莱牙の憂鬱
(4)

「ありがとうございました。危ないところを助けていただいて……」
 恥ずかしそうにうつむきながら、莱牙に向かってそう礼を言う少女がいる。
 すうっとまっすぐにのびた綺麗な金髪が顔にかかり、しおらしさを演出している。
 普通の男ならば、その清楚さに簡単にノックアウトされてしまいそうである。
 しかし、莱牙はさして気にしたふうもなく、いつものぶすっとしたおもしろくなさそうな表情を浮かべている。
 たしかに、莱牙にとっては、目の前にどんな美少女が現れようとも、柚巴以上に心惹かれる少女などいないだろう。
 半ば意固地になっているのではないかと思えるほど、莱牙は柚巴でなければ駄目。意味がない。
 それは、どこかの王子様にも言えることだけれど……。
 いや。柚巴に心惹かれる使い魔たち全員に言えることかもしれない。
 どんなに綺麗な女性でも、柚巴に敵う女性などいない。彼らにとって。
「いや……。たいしたことじゃない」
 莱牙は面倒くさそうにそう答えると、さっさと踵を返す。
 少女は、そんな莱牙をなんとかひきとめようと、必死で食い下がってくる。
「ですが……。あの、本当にありがとうございました。何か……お礼を……」
 それも、本心である。
 危険なところを助けてもらったのに、お礼もせず、このまま帰すことなんてできない。
「そんなものはいらん。無事なら、わたしはもういく」
 しかし、やはり莱牙は莱牙である。
 とりつくしまもなく、あっさりとそう切り捨てる。
 たしかに、莱牙のことだから、礼が欲しくて助けたのではないだろう。
 たんなる気まぐれ。
 目の前で危険にさらされている少女がいたから、だから気まぐれで助けただけ。
 助けずに、見たくもない悲惨な惨状を見せられるくらいなら、その方がいくらかましだから。
 そう。馬車に轢かれた死体など、そんなものは想像するだけで気分が悪くなる。
 莱牙の人助けの動機など、所詮その程度である。
 事が柚巴に及べば、話は大きくかわってくるけれど。
 莱牙はうっとうしそうに少女を一瞥し、ふわりとマントを翻した。
 それは、もうこれ以上俺にかかわるな、という拒絶の合図に見てとれる。
 それが、どれだけこの少女を傷つけることになろうとも、莱牙の知ったことではない。
 たかが、馬車に轢かれそうになったところを助けただけで、礼だの何だのと言われては、逆に迷惑である。
 ただでさえ、柚巴たちとはぐれ、むしゃくしゃしている時だったのだから。
 柚巴一人なら、きっと必死で莱牙を探してくれるだろう。
 しかし、今回は、あの小姑二人がついている。
 華久夜と紗霧羅。
 あの二人のことだから、どうせ、「お腹がすいたら、適当に帰ってくるでしょう」などと言って、莱牙を心配する柚巴を、問答無用でつれまわしているに違いない。
 そう想像するだけで、本当に腹が立つ。
 あながち、はずれていないはずだから。
 いや。むしろ……もっとひどい言われようをしているかもしれない。
 相手が相手だけに。
 それにしても、そんな不機嫌な状況下にもかかわらず、ほぼ反射的に人助けをしていたなど……。
 恐らく、それは、柚巴の影響なのかもしれない。
 柚巴の心に触れ、知らず知らず影響を受けていた……?
 そう思うと、胸がくすぐったくなる。
 本当に……全ては柚巴を中心に動いているように思えて。
 たしかに、今の莱牙を動かすものは、ほぼ一〇〇パーセント、柚巴なのかもしれないけれど……。
 そうやって、一人、柚巴のことを考え、少し機嫌が回復にむかいつつある時だった。
 また、この少女が口を開く。
 おかげ、気分は急降下。
 腹立たしい。
「あ、あの、わたしは、未鵺(みぬえ)と申します。書記長、馬鵺(まぬえ)の娘です。よろしければ、お名前を……」
 あからさまに不機嫌オーラを漂わせる莱牙に、未鵺と名乗る少女がそこまで言いかけた時だった。
 ふいに、莱牙の名を呼ぶ声があった。
「莱牙さま……?」
 瞬間、莱牙はぴくんと体を震わせ、勢いよく声のする方へ振り返った。
 心なしか、その顔も、瞬時に色を変えたように思える。
 頬がゆるみ、ほころんでいる。
 莱牙の視線の先では、ぶうたれる華久夜と紗霧羅をむりやり引っ張る柚巴がいた。
 首を少しかしげ、安堵したようにやわらかな微笑みを莱牙に送っている。
 つきんと胸が痛んだ。
 柚巴の姿を見た瞬間。
 それは……嬉しさで。
「柚巴……」
 明らかに、その声色も先ほどまでのものとは違う。
 硬質だった声が、やわらかいものになっていた。
 ふっと目を細め、まぶしそうに柚巴を見つめる。
「もう! 莱牙さま、探したのよ。一人でふらふらするから〜」
 つんと口をとがらせて、非難するようにそう言ってみせる。
 しかし、その目は決して非難などしていない。
 むしろ、莱牙をからかっているように、優しく細められている。
 当然、莱牙なら、そんな言葉をもらっては、むきになって言い返してくる――
「すまん。今度からは気をつける」
はずなのだけれど、今回は、妙にしおらしく、素直にそう謝ってきた。
 当然、莱牙のそんな気持ち悪い態度に、柚巴の後ろでは、華久夜と紗霧羅が、これでもかというほど顔をゆがめている。
「わかったらよろしい!」
 しかし、柚巴は、莱牙のそんな気持ち悪い態度を気にしたふうもなく、そうやってくすくすと笑いながら、冗談を続けている。
 そんな柚巴に、莱牙は複雑そうに笑うしかなかった。
 不服だけれど……この場合、とるべき正しい反応は、華久夜と紗霧羅のそれである。
 莱牙が妙に素直に謝ったというのに、柚巴は気にしてもくれないなんて……。
 所詮、柚巴にとって、莱牙の存在とはその程度のものなのか?と、胸が冷たいものを感じる。
 これが世凪ならば……恐らく……。
 いや。世凪であっても、柚巴ならば……たいして変わらぬ反応を見せるかもしれない。
 柚巴とは、そういう少女だから。
 妙に人の心に敏感かと思えば、あきれるほど鈍かったりする。
 一体、何が本当なのかわからない少女。
 一人楽しそうにくすくす笑っている柚巴が、何かに気づいたようにぴたっと笑いをやめた。
 みれば、柚巴の視線は、莱牙のすぐうしろに向けられている。
「あれ……? そちらの彼女。莱牙さまの知り合い?」
 そうやって、すすっと莱牙に歩み寄り、そこからひょこっと莱牙の後ろにいる未鵺をのぞき見る。
 そして、未鵺と視線があった瞬間、にっこりとかわいらしい微笑みを浮かべた。
「いや」
 莱牙が返した言葉は、残酷にもそんな短く冷たいものだった。
 それを柚巴は、少し訝しがり、納得しきれない様子でつぶやく。
「ふ〜ん……」
 そして、じっと莱牙を見上げた。
 するといきなり柚巴の腕をぐいっとつかみ、莱牙はばつが悪そうに声を荒げる。
「それよりも、ほら、行くぞ!」
 そうやって、ぐいぐいと柚巴の腕をひき、ずんずんと歩いていく。
 城下の表通りを。にぎやかな街中を。
 その後を、半ばあきれたような華久夜と紗霧羅が慌てて追いかける。
「ちょっと待ちなさいよ、お兄様!」
「はあ〜、やれやれ。困った王族様方だ……」
 柚巴の腕をひき、ぐんぐんと歩いていく莱牙の後を追う華久夜と紗霧羅は、ここぞとばかりに言いたい放題言っていた。
 「柚巴をさらうなよ〜!」や、「お兄様の誘拐犯っ!」などと……。
 ひときわ騒がしい四人を、未鵺はじっと見つめるように見送る。
 そして、半ば呆然といった様子で、ぽつりとつぶやいた。
「あの方が……莱牙さま……?」
 胸の前で、きゅっと両手を握り締める。


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update:04/10/23