まわり道

 まわり道をして帰ろう。
 もう少し、こうやって手をつないでいたいから。
 この世でいちばん大切な人のぬくもりを、少しでも長く感じていたいから。
 触れ合っているだけで、心はまるで、春のひだまり。
 ――まわり道をして帰ろう。
 その言葉だけで、思いは十分に通じ合う。
 なんて素敵な合言葉なのだろう。


「……」
 私立翔竜崎高等学校、校門前。
 ゆるやかな坂道を下ってくると、そこには見慣れた男の姿が。
 その男の姿を見つけたとたん、柚巴はぴたっと足をとめ、無言で見つめてしまった。
 目に、不審な光をたっぷりこめて。
 ――思いっきり注目をあびている。
 何しろ、その男は、これから仮装行列にでも参加するのか、と言わんばかりのいでたちだから。
 真っ赤な髪に、真っ黒なマント。
 ぽかぽか陽気のもうすぐ春を迎えるこの日に、暑くはないのだろうか。
 何よりも、その王子様然とした立ち振る舞いが……ちょっと……。
 ここに庚子でもいたら、すぐさま歩み寄り、拳の二、三発、蹴りの四、五発は入れていそうな勢い。
 ……いや。そうではなく。
 春先になると、変質者がでやすくなると聞くけれど、もしかして、この男も、そういった類?
 じろじろと、通り過ぎる生徒すべてが、その男を見ていく。
 もちろん、訝しげに。
 年の頃は、彼らと変わらない。
 しかし、その男からにじみ出る威圧感は……人生の酸いも甘いも心得た年頃のもののようにも感じる。
 何だろう、この圧迫感は。俺様な雰囲気は。
 その男が、ちらっとみじろぎすると、そのまわりにいた生徒たちは、びくりと体を震わせている。
 その様子を見て、柚巴がこめかみをおさえた。
 きりきりと、嫌な痛み方をする。
 そうやって、柚巴までも、ここは目を合わせずに通り過ぎようかと、また足を一歩踏み出した時だった。
 ふいに、男はくるりと振り返り、先ほどまでの恐ろしい雰囲気はどこへやら、一気にお花畑を作り出し、満面の笑みで柚巴に声をかけてきた。
「柚巴。帰ろう」
 そうして、ふわりと趣味の悪い真っ黒いマントを春風にそよがせて、柚巴の前へと瞬間移動。
 それに、柚巴の頭痛はさらにひどくなる。
「……世凪。学校には来ないでって、言っているでしょう?」
 本当は、この変質者もどきの男とかかわりがあると知られたくないけれど、ここで無視でもしようものなら、その後がとっても恐ろしいことになるとわかっているだけに、どうにも無視できない。
 学校ひとつ、吹っ飛ばされては、たまったものではない。
 だから、渋々相手をする他、柚巴には道が残されていない。
「授業の邪魔はしていない」
「そういう問題じゃなくてね……」
 ふにゃふにゃと微笑みながら、すいっと柚巴を抱き寄せる。
 その腕の中で、抵抗を忘れ、柚巴はがっくりと肩を落とした。
 そうだった。この男には、何を言っても無駄だったと。
 ――たしかに、無駄。
 柚巴に関しては、何を言っても、何をしても、無駄。
 まあ、実際、授業の邪魔をされないだけ、ましだと思うしかない。
 さすがに、授業の邪魔をされては、柚巴だって黙ってはいられない。
 この男には、妥協だとか譲歩だとかいう言葉をもってつき合うしか、もう方法はない。……ような気がする。
 今だって、ぎゅうっと抱きしめるそこから、じっと無言の圧力をかけてきている。
 「帰りたい。柚巴と一緒に、二人きりで帰りたい。だから、こうやって待っていたのに」なんて、瞳に妙にぎらぎらとした光をにじませながら。
 こんな世凪を見せられては、柚巴にはどうしようもない。
 だって、柚巴も、この面倒な男と同じくらいの思いを抱いているから。
 迷惑そうに振る舞いつつも、本当は、胸がぽかぽかとあたたかいことにも気づいている。
「もう、仕方がないな〜」
 なんて、口をとがらせてみても。
 くいっと、世凪の腕の中から逃れ、すいっと右手をさしだす。
 このまま抱きしめられているくらいなら、こっちの方がましだから。
 それに、世凪は一瞬、驚いたように目を見開いた。
 しかしすぐに、幸せそうにその手に手をかさね、とる。
 そして、握り合う。
 さすがに、このように人目のあるところで、瞬間移動なんてできないことを、世凪だってわかっている。
 それよりも何よりも、そのさし出された手の意味を、世凪は十分すぎるくらい理解できてしまった。
 だから、驚いた。
 まさか、柚巴から、その手をさし出してくれるなんて。
 どうにもならない時は、自分から、むりやりにでも、そのあたたかく優しい手をとるつもりだった。
 本当は、それは、ずっとずっと、ここで待ち伏せしている間中抱いていた、希望。
 少しでも長く一緒にいるために、瞬間移動なんてそんな無粋なものは使いたくない。
 ……そう。限夢人に与えられた能力は、無粋以外、なにものでもない。
 それに比べたら、人間はなんて素晴らしいのだろう。
 能力がないからこその、幸せになれる方法を知っている。
 つながれた手に、世凪はぶさいくに、またへにゃりと頬の筋肉をゆるめる。
 それを横目にちらっと見た柚巴に、くすりと笑われてしまったけれど。
 だけど、それすらも、幸福と思わせてくれる。


 手と手をつないで、歩いて十五分ほどの道のりを、御使威家へと帰っていく。
 太陽は、まだまだ、西の空に沈んだりしない。
 ……いや。沈ませたりなどしない。
 そうやって、住宅街を歩いている時だった。
 ふいに、世凪がぴたっと歩みをとめた。
 手をつないでいた柚巴も、ひっぱられるように足をとめる。
 そして、不思議そうに世凪を見つめる。
 すると世凪は、道端のある一点をじいっと見つめていた。
 そこには、破れたアスファルトの間から、ちょんと顔をのぞかせる小さな黄色い花が咲いていた。
「あ……。たんぽぽ。珍しいね」
 つないでいた手をするりと移動させ、そのままぎゅっと腕に抱きつく。
 そして、そこに頭をもたれかけるようにして、世凪の見つめるそこをのぞきこむ。
 そんな何気ない仕草が、世凪の胸をぽかぽかとあたためる。
 しかし、それを表に出すまいと、懸命に平静を装うのも、また世凪で……。
「そうなのか? 柚巴の家の庭には、たくさん咲いているだろう?」
 少し不思議そうに首をかしげてみせた。
 そのような世凪に、柚巴はにっこりと微笑む。
 たしかに、この花は、限夢界では見ることはない。
 そして、柚巴の家の庭には、あふれんばかりに咲いている。
 この花は、そういう名だったのか。
 この花は、世凪にとっては、思い出深い花。
 柚巴を見つけた時、ともに咲いていたから。
 たくさん咲く黄色い花の中、柚巴は、ひときわ目をひく、可憐でかわいらしい花だったことを覚えている。
 柚巴を見つめつつ、だけどその花からも目をはなすことができず、世凪はしばらく無言で、その場にたたずんでいた。
 それに、柚巴も、嫌な顔ひとつせず、ぎゅっと腕を抱きしめたまま、寄り添うようにつき合う。
 こういう何気ない柚巴の優しさは、世凪をこの上なく幸福な気持ちにしてくれる。
「うん。最近は、あまり見かけなくなったけれどね」
「ふーん……」
 きゅむっと腕に抱きついてくる柚巴に幸せを感じながら、世凪はふわりと柚巴の髪をすいていく。
 とても、やわらかい。
 そして、心地いい。
 この少女がともにいるだけで、心は十分に満たされる。
「すごいよね。雑草って、踏まれても踏まれても、全然へこたれないの。――ほら。このたんぽぽみたいに、ちょっとの隙間を見つけて顔を出したりするしね?」
 ぎゅうっと世凪の腕を抱く手の一方をはなし、すいっと道端のたんぽぽを指差す。
 その仕草に、世凪はやわらかく微笑む。
「ああ。たしかにそうだな。庭師も嘆いているな。どんなに除草しても、次から次へとはえてきて、らちがあかないと」
 世凪の少し困ったようなその言いに、柚巴は肩をゆらしてくすくす笑う。
 その姿が、なんとも愛らしくて仕方がない。
「そうだね」
 そして、のばしていた手をもどしてきて、またぎゅうっと世凪の腕に抱きつく。
 やはり、その何気ない行動が、世凪に幸せを感じさせてくれる。
 ……いや。柚巴がとる仕草なら、どんなものだって、世凪を幸せにしてくれるかもしれない。
 それくらい、もうおぼれてしまっているから。
 いたって普通の、頼りなげなこの少女に。
「それにね、このたんぽぽ。顔を出している葉や花の部分は、こんなにちょっぴりだけれどね、土の中では、深く深く根をのばしているのだって。たくましいのね?」
「あ? ああ?」
 たんぽぽについて説明をはじめた柚巴の意図が、世凪にはわからない。
 一体、柚巴は、何を言いたいのだろう?
 たしかに、たんぽぽの話をするきっかけを作ってしまったのは世凪かもしれないけれど、別に、こんな話をするために見つめていたのではない。
 ただ、思い出していたから。
 柚巴をはじめて見つけた、あの日のことを。
 あの日のことがなければ、世凪は今のような幸福な時間を手に入れることなんてできなかっただろう。
 大切な人、大好きな人に囲まれた、ともにすごす優しい時間。
 ずっとずっと、手に入れたいと願っていた。
 母を亡くしたあの幼い日より、こんな心安らぐ時が、再び訪れようなど、思ってもいなかった。
 ただ一人。この誰よりも愛しい少女が、もう手に入れられないと思っていた、その幸せを与えてくれる。
 世凪に感じさせてくれる。
 この少女がいるだけで、もう十分満たされている。
「たんぽぽみたいに、強く生きる人になりたいな」
「え?」
 どこか遠くを見るように、だけど心はしっかりとこの場にとどめて、柚巴は力強くそうつぶやいた。
 そして、不思議そうに見つめる世凪に、にっこりと微笑む。
 そのような柚巴に、世凪は微苦笑を浮かべてしまう。
 柚巴は、今のまま、ちょっぴり頼りないくらいがかわいいのに。
 そんな柚巴を、ずっとずっと、いつまでも、守っていきたいのに。
 そして、その権利は、世凪だけに与えられていれば、それでいい。
 世凪以外の誰にも、柚巴を守らせたりなどしない。
「世凪をね、幸せにできるくらい、強くなりたいな」
 祈りを込めるように、無垢な微笑みをたんぽぽにむける。
 そのぽつりとつぶやかれた言葉に、世凪は、思考も行動もとめてしまった。
 だって、今、柚巴は、何とつぶやいた?
 それって、それって……。
 ぽかんと間抜けに口をあけ、柚巴を見つめる。
 そして、気づいたら、なんだか顔がぽかぽかとほてっているような気がする。
 もしかしたら、真っ赤に染まっているのかもしれない。
 それは、とっても恥ずかしい。格好悪い。
 しかし、そんな世凪になんてかまわず、柚巴は、抱きしめる腕をするりとはなし、また手をそっとにぎった。
 今度は、先ほどまでと違い、からめるように。
 そして、くいっとその手を引く。
「ねえ、世凪。ちょっぴりまわり道していこうね?」
 そう、嬉しそうに、恥ずかしそうに、はにかみながら。
 そのような柚巴に、世凪はやはり、驚いたように目を見開く。
 それから、その目は、ゆっくりと、最上の幸せを手に入れたように細められていく。
「……もう、十分幸せだぞ?」
 くいっと手を引く柚巴の後姿に向かって、世凪はそうぽつりとつぶやいた。
 心の底から、抱く思いのすべてを込めて。


 柚巴以上に大切で、そして幸せにしてくれる存在なんて、ない。
 あらためて、世凪はそう確信する。


まわり道 おわり

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update:06/01/08