莱牙の憂鬱
(2)

「あ……。莱牙さまに、紗霧羅ちゃん」
 むっつりふくれてすねた莱牙は、まっすぐに王宮へ帰ってきた。
 あのままの気持ちでは、城下を散策したところで、まったく楽しくもなんともない。
 むしろ、また絡まれ、もまれ、衣服をはぎとられないとも限らない。
 ならば、王宮に帰り、そしてそこであの少女の顔でも見よう。
 そうすれば、このいらいらした気分が、少し落ち着くかもしれないから。
 あの少女の姿を見るだけで、どんな時でも不思議に気分が落ち着くのは何故だろうか。
 王宮に戻り、しばらく回廊を歩いていくと、柱の陰からそう声がかかった。
 聞きなれた、耳にとても心地よいその声。
 きれいで澄んだ……透き通った声。
 その声を聞いた瞬間、心臓がどくんと飛び出しそうになった。
 しかし、それをその声の持ち主に悟られまいと、莱牙は平静を装う。
 妙に落ち着いた雰囲気をかもしだし、ゆっくりと柱の陰に視線を移す。
 そんな莱牙を、紗霧羅は複雑そうに見ていた。
「柚巴か。いいのかい? こんなところでうろちょろしていて」
 だけどすぐに、紗霧羅も莱牙の視線の先にいる人物に視線を移し、つつっと歩み寄っていく。
「うん。つかまっても、世凪が助けてくれるし」
 紗霧羅の視線の先の人物も、楽しそうにくすくすと笑いながら紗霧羅へと歩み寄っていく。
「確かに!」
 紗霧羅の前までその人物……柚巴がやってくると、紗霧羅はぎゅむっと愛しそうに抱きしめた。
 すると、柚巴も、少し照れたふうに顔を染め、おとなしく紗霧羅に身をゆだねる。
 そうして二人、やはりくすくすと笑い合う。
 そんな二人を、一歩はなれて、莱牙はじっと見ていた。
 もの言いたげに。もの欲しそうに。
 とても……紗霧羅がうらやましそうに。
 そして、今、柚巴の口からでた名の男を、憎らしく思い。
 あの男が、柚巴を独り占めしていると思うと……。
 気づけば、ぎりりと奥歯をかみしめていた。
 そんな莱牙に、突如、どすんという衝撃が加わった。
 ちょうど腰の辺りが、いちばん強い衝撃を受けたと思われる。
 不覚にも、かくんと膝が折れそうになった。
「……!?」
 一瞬、驚いたものの、莱牙は何かを悟り、はあと大きなため息をもらす。
 そして、衝撃を受けた腰のあたり……後方ななめ下をじろりと見下ろす。
 するとそこでは、にっこりと微笑む華久夜が、莱牙の腰に抱きついていた。
「……華久夜……」
 呆れたような、うっとうしそうな、そんな声が莱牙の口からもれる。
 本当に、ところかまわず、どこにでもわいて出るのだから。この妹は。
 まるで、どこかのとっても気に食わない王子様のように。
 そんな莱牙を、莱牙に抱きついたまま、華久夜はじっと見上げる。
 そして、ぽつりとつぶやいた。
「淋しいの?」
 ふっと顔を切なくさせ、華久夜は意味ありげに莱牙を見つめる。
 そんな華久夜の言葉と表情に、莱牙はちっと舌打ちした。
 まるで、見透かされているような気がして。
 この妹は、いつもいたいところをついてくる。
 いつも、狙ったように禁句を告げてくる。
 それは、言ってはならない……言って欲しくない言葉なのに。
 できることならば……ずっと聞きたくない言葉。
 この気持ちに、ふんぎりがつくまで。
 もしくは、変化が起こるまで……。
 それは、どこにとは言わない。何にとは言わない。
 どうなるか、まだわからないから。
 未来は、ずっとずっと続き、見えないから。わからないから。
 もしかしたら……自分の望みがめぐってくるかもしれないから。
「……何を……言っている……」
 しかし、今受けた衝撃による動揺は、隠しきることはできないようである。
 どうしても、声に……それがでてしまう。
 自分でも、今の自分の声は、うわずっているとわかってしまった。
 そんなに動揺しているなど思っていないが、実はそれほどまでに動揺しているということになるのだろうか?
 わからない。どうして、こんなに思い通りにならないのか……。
 すべてのことが。
 いや。たった一つのことが。
 最も望んでやまないそれだけが、思い通りになってくれない。
「わたしは騙せないわよ。お兄様」
 どうやら、それすらも、この妹にはわかってしまうようである。
 得意げにそう言って、華久夜は、その小さな体で大きな兄をきゅっと抱きしめる。
 そんな華久夜の頭を、莱牙はくしゃりとなでていた。
 きっと妹は……いつも口は悪いが、その裏では、兄を励まそうとしてくれているのだとわかるから。
 どんなに悪態をついても、どんなに小悪魔な所業をしても……。
 たまにこういうことをされると、どうしても愛しく感じてしまう。
 本当に、妹とは、不思議な存在。
 そうやって、嫌がる華久夜の頭をぐしゃぐしゃとなでていると、二人に声がかかってきた。
 それは、横で楽しそうにくすくすと笑っていた声。
「華久夜さま、来ていたのですか?」
 どこか、迷惑そうにも思える声色である。
 莱牙とじゃれる華久夜は、その声にぴくりと反応する。
 そして、頭をなでる莱牙の手をばしっとはらいのけ、ひょいっと莱牙の前に躍り出る。
 そこから、目の前にいる紗霧羅をおもしろくなさげに見上げる。じとりと。
「あら。紗霧羅。久しぶりね」
 そうやって、ふんとふんぞりかえってみせる。
「そうですね」
 しかし、紗霧羅はそんなものに気にしたふうはなく、さらりとそう言葉をかえす。
 簡単に……あしらわれているような気がして、華久夜はぷうと頬をふくらませた。
 いつもいつも、この女史はおもしろくない。
 むうと紗霧羅をにらみつけていたが、すぐにころりと表情をかえ、ついでに視線も紗霧羅の向こう側にうつし、華久夜はあっさりと紗霧羅を無視する。
 これもまた、いつも華久夜と紗霧羅の間では行われていること。
 何故だか、この二人は、仲がいいように見えて、何かといってはいがみ合っているように思えてならない。
 そうかと思うと、楽しそうに笑い合っている姿もよく目にするので……。
 一体、どちらが本当なのか……。
 それとも、どちらも本当なのか……。
 いい加減、はっきりしてもらいたい。
 ひょいっと紗霧羅をよけ、紗霧羅の後ろにいた柚巴の前に歩み出る。
 そして、嬉しそうににっこりと微笑む。
「柚巴は……また歩きまわっているのね?」
 それからすぐにそう言って、非難めいた視線を柚巴へ投げかけた。
 人がこんなに心配しているのに、あなたって人は……。
 華久夜の目は、そう言っている。
 だから柚巴も、ばつが悪そうに肩をすくめるしかない。
「うん。だって、暇なんだよ。世凪ってば、また王様につかまっちゃっていて……」
「ここのところ、ずっとそうね?」
 柚巴の答えに、華久夜ははあとため息をもらす。
「……仕方ないからね?」
 そんな華久夜に、柚巴は苦笑してみせた。
 華久夜は、もうそれ以上は言えなくなってしまった。
 柚巴の事情は、よく知っているつもりだから。
 やっぱり、大好きな莱牙には、悲しい思いをして欲しくないけれど、それ以上に、大好きな柚巴に、淋しい思いをして欲しくないから。
 だから、どちらもの原因になっている、あの世凪が憎くてたまらない。
 柚巴は一体、あんな男のどこがいいのか……。
 今もってそう思えてならない。
 今もって腑に落ちない。
 あんな男に柚巴を独り占めされるくらいなら……華久夜がめいっぱい独り占めしたいのに。
「莱牙さま……? どうしたの? 元気ないけれど……」
 むうと頬をふくらませる華久夜の向こうに、ちらっと莱牙の姿が見え、柚巴はそう聞いていた。
 そして、ととっと莱牙に歩み寄り、心配そうにその顔をのぞき込む。
 瞬間、莱牙の顔がかっと赤くなり、それを誤魔化すようにさっとそむけられた。
 それでますます、柚巴はわけがわからなくなり、怪訝そうに眉をひそめる。
 そんな柚巴の腕をぐいっとつかみ、華久夜はあっけらかんと言い捨てる。
「ああ、いいのよ、柚巴。ちょっとわたしがお兄様をいじめすぎただけだから」
 そして、ぐいぐいと腕を引き、莱牙からひきはなしていく。
 そんな華久夜の行動が、いつもなら憎らしく思うけれど、この時ばかりはありがたく思えた。
 不覚にも、この赤くなった顔を柚巴に見られなくてすむから……。
 どうして、こんなことくらいで、こんなことになってしまうのか……。
 つくづく、莱牙は、柚巴がからむと冷静でいられなくなると思い知らされる。
「もう。華久夜ちゃんってば」
 顔をそむけたそこで、柚巴の困ったような声が聞こえた。
 しかしすぐに、くすくすという笑い声も聞こえてきて……。
 それにあわせるように、華久夜と紗霧羅の笑う声も聞こえてきた。
 どうやら、華久夜のおかげで、柚巴にそれを誤魔化すことができたらしい。
 そうやって、莱牙は一人、楽しそうに笑い合う女性三人の横で、顔を赤らめて動揺し続けていた。
 それは、無理もないだろう。
 いきなり、好きで好きでたまらない少女の顔が、至近距離にきては。


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update:04/10/14