莱牙の憂鬱
(6)

「あの……おうかがいしてもよろしいですか?」
「え?」
 もじっと体を遠慮がちによじり、未鵺は柚巴を見る。
 気持ちよさそうに夜風に吹かれていた柚巴は、ふいのその言葉に、少し驚いたように未鵺へ向き直る。
 そして、先ほどと同じように、きょとんと首をかしげる。
 どうも、不思議なことやわからないことがあると首をかしげてみせるのは、柚巴の癖らしい。
「……何?」
「……あの……昼間お会いした方を、柚巴さまは莱牙さま≠ニお呼びになられていましたが……」
 本当は、こんなことを聞くこと自体はばかられるのだけれど、どうしても知りたくて、もうなりふりなどかまっていられない。
 この問いかけをした未鵺には、そんな様子がうかがえた。
 それほど、切羽詰っているというのだろうか。
 柚巴にしてみれば、そんなたわいもないことで。
 しかし、臣下である未鵺が、柚巴に莱牙のことを尋ねるなど……本来、あってはならないこと。
 ……と、少なからず未鵺は思っている。
 このように気安く柚巴と会話をかわすことからして、本来は恐れ多いことのはずである。
 ただ……柚巴は、本当に気さくに話してくれるから、つい、そのことを失念してしまって……。
 そして、未鵺にとっては、昼間の命の恩人の正体を確かめることは、とても重要なことである。
 ……お礼が……まだできていない。未鵺の満足のいく。
「え? ああ、うん。莱牙さま? 莱牙さまがどうかしたの?」
 予想していたとはいえ、柚巴の口からは、なんとも軽く莱牙の名が出てきた。
 本当に……仲がいいのだな……と、実感させられる。
 話にはきいているけれど……。
 当たり前のように柚巴の口から莱牙の名がでてきて、ちくんと未鵺の胸が痛んだような気がした。
「いえ。そうではなく……。お礼をしたいのです。昼間、助けていただいたお礼がまだで……」
 その胸の痛みに気づかないふりをして、未鵺はそうやって柚巴に答える。
 それも嘘ではないけれど……本当は、もっと別な何かを期待して、昼間の恩人の正体を確認しているのかもしれない。
 冷たいバルコニーのてすりにすっと右手を置き、目を細め、夜の庭に視線を馳せる。
 少しでも……今心を支配するぎすぎすとした感情を誤魔化せればと。
 つい先ほど、この未来の王妃に敬意を抱いたばかりだというのに……。
 当たり前のように柚巴の口から莱牙の名がでて、胸に黒いものが浮上してきた。
 それは一体……何を意図しているのだろうか。
 未鵺にはわからない。
 だけど、決しておもしろいものではない。
「え!? 莱牙さまが、何か人助けになるようなことをしたの!?」
 しかし、そんな未鵺に、柚巴らしいといえば柚巴らしいが、まったく気づいていない。
 ずいっと未鵺に身を乗り出し、狐につままれたような表情を浮かべる。
「え……?」
 そんな柚巴の大きなリアクションに、逆に未鵺が驚かされてしまった。
 庭に馳せていた視線をさっと柚巴に合わせ、目を見開く。
「え……?≠チて……。だって、あの莱牙さまだよ!?」
 やはり柚巴はどこか青い顔をして、驚きをあらわにしている。
 信じられないと、未鵺に迫る。
「まったく……。お前は、人のことを何だと思っている?」
 そんな柚巴の肩ががしっとつかまれ、耳元で低い声がその言葉を告げた。
 瞬間、柚巴の肩はびくんとふるえる。
 そして、「あはは」と愛想笑いをしながら、後ろを振り返った。
 するとそこには、とってつけたように莱牙の顔がある。
 むっつりと目をすわらせ、非難がましく柚巴を見ている。
「あらら。莱牙さま」
 しかし、そんな莱牙の表情も、柚巴にはまったくこたえない。
 少しおどけて、あっけらかんと答える。
 当然、わかっていたこととはいえ、柚巴の予想通りの反応に、莱牙はがくんと脱力した。
 そして、頭を抱える。
 そんな莱牙を、柚巴はおかしそうにくすくすと笑っている。
 頭を抱えたその隙間から、ちらっと柚巴を見て……莱牙もまた、そこで微苦笑を浮かべていた。
 本当に……柚巴は……。
 そんな、見守るような眼差しを柚巴へ向け。
 それが数秒続いた後、莱牙はすっと姿勢を正した。
 そして、いつもの不遜な態度に戻り、柚巴の横にいる未鵺に冷ややかな視線を送る。
 先ほどまで柚巴を見ていたその視線とは、明らかに違う。
「礼はいらんと言ったはずだろう。しつこい。うっとうしい」
「ちょっ……! 莱牙さま!!」
 その言葉どおり、冷たい視線と冷たい声で、さらりとそう言い捨てる。
 そんな莱牙を、柚巴が慌ててとめる。
 しかし、もうすでに遅い。
 莱牙の言葉に、大きな衝撃を受けたように、未鵺は蒼白な顔をしている。
 明らかに、傷ついている。
 それはもちろん、莱牙の目にも入っているはずであるのに、莱牙はとめる柚巴をおさえつけ、さらに続けていく。
「それと、変な誤解はやめてくれ。迷惑だ」
 莱牙は何かを悟りきったように、じろりと未鵺をにらみつけた。
 未鵺も、それだけで莱牙が何を言おうとしているのかわかったらしく、今にも泣き出してしまいそうな顔で、すっと莱牙から視線をはずす。
 小刻みに、体が震えている。
 そんな未鵺をおろおろと見ている柚巴の肩を、莱牙がすっと抱き寄せた。
 そしてそのまま、自らのマントの中へ引き入れる。
 ふわりと、やわらかな衣が柚巴の肩を覆う。
「それより柚巴。夜は冷える」
 さらっと話にピリオドを打ち、さっさと次のその話題へと移っていく。
 たった今まで話していた未鵺のことなど、とるに足りないと。どうでもいいと。
 そんなつまらないことよりも、今は、柚巴が寒くないようにすることがいちばん大切なこと。
「莱牙さま……?」
 そんな莱牙を、柚巴どこか切なそうに見つめる。
 その目は一体、何を言いたいのか……。
 誰にも、その真意はつかめない。
 傷つき、うちひしがれている未鵺を思っているのか……。
 莱牙がとるこの行動から推し量れる、彼の思いに気づいているのか……。
 ただ、今柚巴に寄せる莱牙の優しさが……重い。
「はおっていろ。どうせ、しばらくはここにいるのだろう? ……まったく、あいつらは、いつまでこんな茶番を続ける気だ?」
 柚巴のその思いを敏感に察したのか、莱牙はまた話を別の方向へと持っていこうとする。
 むすっと、不機嫌オーラを漂わせ。
 それが、柚巴には莱牙の気づかいのように思えた。
 事実、莱牙は柚巴の気持ちを敏感にくみとり、そしてそのように取り計らっているのだろうけれど……。
 莱牙の願いは、柚巴がいつも幸せに微笑んでいることだから。
 だから、そのためになら、こんなことくらい物の数にも入らない。
 柚巴が微笑めるのならば、誰が傷つこうが関係ない。かまわない。
 莱牙にとって最も大切なことは、柚巴の笑顔を守ることだから。
 もう少しだけ、柚巴の肩を抱く手に力をこめてみる。
 もう少しだけ、ぬくもりを伝えるように。
 秋の夜風は……冷たいから。
 そう言い訳して。
 そのような莱牙を、未鵺は夜の庭を眺めるふりをして、目の端にとらえていた。
 ぎゅっと、冷たくてかたいてすりをにぎりしめる。
 その手が白く変色するまで、強く。
 苦しくて……たまらない。
 何故、こんなに苦しいのか……。
 そして、何故、こんなに泣きたいのか……。
 わからない。
 夜空にぽっかりと浮かぶ、もうすぐ十五夜目をむかえる月を仰ぎ見る。
 未鵺の目には、その月は、不気味に映ってしまった。
 自然、ぶるると身震いが起こる。
 その煌々(こうこう)とした月光に、嘲笑われているような気がする。
「……泣いちゃだめよ」
 必死に涙をこらえる未鵺の耳に、そんな言葉が飛び込んできた。
 慌てて視線を月から戻してくると、そこには、腰に両手を添え、ふてぶてしく微笑む華久夜がいた。
 未鵺は驚き、華久夜を見つめる。
 すると華久夜は、ひょいっと背伸びし、未鵺の耳元へと自分の顔を近づけていく。
 そして、そこでぽそりとささやく。
「お兄様は、もうずっと柚巴が好きなの。……決してむくわれることはないけれどね?」
 そう言って、くすりと困ったように微笑んでみせる。
 そんな華久夜を、未鵺は見つめていた。
 その目の焦点はあっておらず、泳いでいた。
「だからね、いくら待っても、あなたには振り向かないの。……今のうちに、傷の浅いうちに、諦めなさい」
 もう十分に打ちのめされているであろう未鵺に、さらに追い討ちをかけるように、華久夜は容赦なくそう言い放つ。
 そして、ついっと未鵺に背を向ける。
 一体どこから……いつの間に現れたのか、紗霧羅が呆れたようにそんな華久夜を見ていた。
「……ったく、華久夜さまは、まるでいばら姫だね」
 はあとあてつけがましく大きなため息をもらす。
 当然、華久夜の眉間が、ぴくりと怒りに動く。


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update:04/10/31