ここからはじまる
(2)

 いろとりどりの花々が咲き乱れる、あたたかなその場所。
 王宮のちょうど中央辺りに位置する、ぽかぽかと陽があたるテラスのある小さな庭。
 まわりは、白亜の建物にかこまれて、そこだけ、おだやかな時間が流れているように感じる。
 そこは、彼女のお気に入りだった。
 だから、今日も、ここで、ゆっくり本でも読もうかと思いやって来たら、いつもと違う光景にあたってしまった。
 だって、彼女のお気に入りのその場所に、花に埋もれて静かに眠る、見慣れぬ少年の姿があったから。
 その姿は、この世界の者とは、どこかが、何かが違うように見えて……。
 ……いや、それ以前に、どうして、その……生まれたまま同然のような姿をしているのだろう?
 ぼろぼろの衣を、たった一枚まとっただけの。
 このようなみすぼらしい姿の者など、これまで見たことがない。
 みすぼらしいはずなのに、これほどきらきらと輝いて見える者も、見たことがない。
 とても、不思議な少年。
 まとう雰囲気が、この世界の者とは異なっているように感じる。
 それよりも何よりも……もしかして、息をしていない?
 先ほどから、目をとじたまま、ぴくりとすら動かないから。
 不思議に、不気味に思いつつも、どうしても興味が先にきてしまい、ゆっくりと歩み寄っていく。
 まあ、たいていの者には負けない自信があるので、危なくはないだろう。
 いざとなれば、()られる前に()ってしまえばいいだけなのだから。
 眠る少年のもとまでいくと、そこに、すっと腰をおろす。
 そして、その口もとに、そっと手をかざす。
 すると、わずかに、あたたかいものが手にあたった。
 どうやら、死んではいないらしい。
 寝ているのか、気を失っているのか……。
 恐らく、後者のような気がするけれど。
 そう悟ると、何故だか、むくむくと、いたずら心がうずいてきてしまう。
 目が閉じられたままになっているその顔を、つんつんとつついてみる。
 まずは、おでこ。次に、頬。
 そして、それから……さっきから目をひきつけられてならない、その呼吸をする唇へと――
 その時だった。
 眠っていたはずのその少年の目が、ばちりと開かれた。
 慌てて、がばっと手を引っ込める。
 同時に、勢いあまって、しりもちまでついてしまっていた。
 ぎょっと、少年を見つめる。
 まさか、ここで目を覚まされるとは思っていなかった。
 目を開いた少年は、そのままで、ゆっくりと、まわりへ視線をさまよわせはじめる。
 そして、ばちりと、目が合ってしまった。
「……ここは……?」
 それから、静かにそう告げられる。
 同時に、その声に、その目に、すべてが奪われたような気がした。
 妙に耳に心地いいその声。
 そして、吸い込まれそうなほど澄んだ、その目。
 このような美しい瞳、はじめてみた。
「お、王宮よ。あなた、一体、どこから入ってきたの?」
 慌てて体勢をたてなおし、ぽすんと座りなおす。
 同時に、ひらりと、不思議な色をした蝶が、花から飛び立っていった。
 やっぱり、じーっと、目覚めたばかりの少年を見つめる。
 すると、少年はゆっくりと上体を起こしてきて、ふわりとやわらかい微笑みを浮かべた。
 瞬間、彼女の中で、何かがはじけた。


「そうですか。ここは、限夢界という世界なのですね。僕がいたところとはずいぶん違うので、驚きました」
 中庭に倒れていた少年は、彼女がいれたティックルのお茶を飲みながら、静かにそう告げた。
 彼女のためにしつらえられた、テラスの椅子におかれたふわふわのクッションに身をしずめながら。
 そのすぐ横に座り、彼女は、興味深そうに、楽しそうに、少年の言葉に耳をかたむけている。
 彼女の手に持たれたカップからは、ゆらゆらとやわらかい湯気がのぼっている。
「んー。これまでの話をまとめると、あなた、わたしたちの世界でいうところの、人間界からとばされてきたのかもしれないわね。――話には聞いていたけれど……それは、おとぎ話だと思っていたわ」
「人間界……?」
 得意げに語る少女に、少年はどこか困ったように微笑む。
 こうして、おだやかに会話をしていることにも驚くけれど、何より、どうして、このような状況におかれているにもかかわらず、まったく動揺も慌ててもいないのだろう?
 そのような自らに、少年はいちばん驚いている。
 目覚めた瞬間、少女の顔が飛び込んできて……その時、すべてを受け入れてしまえたような気がした。
 目を見開き、じっと見つめるその少女が、とても美しいと感じてしまった。
 その瞬間、胸に、ぽっと火がともった。
 もしかしたら、それが答えなのかもしれない。
「ねえ、それよりも、あなた、お名前は? わたしは、柚姫(ゆずき)よ」
「え?」
 ずいっとつめより、少女は期待に満ちた眼差しを少年へ向ける。
 少年は、思わず、身をのけぞらせてしまった。
 いきなり、そのかわいらしい顔が近づいてきたので、驚いて。……恥ずかしくて。
「だって、あなたって言うのも、なんだかしっくりこないのよね。せっかく出会えたのだし、お名前を知りたいわ」
 戸惑う少年にかまわず、少女……柚姫は、たんたんとそう続ける。
 あまりにも無鉄砲で無邪気なその微笑みに、少年はくすりと肩をすくめる。
 仕方がないなーというように。
「僕は、ミツカイ」
「ミツカイ……? うふふ。なんだか、神の使いみたいな名ね。――もしかしたら、あなたは、神がわたしへ贈ってくれた使いなのかしら?」
 持っていたカップとソーサーを肘かけの上にことんと置き、さらにずいっと身を寄せる。
 すると、ミツカイはやはり身をのけぞらせたけれど、すぐに、同じように、反対側の肘かけにカップを置き、ゆっくりと、その身を柚姫へと近づけていく。
 それから、どちらからともなく、その距離を縮めていって……。
 最後には、まるでそれが必然のように、重なりあっていた。
 それが、すべてのはじまりだったのかもしれない。


 その後、ミツカイは、なんとなく、限夢界にとどまっていた。
 聞くところによると、時空のひずみにまきこまれ、そして、次元をこえ、この世界へやってきたということらしい。
 その仕組みを解き明かせば、またもとの世界へ戻れることも可能かもしれないという。
 しかし、あまりその気にはなれなかった。
 だって、はなれたくないと思ってしまったから。
 きっと、同じように、柚姫も思ってくれているだろう。
 それが、触れる彼女から、容易に伝わってくるので、ゆるぐことなく、そう信じられる。
 そうして、二人は、知らぬ間に、心を通わせてしまっていた。
 きっと、これは、必然。
 互いに、はじめてその目に互いの姿を映した瞬間、それは運命づけられていたのかもしれない。
 胸にともる炎が、そう確信させる。
 しかし、そうしておだやかな時間をすごしていたけれど、事件は起こってしまった。
 二人の仲が、王に知られてしまった。
 当然、王は、猛反対。
 今すぐに、ミツカイを人間界へ還すという。
 今の限夢界では、ミツカイの存在は貴重なもので、よい研究対象になると、見逃してきたけれど……まさか、王のたった一人の愛娘柚姫が、その余所者に手をつけられようとは……。
 このような事態、見逃すことなどできない。
 ミツカイは、あくまで、限夢人にとって、利用する価値しかない研究対象にすぎないのだから。
 むしろ、人権を辛うじて与えてやっているだけでも、感謝されて余りある。
 本来ならば、家畜……それ以下の扱いで十分なのだから。
 姫が……柚姫が、それじゃあかわいそうと、そう慈悲を与えてやったから、だから、それなりの扱いをしてやっているというのに。
 それを、このような仇で返されようとは。
 そうして、烈火の如く怒り狂った王によって、ミツカイは、容赦なく、強制的に、人間界へ送り返されることとなった。
 ちょうど、研究者たちが、限夢界と人間界を渡るメカニズムを発見した時だったから。
 これ以上、この世界にとどめておけば、柚姫に悪影響を及ぼす。
 だからといって、その場で殺すこともできない。
 そのようなことをすれば、最愛の娘に、恨まれるだろうことが、容易にわかるから。
 ならば、ここは、苦肉の策として、人間界へ送り還すほかないだろう。
「いや! お父様! やめて。彼を還さないで! わたしは、彼がいいの。彼じゃないと嫌なの。彼なしでは、もう生きている意味がないの!」
 そう泣き叫び、抗議する柚姫など、もちろん、王は相手にしない。
 あまりにも暴れ泣き叫ぶものだから、ついには、柚姫は自室に閉じ込められてしまった。
 そのすきをつき、柚姫の知らぬ間に、ミツカイは人間界へと還されてしまった。
 それから間もなく、自室から出され、柚姫は、王からその事実を知らされることになった。
 当然、また、柚姫は泣き叫ぶものだろうと思われたけれど、そうはならなかった。
 だって、悟れてしまっていたから。
 この世界に、ミツカイはいないと。
 自室に閉じ込められていたって気づく。
 愛しい人の気配が、この世界から、ぱったりと消えてなくなったことくらい。
 ならば、導き出される答えは、たった一つ。
 ミツカイは、人間界へ還されてしまった……。
 だけど、同時に、ある決意もできた。
 だって、柚姫は、大人しく王宮におさまっているような、そのような普通の姫ではないから。
 得意げに微笑む柚姫の姿が、色とりどりの花が咲き乱れる、王宮のその中庭にあったという。
 そして、その姿は、とけるように、景色に消えていったという。
 そのすぐ後、王宮でもトップクラスの研究者たちが研究を行うその部屋が、荒らされたことが発覚した。
 だけど、その時には、もう遅かった。
 そこに忍び込んだ狼藉者により、数多の重大な研究結果の中から、たったひとつ、限夢界と人間界を渡るメカニズムの結果だけが盗まれていたから。
 誰にも、それが誰の仕業なのか、容易にわかってしまった。
 きっと、彼女しかいない。
 何しろ、この世界から、彼女の気配もまた、ぱたりと消えてしまったから……。
 王ただ一人の王女、柚姫は、あの人間の男を追って、人間界へ行ってしまったのだろう。
 それから、もちろん、王女の追尾の手が放たれた。
 王宮に仕える優秀な者たちがいくらかいれば、その足跡など簡単にたどれ、そして、王女もすぐに見つかった。
 当然のように連れ戻されそうになったけれど、そこで、王女はある一つの提案をした。
 不思議な力を操り、人間などよりはるかに強いその限夢人が、唯一恐れる病気、パルバラ病が流行した時に、この人間界を逃げ場として利用できると。
 だけど、無差別に人間界へ渡ることを許してしまっては、その世界は、限夢人たちにあらされ、いざという時に、使い物にならなくなる。
 ならば、ある一定の条件を満たした者だけに、人間界へ渡る権利を与えればいい。
 そう柚姫に説かれ、ついには、王は、王女柚姫のわがままを、彼女の恋を許してしまった。
 時折、限夢界へ王に会いに戻ってくることを条件に。
 やはり、どのようなことをしても、言っても、たった一人の娘は、愛しくて仕方がないらしい。
 そのとんでもないわがままでも、きいてしまえる程度に。
 ……まあ、柚姫が説いたそのことも、たしかに魅力的なものだったのだけれど。
 それにより、パルバラ病の犠牲者が、一人でも少なくなればいいと思えるから。
 そうして、限夢界のわがままお姫様は、友好的に、人間界にとどまることができるようになった。
 もちろん、その恋も、その後すぐ、成就することになる。
 それが、契約≠フはじまり。
 すべては、ここからはじまる――

 後に、彼の子孫の一人が、御使威≠ニ名乗るようになり、現在に至る。


「……ん? 柚巴、何、ぽうっとしているんだ?」
 ぽすんと世凪の肩に頭をあずけ、体全部をよりかけて、柚巴は、ほうけたように、失われた歴史の書≠見下ろしている。
「え? あ、うん……」
 だけど、どうやら、世凪のそのような問いかけは、柚巴の耳には、まともに入っていないらしい。
 だって、その目に、ある一節が飛び込んできていたから。
 それは、限夢界と御使威家の契約のはじまりを記したそのすぐ後に、恐らく、編纂者の仕事だろう、書き足しがあった。

 若い二人の世界をこえた恋心が、人間界とのつながりをもたらしてくれた。これは、称えられるべき功績だろう。
 また、契約の根源には、愛があるということを、我々は、後々の世まで忘れてはいけない。

 そのような書き足しが……。
 また、この書物に書かれたことが本当ならば――いや、恐らく、間違いないだろう。胸にじわりとあたたかいものが広がっているから――莱牙が王族はじめての使い魔ということになっているけれど、本当は、この王女柚姫が、王族最初の使い魔ということになるだろう。
 人間界へ残るために、自らが作ったその契約の最初の遂行者。
 そして、それを記した歴史の書も、現在に告げられたいい加減な伝承より、記されてすぐに行方がわからなくなったのだろう。
 ともに、その事実をつれて。
「ああ、これか……」
 どうやら、柚巴が先ほどからじっと見つめているその一節に、世凪も気づいたらしく、くすりとおかしそうに声をもらす。
 そして、体を寄せる柚巴を、そのままぐいっと、自らの胸の中へと包み込む。
 書物に夢中になっている柚巴の邪魔をしたのだから、当然、おしかりのひとつやふたつは覚悟していたけれど、どうやら、雷は落ちないらしい。
 むしろ、柚巴から、さらにぎゅっと世凪に身をすり寄せている。
 求めるように。
「はるか遠いご先祖は、同じだったんだね」
 そして、そこで、ぽつりとそうつぶやく。
 どうやら、いつものお怒りを注げないほど、その書物に記されていることに、魅入られてしまっているらしい。
 何というか、いかにも、柚巴らしい。
 このようなおとぎ話のような失われていた過去に、心奪われているようなのだから。
 だけど、それは、同時に、世凪にとっては、好都合。
「……ああ。俺たちが結ばれるのは、まさしく運命というやつだな」
 にやりと微笑み、そのにやけ顔を、きょんと首をかしげる柚巴の顔へと、ぐいっと近づけていく。
「世凪?」
 不思議そうにその名をつぶやくと同時に、そこに、世凪の顔が降っていた。
 それから、多少みじろぎをして抵抗してみせる柚巴も、容易におさえこみ、世凪の至福の時がはじまる。
 遠い遠い昔、失われた昔、限夢界のお姫様と人間界の少年が恋におち、二つの世界の時間がまじわった。
 そして、歯車がまわりだす。
 それから遥か遠い時を経て、限夢界の王子様と人間界の少女が出会う。
 そのような二人が恋に落ちることは、必然。まさしく、運命だったのかもしれない。


ここからはじまる おわり

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update:06/12/20