化は感じる。
 ただ、寒くても、暑くても、まったくこたえない。平気……だというだけで。
 人のぬくもりや、食べ物のあたたかさなど、その辺りはちゃんと理解することができる。
 まったく、便利にできているとつくづく思う。
 近頃、人間である柚巴がまとっているものが、少し前までひらひらの薄い布だったそれから、「寒くなってきたね〜」と言って、少し分厚い布へと変化しているから……。
 人間は、不便なものだなと思う。
 だけど、そうやって、季節の移り変わりを楽しんでいる人間が、少しうらやましくも感じる。
 柚巴を見ていると。とても楽しそうだから。
 普段から、どんな些細なことでも、楽しそうにくるくる表情を変える少女だけれど、素直にそう思える。
 見ているこちらも、一緒に心があたたかくなっているように思う。
 柚巴という少女は、そんな不思議な魅力を持つ少女。
 莱牙は、つくづくそう思う。
 ひゅうと小さな風が起こる城下で、莱牙はぶつぶつと言いながら、着崩れた服を面倒くさそうに直していく。
 そんな莱牙の一歩後ろから、心なしか、楽しそうな声がかかる。
「あはは。ずいぶんひどくやられたものだね、莱牙さま。もてもてですね」
 それから、くくっと、笑いをこらえているような音がもれてきた。
 瞬間、不機嫌だった莱牙の顔が、さらに不機嫌な色をかもしだす。
「お前、楽しんでいるだろう?」
 最後に残ったマントをはおりなおし、莱牙はぎろりと一歩後ろを歩く紗霧羅をにらみつける。
 すると紗霧羅は、すかさずにやっと微笑み、けろりと言い捨てた。
「まさか!」
 さらには、その視線を一時の方向へ向け、やはり楽しそうにくすくすと笑っている。
 つい先ほどまで、莱牙の身に降りかかっていたことを思い出し、笑っているようである。
 莱牙のこのあられもない着崩れた姿をつくった、その原因を思い出し……。
 実に、見もので楽しいパフォーマンスだった。
 若い女たちにかこまれ、もみくちゃにされている莱牙というものは。
 もちろん、莱牙も、言葉とは裏腹に、明らかに楽しんでいる紗霧羅に気づかないはずがない。
「……見ていたのなら、何故助けない?」
 むっつりと目をすわらせ、はき捨てるように言う。
 しかし、紗霧羅はそんなものにひるむようなお姐さんではないので、さらりと答える。
「だって、莱牙さまの女好きは有名ですからね」
 口の端を少し上げ、嫌味っぽく微笑んでみせる。
 その目も、心なしか、皮肉るような光をたたえている。
「それは一体、いつの話だ?」
 当然のことながら、莱牙は憎らしげにそう言い捨てる。
 たしかに、かつては浮名を流す莱牙であったけれど、近頃は、めっきりそんなことはなくなった。
 むしろ、一途に、他の男のものになった少女を思い続ける……。
 思わず同情してしまいそうになると、城下では言われるようになっている。
 女好きどころか……一人の少女に入れ込みすぎて、かわいそうな恋愛をしている……とまで言われているのに……。
 もちろん、紗霧羅もそれを知っているし、そう思っている。
 もっと楽な恋ができればいいのに……。
 そう思わない日はない。
 王宮で、仲睦まじいあの二人をその目にした時の、苦しそうな莱牙を見れば。
 あの少女以上に、莱牙が思いを寄せる少女が現れれば……。
 そんな果てしない、あてもない願いすら生まれて……。
 見ているこちらが、いたたまれなくなる。
「さあって、いつのことでしょうね?」
 莱牙の問いに、紗霧羅がしらじらしくそう答えると、莱牙は舌打ちして、そのまま紗霧羅の前からすたすたと去っていった。
 城下の雑踏に消え入るように。
 マントをなびかせ、颯爽と歩くその姿は……哀愁を秘めていた。
 紗霧羅もまた、舌打ちしたい心境になる。
 その後姿を見ていると。
「やれやれ。ちょっとからかっただけなのに。あの王族さまときたら……」
 ぽりぽりと頭をかき、ふうとため息をもらす。
 もう人ごみに消えて見えなくなった莱牙の後ろ姿を、追うように前方を見つめ。
 本当に、莱牙はやっかいな恋をしたものである。
 紗霧羅の莱牙を見る目は、知らず知らず、いつもそう言っている。
 決して、本人にそれを知られないように、本人に見えないところで……。
 そしてまた、大きくため息を一つもらし、気をたどるように莱牙の後を追いかけていく。


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update:04/10/09