ひまわりの微笑み
(6)

 そしてまた、季節が移り変わっていく。
 まだ戸惑いはあったけれど、みんなで行った海は、たしかに楽しかった。
 あの時のことを思い出すことなく、何故か庚子は純粋に満喫していた。
 すいか割りをしたいと駄々をこねだした王子様とちっちゃなお姫様に、柚巴が必死に「不正は駄目だからね!」と言い含める姿もかわいかった。
 もちろん、柚巴にそんなことを言われては、あの二人が逆らうはずもない。
 限夢人の能力は一切封じられた結果はもちろん、さんざんだった。
 使い魔たちに嘘八百の指示を出され、世凪は結局すいかを割ることができず、最後にはいつも通りにぶちきれていた。
 そして、ビーチバレーでもやっぱり、力を封じた王子様は、みんなにさんざんふりまわされ、必死にボールを追いかけていた。
 かと思うと、夜の花火では、誰よりも無邪気に子供のようにはしゃいでいた。
 そんな王子様を見守るように見ていた柚巴が、庚子にはなんだか印象的だった。
 やっぱり、時間は流れている。
 少し前の柚巴は、あんな顔をして世凪を見ることはなかった。
 暴れん坊王子様と、それを優しく見守る柚巴。
 そして、自由に王子様をからかって遊ぶ使い魔たち。
 庚子の中で、五年前のおさななじみのあいつとの思い出が、この夏の思い出に塗り替えられていく。
「さてと、今日はこのデータを持っていく約束だったんだよなあ。あの王子様、きっと激怒するな」
 数日前の休日に行った海を思い出しくすくすくす笑いながら、庚子はいそいそとオフィスビルのエントランスホールを歩いていた。
 海での思い出をつめこんだデジカメのメモリカードが入った鞄を、ぱんとかるくたたく。
 ここ数日残業が続いてしまい、庚子はようやく今日柚巴に会うことができる。
 さっきそう連絡を入れると、「世凪たちにも連絡しておくねー」という柚巴からの返事があった。
 今夜もきっと、王子様からかい大会がはじまるのだろう。
 まわりに愉快な使い魔たちがいるから、庚子は近頃はあまり、おさななじみのあいつを思い出し涙することもなくなった。
 会うとこのできない大切な人より、そばにいる愉快な仲間たちの存在の方が大きくなりつつあるということだろうか?
 彼らの存在はきっと、庚子も気づかないうちに、壊れそうな庚子の心を支えているのだろう。
 うん、やっぱりいい傾向。
 このまま少しずつ、おさななじみのあいつのことを忘れていければ……。
 いや、忘れるのじゃなくて、気持ちを切り替えていくことができれば。
 よくよくまわりを見渡してみれば、いつまでも過去にしばられる庚子が馬鹿らしくなる。
 みんな、少しずつ前へ進んでいるのだから、庚子もそれを見習わなければならない。
 いつまでもぐずぐずしているのは、庚子だけ。
 そばでずっと見守ってくれている人もいるのだから、その人のためにも。
 庚子は今、たくさんたくさんの優しい目に見守られている。
「松原さん」
 エントランスを出ようとした時、庚子はふいにそう呼び止められた。
 振り向くと、どこかで見たような顔があった。
 どこかで見たことがあるということは、きっと同じ会社のかかわりがある部署の誰かだろう。
 部署ごとにフロアが分かれているので、庚子は他部署の人間までしっかり把握できていない。
 この暑い真夏に、びしっとスーツを着こなした男性が立っていた。
「ええと、あの……。あなたは……?」
 庚子が首をかしげ問いかけると、男性はにっこり笑った。
 庚子の問いかけに、面識があると思い出したとでも思ったのだろう。
 一体、何のために声をかけたのか、庚子にはいまいちわからない。
 いや、本当はわかっているけれど、無意識にわからないようにしているのだろうか?
 そのもじもじした様子から、きっとこれから言われることは……。
「あの、この後お暇ですか? よろしければ……食事で――」
 頬をほんのり染めそう言おうとしたところで、男性の言葉はぴたり途切れた。
「庚子さん!」
 同時に、そう庚子を呼ぶ声が飛び込んできた。
 庚子はびくんと大きく体を震わせ、ばっと振り返る。
「あ、由岐耶さん!」
 そして、どこか安堵したように微笑を浮かべる。
 いつもは会社の外で待っている由岐耶が、珍しく今日はエントランスへ駆け込んでくる。
「またお迎え?」
「はい」
 庚子は少し不思議に思ったけれど、何故か今この場に由岐耶が来たことにほっとしている自分に気づき、慌てて声をかける。
 そして、やって来た由岐耶に手をのばそうとして、庚子ははっとし、慌てて振り返った。
 いくら安心してしまったとはいえ、これでは相手の男性に対してとても失礼になると気づいた。
 庚子が慌てて振り返ると、先ほどの男性が微苦笑を浮かべていた。
 そして、ふるっと小さく首を振る。
「そうですか、わかりました。あなたには、すでに決まった方がいるのですね」
 そう言って、男性は踵を返す。
 男性の肩が、がっくりたれている。
「あ、あの、ちょ、ちょっと……!」
 庚子は慌てて呼びとめようと声をあげる。
 けれど、男性は庚子に背を向けたまま小さくつぶやいた。
「いいんです、すみませんでした」
 そして、庚子に振り返ることなく、とぼとぼ歩き出す。
 その背に向かって、庚子は少し声を大きくして言う。
「あ……っ。ご、ごめんなさい!」
 男性はそれには答えず、そのまま去っていった。
 庚子は申し訳なさそうに顔をゆがめ、それを見送る。
「庚子さん、もしかして、わたし、邪魔をしてしまいましたか?」
 戸惑う庚子に、由岐耶がそう声をかけた。
 すると庚子ははっとして振り返り、じっと由岐耶を見つめる。
 そして、ふるると首を横に振った。
「いや、いいんだ。だけど、いつも悪いね、由岐耶さんにばかり迎えに来てもらって」
「いいのですよ。わたしが望んで来ているのですから」
「……え?」
 どこかばつが悪そうにおどおどする庚子に、由岐耶は静かに微笑みかける。
 庚子の戸惑いを汲み取り、できるだけ平静を装おうとしているのだろう。
 そんなさりげない優しさが、庚子の胸をちくんといためる。
 ただ、何かひっかかることを由岐耶は言ったような気がする。けれど、それが何かは庚子にはいまいちわからない。
 だけど、それはきっと、聞き逃してはいけない小さなシグナルだったのだろう。
 そのサインを懸命に探り出そうとする庚子に、由岐耶はいつものように手を差し出す。
「さあ、行きましょう」
 由岐耶はそう言って、にっこり笑う。


 あの後、手をとった庚子を連れて、由岐耶は御使威邸まで瞬間移動してきた。
 いつかのように、わざわざ地下鉄に乗って歩いて帰って来ることもできたけれど、今日はみんなが集まってバカ騒ぎをする予定なので、遅れるわけにいかない。
 少しでも遅れようものなら、調子にのってからかう馬鹿がたくさんいる。
 由岐耶だけなら蹴散らせるけれど、庚子も一緒となるとそれも難しいだろう。
 いや、口でなら庚子も負けてはいないけれど、それが肉弾戦にでもなったら庚子は一発で負けてしまう。命の危険すらある。
 あの馬鹿どもは、容赦というものをまったく知らないから。
「なあ、由岐耶さん、前から思っていたんだけれど、どうしてわたしによくしてくれるんだ? やっぱり、同士だから?」
 御使威邸につき、重ねていた手を放すと、庚子が不思議そうに由岐耶に問いかけた。
 由岐耶は予期せぬその問いに、狐につままれたように驚いてみせる。
 けれどすぐに、ふっと口のはしをゆるめた。
「そうですね、たしかにわたしたちは、同士でしたね」
 由岐耶はそう言いながら、御使威邸の玄関扉を押し開ける。
「でした? 過去形?」
 すっかり扉を開き、招き入れる準備ができたというのに、庚子はそこにぴたりと立ち止まって入ろうとしない。
 訝しげに由岐耶をじっと見つめている。
 由岐耶は、少し困ったように微笑を浮かべる。
 そして、庚子へ手をすっとのばす。
「ええ、わたしはもう吹っ切れましたから。……庚子さんのおかげで」
「……え?」
 そう言うと同時に、由岐耶の手が庚子の手をとっていた。
 びくりと、庚子の体が震える。
 そして、やっぱり訝しげに――いや、驚きに満ちた目で由岐耶を見つめる。
「あの時、いくら覚悟はできていたとはいえ、姫さまの結婚話を聞かされた時は、そう……。ですが、あの後、庚子さんがあの場から連れ出し、慰めてくれましたから」
 由岐耶はぐいっと庚子の手をひき、引き寄せる。
 その勢いのまま、庚子は御使威邸の玄関扉をくぐっていた。
「だ、だって、あれは……っ」
 どう答えていいのかわからず、しどろもどろに庚子が小さく叫ぶ。
 あの時は、どうすればいいのかわからず、とりあえずあの場から由岐耶を連れ出したかった。
 けれど、今思えば、あれほど余計なおせっかいはなかったのではないだろうかと、庚子は時折後悔することもある。
 それが、庚子の本当。
 けれど、由岐耶はそれを……?
「本当に嬉しかったのですよ。あの時、庚子さんがずっとそばにいてくれなかったら、わたしはきっと、壊れていました」
 そう、由岐耶は嬉しかったという。
 そして、それが由岐耶を救っていた?
 ならば、あの時の庚子の判断は間違いではなかったのだろう。
 庚子の胸の内に安堵がゆっくり広がっていく。
「あの時支えてくれたのが、庚子さんでよかったです」
 つなぐ手をそのまま引き寄せ、由岐耶はさっと庚子の腰に手をまわし、少しだけ抱き寄せた。
 庚子はどうしていいのかわからず、ただじっと由岐耶を見つめる。
 頬がほんのり熱い。
 由岐耶が触れる場所が、まるでそこに心臓があるかのように変にどくどくして緊張する。
 由岐耶はいつもの庚子らしくなくおろおろしているそんな仕草に、ふと口のはしをあげた。
 由岐耶が庚子に告げたことは、たしかに本当。
 けれど、それだけではなく、由岐耶は庚子を守りたいと思っている。
 それは、柚巴の大切な友達ということもあるけれど、近頃ではむしろ……。
 そう、庚子への感謝の気持ちの方が大きい。
 庚子はあの春の日、由岐耶を救った。
 それは、紛う方のない事実。
 だから、そんな庚子だから、由岐耶の精一杯で守りたい、見守りたいと思っている。
 先ほど、庚子が他の男と一緒にいるところを見てしまい、何故かはわからないけれど、由岐耶の中におもしろくない感情がわきおこった。
 瞬間、邪魔してはいけないとわかっていても、足は庚子へ向いていた。
 ずっとこれから先も、庚子を理解しそばで見守っていくのは由岐耶だと思っていたのに、あの場面を見た瞬間、その思いがくだかれたように感じた。
 同時に、庚子の横によりそうのは由岐耶でないと嫌だ、という不可思議な感情も生まれていた。
 春のあの日、庚子の肩をかり、柚巴への思いと決別してからは、由岐耶の胸はいつもおだやかだった。
 それが、あの男に邪魔されたような気がして波立った。
 庚子を見守っていくのは、由岐耶でなければ嫌だ。
 いつかきっと、庚子の心からの笑顔を由岐耶が取り戻したい。
 なんだか、そんな自分勝手で不思議な感情が由岐耶の中でわきあがる。


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update:09/03/21