ひまわりの微笑み
(1)

 好きになった人は、異世界の神だった。
 ずっと一緒だと、ずっと一緒にいてくれるおさななじみだと思っていた。
 いつも横にいることが当たり前な、……そう、まるで空気のような存在になっていた。
 けれど、失ってはじめて気づいた。
 その存在が、どれほど大切だったか。どれほど大きかったか。
 空気とは、いてもいなくても気づかないという意味ではない。
 それなしでは生きていけないという意味。
 気づくと同時に、絶望へと落とされる。
 だって、好きだと気づいたその時には、もう決して会うことがかなわない存在になっていたから。
 異世界の神に恋をしてしまっていた。


 庚子がいつも一緒にいたおさななじみと別れて、一体どれだけの月日がたっただろう?
 恐らく、人間の時間にしても、それほど長くはたっていない。
 そう、まだ五年。けれど、もう五年もたってしまった。
 五年たっても、庚子の気持ちはあの時のまま。あの時の喪失感は失せない。
 今なお、手をのばせば触れられる距離に存在を感じてならない。
 同時に、絶対に触れられないことを痛感する。
「庚子ちゃん、はいっ」
 広がる黄色い園を見渡すことができる木に背をもたれかけ、ぼんやり広がる青空を眺めていた庚子にふと陰がかかった。
 それと同時に、にこにこ楽しげに笑う柚巴が、庚子の頭にたんぽぽの花冠をぽんとのせた。
 そして、「あ、やっぱり似合うー!」と楽しげに一人くすくす笑っている。
 庚子は今、御使威家に来ている。
 御使威家の庭は、以前にもまし、たんぽぽでうめつくされている。
 庚子は、高校を卒業し、柚巴を追いかけるように同じ大学に進学し、そしてこの春卒業した。
 どれほど時間を経ようとも、柚巴との時間はかわりなく続いている。
 けれどやっぱり、そこにはぽっかり穴があいたように、あいつだけがいない。
 柚巴はもうすっかり、五年前のあれは過去のこととして割り切り先へ進んでいるのに、庚子は今もあの時のまま、立ち止まったままでいる。
 さすがにそろそろ、もうけじめをつけなければいけないとは頭ではわかっているけれど、心は全然ついていかない。
 こうして、柚巴が幸せそうに笑うと、時折、その幸せをつぶしてやりたい心境にかられることがある。
 庚子は一体、いつ頃から、こんなに心があさましくなったのだろうか? 人の幸せを妬むなど……。
 あの時に、おさななじみにはきっぱり別れを告げられたのに、それでもずるずるひきずるなんて、庚子らしくない。
 ふと陰りを見せた庚子の顔を、柚巴は心配げにのぞきこむ。
 それに気づき、庚子は愛想笑いを浮かべた。
 柚巴の幸せは庚子の幸せ。かつてはそう思っていた。そして、矛盾しているようだけれど、それはきっと今も変わらない。
 だから、柚巴に心配をかけてはいけない、庚子はそう自らを奮い立たせる。
 柚巴はきっと知らない。
 今も庚子が多紀をひきずっていることなど。
 柚巴はきゅっと庚子に抱きつき、そしてすぐに離れた。
 不思議そうに見上げる庚子を見下ろし、にっこり微笑む。
「おなかすいたね、わたし、おやつもらってくるね」
 そう言って、柚巴は庚子にすっと背を向け、向こうにある屋敷へ駆けて行く。
 もう二十歳を過ぎたというのに、柚巴の言動は相変わらず子供っぽい。
「……不覚」
 走っていく柚巴の背を見送りながら、庚子はぼそりとつぶやいた。
 あんなに庚子を心配して、そして気遣ってくれる柚巴を妬むなんて、やっぱりらしくない。
 さっきのあれも、柚巴なりに庚子をなぐさめようとしたのだろう。
 そして、庚子を思い、少しの間だけでも一人になれるよう計らったのだろう。
 庚子は一度目をとじ、それからゆっくり開いた。
 青空へ視線を移す。
 そこでは、青い空の中を白い雲がゆったり流れていた。
 その時だった。
 背後で、草を踏む小さな音がした。
 庚子は慌ててばっと振り返る。
 するとそこには、庚子の迫力に気おされ驚いたように見下ろす由岐耶が立っていた。
 がっくり、庚子の肩が落ちる。
 ――また、あいつ≠カゃなかった。
 庚子は一体、これを何度繰り返しているのだろう?
「庚子さん?」
 由岐耶は不思議そうに、庚子に問いかける。
「ああ、由岐耶さんか。ごめん、驚かせて」
 ばつが悪そうにくしゃっと髪をかきあげ、庚子は微苦笑を浮かべる。
「いえ……」
 由岐耶は静かに笑みを浮かべ、まるでそれが辺り前のようにゆっくり庚子の横に腰を下ろしていく。
 二人の間は、近づきすぎることもなく、だからといって遠すぎることもなく、適度な距離が保たれている。
 この距離も、五年前のあの頃から変わることはない。
 庚子は気づいている。
 由岐耶もまた、庚子の思いを知っていて、ただ静かに庚子を見守っていることに。
 はじめの頃は気づかなかった。けれどある時ふと、そう思うようになった。
 同じように、かなわぬ恋をしているからこそ、それは気づけたのだろう。
 由岐耶は今もまだ、柚巴のことを思っている。
 庚子はんーと一度のびをして、横に座る由岐耶をちらっと見る。
「わたしもたいがいしつこいな。心のどこかでは、まだあいつに会えると信じている。そんなことはあり得ないのに」
 ふうとため息をもらし、庚子は苦く笑ってみせる。
 その横で、由岐耶は青空を見上げたままつぶやいた。
「それだけ、強く大きな思いということでしょう」
 そして、ゆっくり庚子へ視線を向け、どことなく切なげに、優しい微笑みを浮かべる。
 その微笑に、庚子の胸はきゅっと痛む。
「あんたも大変だね、由岐耶さん」
 庚子はぶっきらぼうにそう言うと、困ったように微苦笑を浮かべた。
 由岐耶は一瞬目を見開き、すぐにふっと口の端をゆるめる。
「お互い、困り者ですね」
「ああ、困ったものだ」
 そして、互いに顔を寄せ、くすくす笑い出す。
 本当に、五年もたったのだから、いい加減けりをつければいいものの。
 たいがい、二人ともしつこい。
 けれど、それでも諦められないのだから、これはもう困り者以外の何者でもない。
 どうしたって、抱く気持ちだけは思い通りになってくれない。
「おっ待たせー!」
 二人並んでぼんやり空を眺めていると、そう言って柚巴が庚子の前に現れた。
 そういえば、少し前から、ぱたぱた駆ける足音が聞こえていたような気がする。
 それにすら気づかないほどに、庚子の心はこの大空に奪われていたらしい。
 それは由岐耶も同じだったらしく、珍しく、現れた柚巴に驚いている。
 由岐耶には柚巴の気配を読み取れるという能力があるので、普段なら驚くことはない。
「あれ? 由岐耶さんも一緒だったんだ。じゃあ、ちょうどよかった」
「ちょうどいい?」
 当たり前のように庚子と由岐耶の間の一人分だけあいたスペースに腰を下ろし、柚巴はにっこり笑う。
「うん。でもその前に……はい、おやつ」
 柚巴はそう言って、抱えた籠いっぱいに入った焼き菓子をとり、庚子と由岐耶に手渡し、ともに入れていたカップと水筒をとりだす。
 先ほどまで庚子と柚巴二人だけしかいなかったのに、カップは何故か三つ。
 とぼけて見せているだけで、柚巴はちゃんとここに由岐耶がやってきていることに気づいていたらしい。
 庚子も話には聞いていたけれど、あの誘拐事件以来、柚巴にも限夢人のような能力がそなわってしまったのだとあらためて納得する。
「それで、柚巴、ちょうどいいって?」
「うん、あのね、今日の夕方、みんなでバーベキューをしよう。向こうから世凪たちも来るって、さっきわかったの」
 嬉しそうににこにこ笑い話しながら、柚巴は三つのカップに水筒からお茶を注いでいく。
 ほわほわ湯気が立っている。
 柚巴からカップを受け取りながら、由岐耶は思い出したようにつぶやく。
「そういえば、今朝、紗霧羅たちがやけにそわそわしていたような……?」
「そうなんだ? わたしもびっくりしたよー。おやつをとりにいったら竜桐さんがいて、いきなり言うんだもん。でも、ちょうどいいから、みんなで夕食をしたいねーということになってね」
 ごそごそと籠をかきまわし、お目当てのお菓子を見つけたのか、柚巴はにんまり笑ってそれを取り出してくる。
 五年前と変わらないその子供っぽい仕草に、庚子は微笑を浮かべる。
 髪はすっかりのび、背もそこそこ高くなり、そして体つきなんて、どこかの馬鹿王子がよだれをたらしそうなほど大人びたというのに、くるくる変わるその表情だけはずっと昔のまま。庚子が好きな無邪気な柚巴のまま。
 なのに、庚子はこんなに変わってしまった。
 見た目だけは、柚巴と同じように成長しても、心はあの時のように強気にはなれない。弱虫になってしまっている。
 もう、柚巴を弱虫と言えない。
「そうか。最近はあまり見ていなかったから……。久しぶりだな、あのちびっこお姫様の世凪いじめを見るのも」
「あはは、そうだねー。最近、華久夜ちゃんも、城下をかけまわって迷惑をふりまいて遊んでいるようだから」
「相変わらずだな、あのお姫様も」
 庚子は柚巴に手渡されたカップを両手で持ち、ゆっくり口へ近づけていく。
「楽しみだね。今日は久しぶりににぎやかになるね」
 柚巴は満面の笑みを浮かべて、庚子に微笑みかける。
 本当に、今はすっかり、あの時とは違い、柚巴は何のかげりもなく無邪気に笑うようになった。
 まあ、柚巴はあれだけ辛い思いをしたのだから、同じだけ幸せを味わわないと不公平だろう。
「それじゃあ、姫さま、おやつはほどほどにしておきませんとね?」
「あ、そうだね」
 微笑み、まるで子供に言い聞かせるように言う由岐耶に、柚巴もにっこり笑って答える。
 由岐耶の目が、切なげに、けれど幸せそうに揺れた。
 その一瞬のゆらぎを、庚子は見逃さなかった。
 手に入れられない人と、もう二度と会えないのも辛いけれど、常に側にいるのはもっと辛いのだろう。


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update:09/02/01