ここからはじまる
(1)

 ぽかぽかとよく陽があたる、王宮の中庭のテラスの椅子に、愛しい婚約者を胸に抱く、この世界の暴れん坊王子の姿がある。
 それはもう、今ではすっかり、当たり前となった光景。
 そして、それを目にした者は、誰もが思わず笑みをもらしてしまうという。
 だって、それは、この世界の平和の象徴のようなものだから。
 あの二人がおだやかに微笑んでいれば、それは、大丈夫という合図だから。
「さあ? 俺もよくは知らない。何しろ、もう二千……いや、二千五百年は昔のことだからな。さすがに、限夢人でも、そんなに長生きをする化け物は……」
 愛しそうに、そのやわらかな髪をすきながら、王子……世凪が、そう告げる。
 今は、そのような無粋な話ではなく、愛を語り合いたいと思っているのに。
 せっかく、人払いをすませたというのに、愛しい少女の口から出た話題が、それだとは……。
 限夢界と御使威家の契約のはじまり≠セとは……。
 そのようなことは、どうでもいいではないか、と思うのは、世凪だけなのだろうか?
 そのようなことなど気にしている暇があれば、もっともっと、柚巴といちゃついていたいと思うのに……。
 腕の中に抱く少女は、おもしろいくらいに、それに気づいてくれない。
「そっか……」
 世凪がそう告げると、その胸の中で、柚巴はあきらかに元気を失った。
 どこか悲しそうに、しゅんと肩を落とす。
 そのような姿を見せられては、さすがの世凪でも、あたふたと慌ててしまいそうになる。
 せっかく、すべてが終わり、平和を取り戻したのだから、誰にも文句など言わせず、いちゃつけると思ったのに……。
 まあ、もとから、好き放題いちゃついていたような気も、しないことはないけれど。
 最初から、誰にも文句など言わせていなかったような気も、とってもするけれど。
 あの出来事は、本当に辛かった。
 柚巴を失ってしまったかと思った、あの瞬間……。
 そして、告げられた、柚巴と世凪の運命。
 そう。まさしく、運命。
 だって、二人は、巡り会うべくして会ったようなものだから。
 二人の身の内に、そのような恐ろしいものが隠されていようとは……。
 たしかに、破壊神・カームスは、常に活動しているとは聞いていなかった。
 必要のない時は、最高神・シュテファンの腕の中で、静かに静かに眠っているという。
 命を受け、はじめて活動を開始するという。
 だから、今も、そうだと信じていた。
 なのに、実際に眠っていたのは……世凪の身の内だったとは。
 いや、もしかすると、世凪自身が、破壊神だったのかもしれない。
 世凪が生れ落ちると同時に、命を受けた破壊神が活動をはじめていたのかもしれない。
 だから、稀に見る力を持っていたのかも……。
 再び眠りについてしまった今では、もうわからないことだけれど。
 もう、破壊神・カームスも奇跡の女神・ファンタジアも関係なく、おだやかで幸せな時をすごせていければ、それだけでいい。
 大切な者たちにかこまれた、おだやかな時間こそが、世凪の願いだから。夢だから。
「まあ、失われた歴史の書≠ノなら、記されているかもしれないが……」
「失われた歴史の書=H」
 残念そうに肩を落とす柚巴の頬をふわりとつつみこみ、世凪はゆっくりと顔を近づけていく。
 だけど、それは、きょとんと首をかしげた柚巴によって、あっさりと阻止されてしまった。
 ……無念。
 せっかく、このまま、柚巴のかわいらしいその唇を、おいしくいただこうと思っていたのに。
 そのように信じきった瞳を向けられると、いくら世凪といえど、悪さができなくなってしまう。
 何よりも、腹立たしいのが、このような無粋な会話などさっさとおしまいにして、柚巴をいただこうと思っているのに、それがどうしてもできない自分自身。
 どうにも、柚巴にだけは、逆らえなくて、頭があがらなくて仕方がない。
「ああ。契約がうまれた時のことが記されてあるらしいと聞くが、いつの間にか消えていた。だから、今では失われた歴史の書≠セ」
 いただいちゃうことを早々に諦めたのか、世凪は、哀愁漂う眼差しで柚巴を見つめ、そう語る。
 すると、柚巴は、すりっと身をすり寄せてきて、悲しそうに世凪の胸に顔をうずめる。
 瞬間、ぎりぎりの理性が、どっかーんと飛びそうになってしまった。
 だけど、どうにか、こらえる。
 理性を飛ばした後の柚巴の反応を考えると、恐ろしくて、おちおち飛ばしてもいられない。
 だって、何より、柚巴に嫌われることだけはしたくないから。
「……そう。残念だね」
「柚巴、知りたいのか?」
 その柚巴らしからぬ――ある意味、柚巴らしいけれど――行動に、世凪の胸が、ぎゅっとわしづかみされてしまう。
 だってだって、それは、とっても知りたいという意思表示だろうから。
 柚巴の願いなら、どのようなものでもすべて、かなえてやりたいと思ってしまうのが、男心というものだろう。
 ――そのようなものは、世凪限定のような気もするけれど。
「え? う、ううん。そんなには……」
 世凪の問いかけに、柚巴はがばっと顔を上げて、慌ててそう否定する。
 だけど、世凪にはわかってしまう。
 柚巴の嘘くらい、簡単に見抜ける。
 柚巴の嘘なら、容易に見破れる。
 こういう時の柚巴は、言葉とは反対の思いを隠しているのだから。
 そのようなことくらいわからないほど、伊達に柚巴をいつも見つめているわけではない。
 ……犯罪すれすれで。
「……」
 ただ無言で、じっと柚巴を見つめていた。
 そして、もちろん、そう時間を要さないうちに、世凪は、柚巴をいただきはじめる。
 ……と思いきや、さっくりと、華久夜と紗霧羅という邪魔が入り、世凪の至福の時も、清々しいくらいに簡単にぶち壊されてしまった。
 どだい、王宮の中庭でいちゃつこうという方が、そろそろむちゃというもの。
 いちゃつきたいならば、それこそ、王子様の寝室へと連れ込む方が賢明かもしれない。
 だって、使い魔のみなさんは、どのようにして、王子の邪魔をして遊ぼうかと、うきうきわくわくなのだから。


 背よりも、ずっとずっと高い、いちばん上がかすんで見えないほど高くそびえるその書棚の海の中に、柚巴の姿があった。
 王宮書庫。
 この書庫には、限夢界の創始の頃からの記録がつまっているという。
 限夢界すべての情報が保管されているという。
 そのような膨大な情報量の海の中、もしかしたら、失われたというその歴史の書が、ひょっこりと見つかるかもしれない。
 それは、夜空の星々の中からたった一つの生まれたばかりの小さな星を見つける程度に、容易くないものかもしれないけれど。
 だって、その存在すら、定かでないのだから。
 だけど、だからって、柚巴にとっては、簡単に諦められるものでもない。
 最初の頃は、「どのようなものかな?」程度の軽い思いだった。
 だけど、いろいろなことがあり、そして、柚巴と世凪の運命を知った時から、余計に気になりだしてしまった。
 もしかしたら、二人の運命には、それが関係しているのかもしれない……なんて思ってしまったから。
 もし関係していれば、それこそ、乙女ちっくでロマンチックで、胸がどきどきする運命だから。二人の絆は。
 そう思ってしまったら、もうとめられない。
 こうなってしまったら、納得がいくまで探してしまう。
 それが、柚巴の隠し持った、性質でもある。
 ……まあ、すでに、世凪にも、まわりの使い魔たちにも、ばれてしまっているようだけれど。
 一度言い出したらきかない、という辺り。
 はるか上までのびる書棚の間を、きょろきょと見まわしながら、とりあえず歩いてみる。
 一体、どこから手をつければいいのかわからないから、これはもう、勘でせめていくのがいちばんだろう、なんてそんな訳のわからない自信のもと。
 だけど、しばらく歩くと、いちばん奥までやってきてしまった。
 この書庫のつくりは、聞くところによると、奥へ行けば行くほど、歴史が古くなるらしい。
 ということは、この辺りはもう、限夢界の創成期あたりになるのだろうか?
 ならば、目的の時代は、とっくに通り過ぎている。
 やはり、勘だけでは、どうにもならないということだろうか? むちゃだったのだろうか?
 そう思いつつ、とりあえず、一休みしようと、そびえる書棚にもたれかかった時だった。
 その書棚が、ぐらっとゆれ、おさまっていたはずの書物が、なだれ落ちてくる。
 どうやら、もう人の力だけで崩れるほど、役立たずになっていたらしい。この書棚は。
 なんて、悠長に分析している暇などない。
 このまま、この大量の書物をかぶっては、柚巴などひとたまりもない。
 だけど、一瞬のできごとすぎて、逃げることもかなわず……。
 もう終わりかと、書物に埋もれて死んでしまうなど、なんて間抜けな最期なのだろうと、やっぱりどこかずれたことを考えながら、きゅっと目をつむる。
 そして、次の瞬間、何故だか、ふわりとあたたかいものに包まれていることに気づいた。
 ばっと目を開けると……そこには、呆れたように見つめてくる世凪の顔があった。
 世凪に抱かれ、ふわりと宙を舞っていた。
「あ、あれ……? 世凪……?」
 きょとんとその顔を見つめると、今度は、たっぷりとため息をもらされてしまう。
「柚巴、お前は〜……」
「えへ、えへへー……」
 こつんとおでこを小突かれ、叱られてしまった。
 無茶ばかりするのだからと。
「やっぱり、こんなことだと思った。柚巴、知りたいのだろう?」
 今度は、眉尻をさげ、困ったようにもう一度吐息をもらし、ゆっくりと、山積みになった書物の上へ降りていく。
 降り立った場所に広がる書物は、どれもこれも色あせ、ほこりがかぶっている。
 もちろん、この崩れ落ちた衝撃で、この辺り一帯も、もわもわと、霧のように、ほこりに包まれているけれど。
 その舞うほこりから守るように、世凪はすっぽりとマントで柚巴を包み込む。
 だけどすぐに、すぽんと顔をだしてきて、柚巴はその中からはい出そうと試みる。
 本当に、このお姫様は、王子様の気持ちなど、さっぱりわかってくれていない。
 柚巴にほこりを吸わせるなど、そんな大罪、犯せないというのに……。
 まあ、仕様がない。これが、柚巴だから。
 またしても、ふうとため息をつき、世凪は仕方なく柚巴を解放してやる。
 その時、案の定というか、散乱する書物の一冊に足をとられ、柚巴がバランスをくずした。
 慌てて、世凪が支える。
 ちゃっかりと、腰に腕をまわして。
「……あ!」
 同時に、二人、叫んでいた。
 そうかと思うと、せっかく支えてもらったのに、世凪のその腕をがばっと振り払い、柚巴はそこにしゃがみこんだ。
 そして、ほこりがたっぷりと積もった一冊の書物を、ゆっくりと手にとる。
「ねえ、世凪。もしかして、これじゃない……?」
 くいっと顔をあげ、きらきらとした笑顔を世凪へ向ける。
 そのあまりにもまぶしい微笑みに、世凪は、思わずくらくらときてしまう。
 ……いろんな意味で。
「ああ。こんなところにあったのか……。どうりで、見つからないはずだ。本来の時代より、四十億年は昔なのだから」
 ぽつりと世凪がそうつぶやくと、二人、見つめ合い、くすりと肩をすくめる。
 そうして、その散乱した書物の上に腰を下ろし、身を寄せ合い、二人一緒に、一冊の書物に目を通しはじめる。
 ぱらりと、ほこりまみれの表紙がめくられた。


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update:06/12/13