莱牙の憂鬱
(8)

 城下に、こんな噂が流れた。
 いつものように城下を散策していた柚巴たちの一行が、突然、反王族派に襲われたという。
 そして、その時、危機一髪のところで、柚巴を莱牙が救った。
 その後、反王族一味は、容赦なく、王子の制裁を食らった。
 それはそれは、もう死んだ方がまし……と思える、恐怖の制裁だったという。

 もちろん、この噂は、そう時間を要さず、未鵺の耳にも入ってきた。
 近頃、城下の話題といえば、この三人の若き王族たちでもちきりだから。
 良いにしろ悪いにしろ、彼らの噂はかっこうの話題となる。
 それを耳にした城下の者たちは、思い思いに意見を言い合うにとどまるのだけれど……未鵺は、それではどうにも我慢ができなかった。
 その噂には含まれていなかった、柚巴の安否。
 それが気になって仕方がなかったから。
 話題に上らないということは、当然、無傷であるということを失念するほど、未鵺は動転していたのかもしれない。
 そこで、未鵺は、誰に告げるでもなく、その噂を聞いた勢いのまま、王宮へと向かった。
 柚巴は、彼女が認めた未来の王妃。
 そして、少しの会話で、柚巴の人柄に触れ、惹かれていたのかもしれない。
 ……もちろん、それもあるが、それは口実にすぎないことも、未鵺はなんとなく気づいていた。
 本当は……柚巴よりも……莱牙、その人が気になって仕方がなかったから。
 一目見たいから……。
 柚巴を助けた時、莱牙は怪我などしなかったのか……。
 そんなつまらない怪我をするほど莱牙は弱くはなく、また、それも話題に上っていないということは、気にするに値しない。
 焦る気持ちを抱き、未鵺は王宮の門をくぐった。
 そして、普段噂で聞く、莱牙が王宮で行きそうな場所を、手当たり次第まわりはじめる。
 そうはいっても、未鵺にはたった一ヶ所、近寄ることもできない場所がある。
 それは、王子の居住区。
 莱牙がよく姿を見せる場所だが、そこは、未鵺ごとき身分では近寄ることすらできない。
 だから、仕方なく、そこだけははずし、神域や会議室などといった場所を手当たり次第まわっていく。
 あてをいくらか巡った頃だったろうか。
 ここを逃せば、あとはもう王子の居住区しか残されていないという場所へやってきた。
 それは、中庭。
 中庭に続く回廊を、はあはあと息を弾ませ、未鵺は駆けている。
 そして、ようやく、中庭のテラスを目にとらえることができた。
 しかし、そこで思わず、ぴたっと足をとめてしまった。
 何故ならば、そこには、噂の王子がいたから。
 だけど、王子は一人ではなかった。
 王子の目の前には、花々の中にぺたんと座り込む柚巴がいた。
 花に埋もれた柚巴を、跪き、優しい瞳で見つめる王子がいる。
 二人は仲睦まじそうに、顔を寄せ合い、くすくすと笑い合っている。
 探していた一人を見つけることができたけれど、未鵺は声をかけられなかった。
 いくら気さくな姫君とはいえ、まさか、王子との逢瀬を楽しんでいるところに割って入っていくなどできようはずがない。
 それよりも何よりも……二人の間には、何人たりとも入り込む隙がないほど、あたたかく優しい空気に包まれていた。
 互いが互いを思い合う、大切にしている……恋人たちの光景。
 ……噂以上の仲のよさを目の当たりにした。
 そこで未鵺は、柚巴の無事を遠くからそっと確認するだけにとどめ、そのまましょぼんと踵を返した。
 するとその時、ちょうど回廊の向こう側から、誰かの話す声が聞こえてきた。
 いや、それは、誰か……などではなく、聞き覚えのある声。
 違う。聞き覚えのある声なんてものではない。
 胸を締めつける、切なくさせる、その声……。
 その声は……数日前、未鵺を暴走馬車から救ってくれた、あの人の声……。
 未鵺は、瞬間、思わず、手近にあった扉のノブを握っていた。
 そして、その扉を押し、部屋の中へ滑り込む。
 別に隠れる必要などないはずだけれど……。
 何故だか隠れてしまった。
 なんだか……今、莱牙と会ってはいけないような気がして。
 たしかに、その眼中にすら入れられていないことは知っているけれど……。
 今、莱牙の前に姿を現すことは、ためらわれる。気まずい。
 そうやって、飛び込んだ部屋の扉にぐったりと背をあずけ、未鵺は耳をすませる。
 いくら逃げてしまったとはいえ、やはり、その声は気になる。
 もっと聞いていたい……そう思うから。
 それは、盗み聞きにあたるのかもしれないけれど……。
 だけど、聞きたくて仕方がない。
 胸に響く、莱牙のその声を。
 少し低い、通ったその声。
「……莱牙さま」
 扉に身を預ける未鵺の耳に、そう莱牙の名を呼ぶ声が聞こえてきた。
 その声にも聞き覚えがある。
 この声はたしか……あの夜、宴の夜、莱牙とともにバルコニーから去っていった、青髪の女性。
 大人っぽくて、莱牙と対等に話をしていた……あの女性。


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update:04/11/08