ひまわりの微笑み
(5)

「あれ? 由岐耶さん?」
 ネオンきらめくオフィス街に、やけにきらきら光る頭を見つけ、庚子は首をかしげた。
 ここは日本。いくら国際化がすすんだ現代といえ、ここまで見事な金髪は滅多に見ない。家路を急ぐビジネスマンやOLたちが、その金の頭をちらちら見て行く。
 定時をむかえ、庚子がオフィスビルから出ると、そこに由岐耶が立っていた。
 たしかに、これまでも何度か、柚巴のお呼びで由岐耶は庚子を迎えにきたことがあるので、この場所を知っていても不思議ではない。
 けれど、今日は柚巴との約束はなかったはず。
「こんばんは、庚子さん」
「今日はどうしたの? 柚巴とは……」
 静かに微笑む由岐耶に、庚子は駆け寄っていく。
 そして、由岐耶のもとにつくと、はあと小さく息をはきだし呼吸を整える。
「今日は、個人的に」
 由岐耶はどこかばつが悪そうに、微苦笑を浮かべた。
「個人的に?」
「ええ、昨日のことで……」
「ああ……」
 庚子も何故ここに由岐耶が来たのか理解したようで、小さくうなずく。
 昨日のことといえば、あれしかない。
 いきなり柚巴が結婚式の予定を告げ、その後由岐耶と一緒に庚子は月明かり降るたんぽぽの園で……。
 今思えば、もしかしなくても、庚子はとっても大胆なことをしてしまったのではないだろうか!?
 大の男を連れ出し、そして抱きしめてしまったのだから。
 いやいや、それよりも、そんな大の男に泣けだとか、庚子はなんか偉そうなことを言ったような気がする。
 あわあわと急に慌てだした庚子に、由岐耶はくすりと小さく笑う。
「庚子さん、昨日は見苦しいところを見せてしまい、すみませんでした」
「え? い、いや、こっちこそ……。なんだか、余計なお世話だったかもしれないけれど……」
 由岐耶は庚子の肩にすっと手をまわす。
 それに促されるように、庚子はゆっくり歩き出す。
「いえ、助かりました。あの時、あそこにいてくれたのが庚子さんでよかったです」
「え……?」
 顔はまっすぐ前へ向け、けれどその視線はやわらかく庚子に注ぎ、由岐耶が静かに答える。
 庚子は思わず、由岐耶を見上げた。
 やはり、昨日の今日、由岐耶にはいつもの元気がないように見える。
「……大丈夫?」
 だから、思わず、庚子はつぶやいてしまった。
 それに一瞬驚いたように目をぱちくりして、由岐耶はふわりと微笑んだ。
「はい」
 そして、ゆっくりうなずく。
 まだ、大丈夫なわけがない。そんなこと、庚子だってわかっている。
 何より、憂いを帯び、夜のオフィス街をまっすぐ見つめる由岐耶のその目が、それを語っている。
 けれど、その言葉も嘘ではないだろう。
 由岐耶は今必死に、大丈夫になろうとしている。
 自らに言い聞かせるために、思い込ませるために、大丈夫という。
 遠くの方で、クラクションが鳴っている。
 ざわざわと、帰りを急ぐビジネスマンの声と靴音が、ビルの谷間に響く。
 車のテールランプは、ずっと向こうの果てまで続いている。
 あの光を追いかけたら、一体どこへたどりつくのだろう?
 庚子の知らないところへつれていってくれるのだろうか?
 庚子の目には、そのずっと遠くへ由岐耶が行きたがっているように見えた。
 気づけば、庚子は肩を抱く由岐耶の腕にそっと頬を寄せていた。


 柚巴の結婚宣言が飛び出した春頃から、どのくらいたっただろう。
 今ではすっかり、日差しが厳しい季節になった。
 あれから、庚子の日常も由岐耶の日々もゆったり流れ、とりたてて変化はなかった。
 ただ、気づけばいつもそばに、互いがいるようになっていた。
 それは、慰めを求め、必然そうなっていたのかもしれない。
 何故か、互いに互いがそばにいるだけで、心が落ち着くようになっていた。
 だって、互いの気持ちがわかるのは、互いだけなのだから。
 報われることのない恋に、胸を痛める二人。
 ただ、それだけ。
 けれど、それだけでも、互いの存在がどれだけ大きいかは、ともにいる今の時間が証明しているだろう。
 いつものように定時をむかえ、庚子が会社を出ると、そこには由岐耶が立っていた。
 帰路につくまわりの女性がちらちら由岐耶を見て、こっそり黄色い声をあげている。
 たしかに、由岐耶は申し分ない見た目だろう。
 特にその姿は、目立つ。
 だって、まるで異国の王子様のように見えるのだから。
 人待ち顔で、けれどおだやかに微笑むその姿は、女性の心を一瞬にしてつかんでしまっても仕方がない。
 しかし、普段の由岐耶を知っている庚子は、思わず吹き出しそうになる。
 由岐耶は、どこぞの本物の王子様と一緒で、とても王子様なんていえないのだから。
 けれど、いろめきたつ女性たちを見て、庚子はなんだかちょっぴり優越感を抱いてしまう。
 だって、あそこにいる王子様は、庚子を待っているのだから。
 庚子の勘違いとか思い上がりとかではなく、間違いなく、絶対。
 その証拠に、庚子に気づいた由岐耶が振り返り微笑みかける。
「庚子さん、お疲れ様です」
「由岐耶さん、こんばんは」
 そう由岐耶が庚子に声をかけた瞬間、まわりでは小さな悲鳴があがっていた。
 どうやら、由岐耶に見とれていたお嬢さん方が、悔しさの嘆きをあげているのだろう。
 なんだか、庚子はもうちょっとだけ優越感を覚えてしまう。
 この人は庚子のものではないけれど、ある意味、庚子とはいちばん互いを理解し合った仲だから。
 あんなけばけばのお姉さんたちなんて、由岐耶の趣味じゃないことを、庚子はよく知っている。
 由岐耶の好みは、あどけない少女のように笑う女性。――少女の心を忘れない庚子の親友。
「今夜も姫さまのところへ行かれるのですよね?」
「ああ。昼間、SOSがあったからね。ウエディングドレスを決められないから、助けて庚子ちゃーん=Aてさ」
 庚子は思い出したようにくすくす笑いながら答える。
 きっと、少し前の由岐耶にならこんなことは話せなかっただろう。
 けれど、今はいつだったか由岐耶が言った言葉通り、もう大丈夫なことを庚子は知っている。
 いつまでも気にして遠慮している方が、余計に由岐耶を困らせ苦しませるだろう。
 だから、様子をうかがいつつ、ちょっとずつ、庚子もこの話題を出すようにしている。
「まったくもう、姫さまは。無邪気に残酷ですねえ」
「本当に、柚巴は無意識にいちばんひどいよな」
 はあとため息をもらし、由岐耶は呆れたようにつぶやく。
 庚子も眉尻をさげ困ったように見せかけて、だけどくすくす笑うことはやめない。
 こんな一見自虐的なことでも、今の二人には笑えることになってしまっていることを、やっぱり庚子は実感している。
 きっと、これはいい傾向なのだろう。
 こうしてだんだん、好きだった気持ちが薄れていき、そしていつかは――。
 早くその時がくるといい。
 庚子には、まだ当分難しいだろうけれど。
 だからこそ、せめて由岐耶だけは……。
 近頃は、そう望むようになってきた。
「それでは、お供します」
 そう言って、由岐耶は庚子にすっと手を差し出した。
 庚子もくすくす笑いながら、その手にそっと手を重ねる。
 そうして、夜のオフィス街を二人ゆっくり歩いていく。
 由岐耶がいれば瞬間移動も簡単だけれど、今日はなんだか歩いて帰りたい気分だった。
 いや、むしろ、すぐにやってくると思っている柚巴の期待を裏切り、じりじりじらしてやろうなんて、いじわるな気持ちもちょっとはあったかもしれない。
 これくらいの報復、幸せいっぱいの柚巴なんだからされて当然だろう。
 そうそう、少しくらいは、いじめてやらなければ。
 いくらか歩き、最寄り駅への入り口が見えた頃。
 閉店準備をはじめた花屋の前を通りかかった。
 その店先には、この季節らしく、観賞用に改良されたひまわりがいけられていた。
 それを見て、庚子は思わず足をとめつぶやいた。
「あ、ひまわり」
「え? あ、この黄色い大きな花ですか?」
 由岐耶も庚子にあわせ足をとめ、首をかしげる。
「うん、限夢界(あっち)にはないの?」
「ええ、そうですねえ」
 興味深げにひまわりを見る由岐耶を見上げ、庚子もくいっと首をかしげてみせる。
 たしかに、一部の花は、似たようなものが限夢界にもあるらしいとは庚子も聞いている。
 だから、ひまわりがなくても当たり前なのだろうけれど、それでももう二十年、三十年は人間界とかかわりを持っているのだから、これまでに一度くらいは見たことがあってもいいだろう。
 なんだか、由岐耶はおかしなところで抜けているような気がする。
 庚子は、由岐耶にばれないように小さく笑う。
「そっか。わたしは、この花がいちばん好きなんだ。だって、いつも太陽を向いている花だから」
 ひまわりは、常に太陽を追いかけてその花を向けているという。
 まるで、太陽に恋焦がれ、求め追いかけているように咲いている。
 だから、向日葵≠ネんて言われるのだろう。
「へえ、おもしろい花ですね」
 やはり由岐耶は、感心したようにひまわりを見ている。
 その時、店の中から店員がでてきて、庚子たちにはかまわずひまわりを片づけていった。
 どうやら、買う気がなくただ見ているだけということを見透かされてしまったのだろう。
 店内に消えていくひまわりを目で追いかけながら、庚子はぽつりつぶやく。
「……それに、わたしみたいだろ? 太陽に焦がれる花」
「庚子さん……」
 自嘲気味にそう言って、庚子はちらっと由岐耶を見る。
 すると由岐耶は、切なげに庚子を見つめた。
 庚子は、多紀のことがまだ忘れられない。
 でも、誰にも心配をかけたくないから、気づかれないように懸命に虚勢をはっている。
 それでも何故か、由岐耶にだけは気づかれてしまっている。
 だからもう、由岐耶の前で強がるのは馬鹿らしくなった。
 そして、いつ頃からか、由岐耶の前でだけは自然体でいるようになった。同時に、由岐耶も庚子の前でだけは弱さを見せるようになっていたから。
 これは、きっと、心地よい傷のなめあい。
「でも、最近は、あの花みたいに、やっぱりいつも顔を上げて生きていきたいって思えるんだ。……少しは進歩した証拠かな?」
 くすりと笑って肩をすくめ、庚子はちろっと舌を出しおどけてみせる。
 由岐耶は驚いたように目を見開き、そしてすぐに目を細めた。
「そうですね」
 由岐耶はそう言いながら、くしゃりと庚子の髪をなでる。
 庚子は思わずぽかんと由岐耶を見つめ、すぐににっこり笑った。
「そうだ、今度またみんなで、海へ行かないか?」
「ああ、それはいいですね。きっとまた、みんなはめをはずして大騒ぎですよ」
 由岐耶もこくんとうなずき、にっこり笑う。
「あはは、楽しくなりそうだな」
 庚子はそう言うと、くすくす笑い出す。
 そして、地下の駅へ続く階段を、由岐耶と一緒におりていく。
 庚子の目の端に、きらりと光るものがちょっぴりにじんだ。
 庚子にとっては、一歩前進したことになるのだろう。
 だって、海といえば、まだ多紀がいた頃、みんなで騒いだ思い出の場所。
 五年前のあの時から、庚子はまだ一度も海にいけていない。
 けれど、また海に行きたいと思えたのだから、それは間違いなく前へ進んでいるということだろう。
 うん、これはきっと、いい傾向。


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update:09/03/11