智神・タキーシャの観察日記3

3月13日
「あ、このクッキーおいしい」
「あら、そう? 嬉しいわ。それはわたしが作ったのよ」
「ええっ? 華久夜ちゃんが!?」
王子様の居住区の一室。
陽光が差し込みぽかぽかあたたかい窓辺に、テーブルと椅子を引っ張ってきて、柚巴ちゃんたちが午後のお茶を楽しんでいた。
もちろん、それを見つけてしまった俺が、そこにまざらないはずがない。
すぐそばの壁に背をもたれかけ、片手にソーサーを持ち、カップのお茶をすすりながら、彼女たちを観察していた。
すると、いびつなかたちをしたクッキーを一口かじり柚巴ちゃんがそうつぶやくと、華久夜が得意げに答えていた。
「え、ええ、まあ、ね」
ずいっと上体を乗り出し迫るように見つめる柚巴ちゃんに、華久夜は気おされたように答える。
「進歩したねー」
すると柚巴ちゃんは、しみじみとそうつぶやき、残りのクッキーを口に放り込んだ。
……いや、柚巴ちゃん、そんな本当のことを言っちゃあ駄目だろう。
たしかに、華久夜の料理センスはかなり常軌を逸しているとはいえ。
恐ろしくて、誰も口にしようとしてこなかったのに……。一部――世凪と莱牙と紗霧羅を除き。
柚巴ちゃんって、さりげなく爆弾を落とすよね、時々。
さすがに、いくら柚巴ちゃんでも華久夜の地雷を踏んでは危険だと察したのか、慌てて虎紅が口をはさんだ。
口と同時に、上体も間にはさみこんでいた。華久夜から柚巴ちゃんを守るように。
こういうところで、柚巴ちゃんの使い魔≠発揮しなければいけないって、なんだかちょっとあれだけれどねえ。
まあ、いいか。俺には関係ないし、とりあえず平和的利用だから。
「華久夜さまは、お菓子作りだけはお上手なのですよ」
虎紅は額にじわりと脂汗をにじませ、ひきつったような笑みを柚巴ちゃんへ向ける。
「ちょっと、虎紅、お菓子作りだけはって何よ、だけはって!」
割り込む虎紅の後頭部をべしっと一発殴り、華久夜は憤ってみせる。
わなわなと、生きているように髪の毛がうごめいていない辺りから、本気で怒っていないことは誰が見ても明らか。
華久夜が本気で怒ると、本来は、メドゥーサよろしく髪の毛が動き、そのまま莱牙の首目指して飛んでいく。
それが行われていないということは、つまりは本気では怒っていないということ。しかし、少しばかり怒っているのも間違いないだろう。
っていうか、どうして虎紅がお菓子作りだけはましと知っているのかという辺りは、誰も気にならないのだねえ。
本当、ここの使い魔たちは、平和平和。
「え、いえ、その、そのようなつもりでは……っ」
「まったく、一体誰のせいで、お菓子を作るようになったと思っているのよ……」
椅子の背にぼすっともたれかかり、華久夜はそこでぷりぷり怒りながら、ずずずーとお茶を飲む。
柚巴ちゃんと華久夜の間からゆっくり身をひきながら、誰にも気づかれないように虎紅が嬉しそうに口のはしをあげていた。
もちろん、ちょうど俺の方に顔をそむけるかたちになっていたから、俺からは虎紅のそのにやけ顔がはっきり見えていた。
まったく、そこ、人前で遠慮なくいちゃつかないでくれるかな?
というか、いいのかなあ?
だって、二人の仲はまだ内緒でしょ?
いろいろ障害があるからねー、二人には。
公にしちゃったら、つぶされるよね。いろいろなところから。
すべてにおいて、釣り合わないから。華久夜と虎紅は。
まあ、今のところ、二人の関係をはっきり把握しているのは俺と、そして俺の観察日記を盗み読みしたシュテファンくらいだけれど。
バレンタインの時、柚巴ちゃんも一緒にチョコを渡す現場を目撃していたけれど、彼女のこと、絶対に二人の関係には気づいていない。
「でも、いいよね。誰かの手作りって、それだけで思いがいっぱい伝わってきて、嬉しいよね」
そんな目の前で繰り広げられるいちゃつきっぷりも、柚巴ちゃんにかかればたわいないらしい。
むしろ、これは、絶対気づいていないよ。こんなにあからさまなのに。
本当に、変なところではするどいのに、こういうところではとことん鈍いよね。
その鈍さに、どこかの王子様はさんざん苦しめられているようだから、それはそれで楽しいのだけれど。
「……柚巴は、手作りのものが嬉しいのか?」
そして、さすがは王子様、柚巴ちゃんの言葉ならひとつももらすことなく、ちゃっかりきいていた。
ぽりっと、二つ目のクッキーをかじる柚巴ちゃんの顔をのぞきこみ、妙に真剣に尋ねる。
すると柚巴ちゃんは、クッキーをかじりながら、にぱっと無邪気な笑みを見せた。
「うん。だって、わざわざ手作りしてくれるということは、それだけ好き、大切に思ってくれているということでしょう? 愛されているなーって感じるもの」
「そうか、うん。そうだな」
世凪は、一瞬驚いたように柚巴ちゃんを見て、ぶんぶんと首を縦にふり、無駄にその言葉に納得している。
一体、世凪の中で、柚巴ちゃんの言葉がどう変換されたのか、なんてことは考えたくもない。
柚巴ちゃんは激しく上下運動を繰り返す世凪の両頬をがしっとつかみ、そのまま自分の方へと向けさせる。
「ね、だから、バレンタインの時のチョコ、世凪は特別(手作り)だって言っているでしょう?」
それから、凶悪なほどかわいらしい笑顔を世凪へ向ける。
瞬間、世凪の顔は真っ赤に染まり、わたわたあわてふためき、そのまま逃げるようにどろんと姿を消した。
そこに残ったのは、世凪の両頬を包んでいた柚巴ちゃんのその手だけ。
「あれー? 世凪ー?」
そして、急に姿を消した世凪に、柚巴ちゃんはちんぷんかんぷんと首をかしげる。
その場にいた全員が、はあと何とも言えぬ深い深いため息をもらす。
「あわれ、世凪……」
さすがにこの時ばかりは、みんなの嫌われ者世凪にも同情がよせられた。


3月14日
まーた、何を考えているのか、この男は。
まあ、どうせろくなことじゃないことだけはたしかだけれど。
だって、世凪だから。
突如、厨房に押し込み、そこにいた料理人たちを恐怖におののかせ追い出したかと思うと、好き放題荒らしはじめた。
そう、まさしく、荒らしている。
それは決して、料理をしているとかそのような高等なことではない。
あれだけ整理整頓されていた厨房を、よくここまで……。嵐が去った後のように、よく荒らせるものだ。
王子様だから、もちろん、普段こんなところに用があるはずもなく、はじめて入ったに違いない。
どこに何があるのかわからず、しっちゃかめっちゃかひっくり返しているといった感じ。
まあ、その様子から、世凪がこれから何をしようとしているかなんて、やっぱり俺にはわかっているけれど。
どうやら、いつもならすぐに気づく俺の気配にもいまだ気づいていないようだから、かなり夢中になっていることは間違いない。

それから、数時間後。
厨房に入った賊――世凪の姿は、回廊にあった。
ほくほくと嬉しそうにバスケットをかかえ、世凪は回廊をかけている。
やはり、よほどそのことで頭がいっぱいなのか、俺の気配には相変わらず気づいていない。
何というか、ここまでくると、もうあれだよね。
……馬鹿? 超馬鹿? 救いようがない馬鹿。
そして、この男のこと、行き着く先も決まっている。
人間界と通じる中庭。
あそこには、世凪が持ち込んだ、柚巴ちゃんとくつろぐための椅子がある。
間違いなく、そこに二人で座って、それから……。
嗚呼、ムカつくから、これ以上考えるのはよそう。
本当、この男って、なんて外道なんだろうね?
とにかく今は、この男を観察しなければ。
さりげなく、最近では、この観察日記、シュテファンも楽しみにしているようだし。
ようやく、俺の高尚な趣味を理解しはじめたようで、嬉しいよ。
近頃、本当、観察日記が華やかで楽しいなあ。
……この男の行動を書き留めることを除いて。
また、バスケットの中には、どうすればそのようなものを作り出すことができるのかと本気で考えたくなるような無様なものがたっぷり入っている。
これは、あの破綻料理を作る華久夜よりもひどいよ……。
ゆがんだジンジャーマンとか、どう見てもひとでにしか見えない星とか、壊れたハートとか。
そのままこの男のハートも、ブレークしちゃえばいいんだよね。
それから、あれは人間界にいた頃によく見たことがあるけれど、きっと、アイスボックスでも作りたかったのだろう。市松模様になりそこねたらしく、黒と白が見事なまでに溶け混ざり合い、マーブルに……。
しかも、何だろう、あの間違いなく生焼けに見えるブツは。
そうかと思うと、それはもはや炭だろうと言いたくなるブツは。
ここまで漂ってくるよ、食べたら間違いなく体を壊しますというこげた臭いが。
しかし、当の本人は、期待に満ちた目をきらきら輝かせ、その異臭を気にすることなく、うきうき心弾ませ駆けている。
そして、曲がり角で急旋回。
瞬間、はかったように見事に、世凪と誰かがぶつかる音がした。
ふと視線を落とすと、世凪の足元で、やはり見事に床に埋まっている嚇鳴の姿が……。
その嚇鳴の上に、ばらばらばらとゴミに近しいクッキーが降る。
そして最後には、ぼすんとバスケットが嚇鳴の頭頂を直撃し、そのまま床に転がった。
床には、消し炭が床を走り、広がっていく。
もとはクッキーもどきだったそれが、ばらばらに砕け散乱する。
その突然の予期せぬ出来事に、思考を遠くへはせていた世凪が、一瞬のうちにそれを引き戻した。
かと思うと、ふるふるっと頭を小さくふり、そのまま「いってー」とつぶやく嚇鳴の胸倉をつかみ、持ち上げる。
わずかばかりつま先が床から浮き、嚇鳴はごほっと苦しそうに小さくむせる。
「貴様、どこに目をつけている」
「え? げっ、せ、世凪!?」
瞬間、嚇鳴の顔からさあと血の気が引いた。
「よくも、俺様の最高傑作を……っ」
破壊神・カームスを思い起こさせるような、絶対零度の眼差しが嚇鳴を貫く。
むしろ、その瞳に込められた光は、絶対零度というよりは、いかりにたぎる業火といった方が正しいかもしれない。
「最高傑作? って、あれ? この炭のこと?」
しかし、この状況下でも、自分が置かれた立場をさっぱり理解しないのが嚇鳴。
ふと視界の隅に入ったのだろう、床に散らばるまさしく炭といった方が正解なクッキーと思しき残骸をちらっと見て、首をかしげる。
瞬間、音をたてて、世凪の中から何かがひいていく。
何か、ではなく、不思議とまだ残っていたのだろう理性。
世凪は、どすをきかせた声で、重々しくささやくようにつぶやく。
「……炭、だと? これはな、柚巴のために――」
「ええ!? この炭、姫さんにやるものだったの!? あっちゃ〜……」
世凪の言葉をさえぎり、嚇鳴が叫んだ。
――この期に及んで、まだ言うか。炭と……。
そして、世凪に胸倉をつかまれたまま、嚇鳴はぺちんと自らの額に手をあてる。
この散らばる炭が柚巴ちゃんへの贈り物だったとわかり、嚇鳴はそこに自らしでかした重大さにようやく気づいたのだろう。
瞬間、世凪の中から、まだ辛うじて残っていた最後の理性さえも、吹き飛んだ。
「嚇鳴、貴様、泣かしてやる! そして、肉片ひとつ、血の一滴すら残さず、消してやる!」
「ぎゃあー!!」
世凪の怒号とともに、嚇鳴の断末魔が日の光がやわらかな早春の空にとどろいた。
あーあ。これはさすがに、柚巴ちゃんを呼ばなきゃ駄目かなあ。
まあ、俺でもとめられないことはないけれど、怪我したくないし。
あの男を無血開城できるのは、やっぱり柚巴ちゃんだけなんだよね。
本当、面倒な男だよねー。
それまで、どうにか生きているんだよ、嚇鳴。

「柚巴ちゃーん」
「あれ? 多紀くん?」
王宮の中庭でお茶を楽しむ柚巴ちゃんのもとへ行き、そう声をかけた。
華久夜があからさまに嫌そうな顔をして、じろりとにらんできたけれど、さわやかに無視。
すると、華久夜は怒りにまかせ、一瞬のうちに持っていたカップを砕き散らせたけれど、やっぱり無視。
「性懲りもなく現れたわね、この似非智神!」
「あー、はいはい。華久夜嬢は相変わらず口が悪いよね。そんなのだと、嫌われるよ? 誰にとは言わないけれどね、誰にとは……」
……しようと思ったけれど、仕方がないなあ、そう悪態をつかれては。
とりあえず答えてあげると、華久夜はばっと立ち上がり、びしっと指をつきつけてきた。
「な、なによ、タキーシャのくせに!」
「それより、何か用なんだろう? 似非智神」
「って、紗霧羅もかい。――んー、まあ、そうなのだけれどねー」
もちろん、柚巴ちゃんと華久夜がいるのだから、そこに紗霧羅がいないはずがなかった。
華久夜とは違って、紗霧羅は妙に落ち着いて、しかし疲れたようにつぶやく。
ずずずーとお茶をすすりながら、じだんだを踏む華久夜の腕をぐいっと引き、座らせる。
それを横目に、きょとんとしている柚巴ちゃんに向き直る。
そして、にっこり微笑む。
柚巴ちゃん以外に言わせると、嘘くさい、似非微笑みらしいけれど。
まったく、失礼しちゃうよね。俺の笑みのどこがにせものだっていうんだろうね?
「柚巴ちゃん、世凪がまた暴れているけれど、放っておいていい?」
「んもー! また!? 駄目に決まっているよ! 多紀くん、どこ? つれていって!」
そう聞くと、柚巴ちゃんは、普段ののんびりやさんが嘘のように、しゅぱっと立ち上がり、俺に迫ってきた。
多少気おされるふりをしながら、やっぱりにっこり笑う。
「あれ? やっぱり放っておいちゃだめなんだ。仕方ないなー。それじゃあ、おいで」
そして、両手を広げて柚巴ちゃんを招く。
すると、柚巴ちゃんは、俺の胸にぽすっと飛び込んできた。
すかさず、柚巴ちゃんをぎゅっと抱きしめる。
「それじゃあ、悪いね、お嬢さま方。柚巴ちゃんをちょっと借りるねー」
それから、ぽけらっと俺たちを見ていた華久夜と紗霧羅に、ひらひら片手をふる。
どうやら、二人も俺の報告から、今とるべき行動をよーく理解できているらしい。
「ああ、もう仕方ないわね。さっさとつれていってちょうだい」
しっかり怒りをしずめ、華久夜はぷいっと顔をそらし、紗霧羅の手からカップを奪い取った。
そして、ぐいっと一気にあおるように飲み干す。
紗霧羅は、やれやれといった様子で華久夜を見ながら、ふうと吐息をひとつもらした。
「そうそう、王宮を破壊しつくさないうちにな。……後片づけが大変なんだよ、尻拭いは何故だかぜんぶこっちにくるからな」
「本当、はた迷惑な男よね。……今さらだけれど」
そうして二人、ひらひらと面倒くさそうに手をふる。
柚巴ちゃんは申し訳なさそうに、俺の腕の中でぱんと両手をあわせた。
「それじゃあ、ごめんね、華久夜ちゃん、紗霧羅ちゃん!」
「ほいほい、さっさと片づけておいで」
紗霧羅がそう言うと同時に、柚巴ちゃんを連れて俺は姿を消した。

嚇鳴の断末魔がとどろき、もはやあえぐことすらできなくなった頃。
怒りに満ちた世凪の手の中、嚇鳴は息絶えようとしていた。
「世凪! また何をしているの!」
「柚巴!?」
瞬間、おしいことに、本当におしいことに、タイミング悪く柚巴ちゃんをつれて、そこに現れてしまった。
恐らく、あと数秒遅れていたら、嚇鳴は力つきていただろうと思うと、本当におしいことをした。
あえて、あと数秒遅らせておけばよかっただろうか?
俺のためにも、世凪のためにも。
俺たちが現れた瞬間、世凪は嚇鳴をつかむ手を思わずぱっとはなしていた。
そのすきに、嚇鳴はすばやく息を吹き返し、すたこらさっさととんずら。
しかし、今の世凪には、嚇鳴を追いかける余裕はない。
とっても気まずそうに、じいと見つめる柚巴ちゃんから視線をそらしている。
世凪にも、この状況では、柚巴ちゃんにどんな言い訳も通用しないとわかっているのだろう。
まあ、たしかに、これでは、世凪が弱い者いじめをして遊んでいるようにしか見えない。
それは、世凪の普段の行いが、大いにそう断定させる。
「な、何って、それは……」
世凪はぷいっと顔をそむけ、すねたようにぼそぼそつぶやく。
あまりにも柚巴ちゃんが責めるように見るものだから、世凪の奴、いたたまれなくなったのだろう。
それにしても、この男、本当に何をしたのだか。柚巴ちゃんをつれてくるまでのわずかな間に。
よく見ると、回廊の天井を支える柱のいくらかが破壊され、粉々に散っている。
かと思えば、そこの扉は吹き飛んでいるし、向こうの床には巨大な穴があいている。
どうやら、まだ暴れはじめたところだったらしい。
あれらは、つまりは、嚇鳴をいたぶった痕ということだろう。
どうりで、思いのほか、ぼろぼろだったはずだよ、嚇鳴。
しかしまあ、これならば、後始末もまだ楽な方だろう。
ぶちぶち文句を言いながら、また使い魔たちが片づけさせられるのだろう。
もしくは、梓海道一人で、もくもくと片づけるか。
この王子様は決して、狼藉の後始末を自分ではしないから。
そして、足元には、いびつなかたちをした、こげたにおいが鼻をつく、クッキーもどきが散らばっている。
腕の中から床に下ろした柚巴ちゃんは、同時にそれに気づいたらしい。
先ほどから、柚巴ちゃんから視線をそらすと同時に、世凪はそこをちらちら見ていた。
「あ……。もしかして、これ……?」
ふと視線を落とし柚巴ちゃんがつぶやくと、世凪は悔しそうに唇をかみ、素直にこくんとうなずいた。
本当に珍しいこともあるものだねえ。
この男が、こんなに素直に答えるなんて。
まあ、それだけ、ショックが大きかったということなのだろうけれど。
「ありがとう、嬉しいよ」
いじける世凪に、柚巴ちゃんがゆっくり歩み寄る。
すぐそばに柚巴ちゃんの気配を感じ、世凪の両肩が大きく揺れた。
この男ってば、どこまでも意地っ張りらしく、それでも柚巴ちゃんに視線を合わせようとしない。
「で、でも、嚇鳴の奴が……っ」
ふわりと微笑を浮かべ、柚巴ちゃんはそのままぎゅっと世凪に抱きつく。
今度は、電気が流れたように世凪の体はびりびりっと震えた。
「世凪の手作りだよね? それだけで嬉しいよ。だって、覚えていてくれたのでしょう?」
「柚巴……」
ようやく、意地っ張り王子様の天岩戸(あまのいわと)が開かれ、柚巴ちゃんに視線が戻された。
そして、ゆっくりと柚巴ちゃんと包み込むように腕を動かしていき、きゅっと抱きしめようとした時だった。
まるで狙っていたかのように、その腕をさっとよけ、柚巴ちゃんは世凪からはなれる。
言うまでもなく、世凪は大鐘の中に頭を入れられ、そして力いっぱいつかれた時のような衝撃の表情を見せる。
何かをとっても言いたそうに、世凪の腕の中からすり抜けた柚巴ちゃんをじいっと見つめる。
瞬間、世凪の目が驚愕に見開かれる。
見ると、散らばるクッキーらしかった残骸の中、バスケットに辛うじて残っていたその欠片に手をのばしていく柚巴ちゃんがいた。
「柚巴、やめろ。そんなもの、お前が食べていいものじゃない!」
世凪は顔色を失い、慌てて叫んだ。
柚巴ちゃんは、それを手にとると、世凪がとめるのもきかず、かりっと一口食べた。
そして、くいっと顔を上げ、世凪ににっこり微笑みかける。
「うん、おいしいね」
「柚巴……」
その微笑は決して、世凪をなぐさめるためのものではなく、心からのものだった。
腹立たしいことに、それくらい、俺にもわかった。
だってこの時の柚巴ちゃんは、本当に穢れなく笑っていたから。
そんな微笑を一身に向けられたものだから、世凪は瞳をうるませ、恥ずかしそうに、嬉しそうに、ぽっと頬を染めた。
それから、うっとりと柚巴ちゃんを見つめる。
その世凪の胸へ、柚巴ちゃんは勢いよく飛び込んだ。
「世凪、大好きだよ」
瞬間、世凪、撃沈。
真っ赤に熱く燃える真夏の太陽よりも、今の世凪、あっちっちだよ。
触れたら、間違いなく、蒸発しちゃうね。
あーあ。限夢界を震撼させる暴れん坊も、柚巴ちゃんにかかればかたなしだね。


3月15日
ペンをはしらせることに夢中になり、気づいた時にはもう日付が変わっていた。
いつものように観察日記をつけ、それをとじた瞬間だった。
背後でただならぬ気配を感じ、がばっと振り向く。
するとそこには、難しい顔をしたシュテファンが立っていた。
そして、俺の肩を重々しくぽんとたたき、妙に真剣に言った。
「タキーシャ、のぞきは犯罪だぞ」
その言葉、そっくりそのまま返してあげるよ。
まったく、いい加減、人の(観察)日記をのぞき見するの、やめてくれないかなあ?
……まあ、シュテファンも最近では、この趣味の高尚さに気づきはじめているようだから、許してあげるけれど。
こうして、着実に観察日記仲間が増えていく。
これは、喜ぶべきことか、それとも……?


智神・タキーシャの観察日記3 おわり

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update:08/03/14