ひまわりの微笑み
(10)

 季節は、そろそろ舞い散る雪が終わる頃になった。
 もうすぐそこまで、春がやってきている。
 そして、春がやってきて、辺り一面淡い色の花で覆われる頃、柚巴は人間界からいなくなる。
 いや、必ずしもそうとは言い切れないけれど、恐らく、人間界で見かけることは少なくなるだろう。
 その頃には、柚巴は、遠い遠い異世界の王妃さまになっているから。
 庚子は終業の時間がすぎ、オフィスビルから出てきた。
 何気なく空を見上げると、最後のあがきとばかりに雪が舞っている。
 ネオンを受け、真っ白いそれは夜空にきらめく星のようにきらきら光っている。
「庚子さん」
 庚子がぼんやり雪が降りてくる空を見上げると、またあの聞きなれた声が聞こえた。
 ゆっくり視線を落とすと、前方に、白い息をはきだす由岐耶がおだやかに笑って立っていた。
 限夢人には温度の概念がないと聞いたことがあるけれど、それは概念だけで、体温はしっかりある。
 ないわけがない。
 だって、庚子に触れる由岐耶の手は、いつもあんなにあたたかいのだから。
「え? 由岐耶さん? 柚巴は今、あっちだろ?」
 庚子も白い息を吐き出しながら、小走りで由岐耶に駆け寄る。
 地面にうっすら積もった雪に、足をとられそうになる。
 ばしゃばしゃとはじけ、とけかけて黒くなったそれがブーツを汚していく。
「ええ、姫さまが、庚子さんとお茶をしたいと戻ってこられたので、お迎えに」
 駆け寄る庚子を、由岐耶は両手を出し支え受けとめる。
 もう少しのところで、庚子はやっぱり雪に足をとられすべりかけてしまったから。
 こういう日は、ヒールが高いブーツはよろしくない。
 由岐耶の腕に倒れるように庚子が飛び込むと、由岐耶はそのまますっと庚子を抱き寄せた。
「まったく、柚巴はいつもいきなりだな」
 ゆっくりと由岐耶の腕からはなれながら、庚子はあきれがちにつぶやく。
 まあ、庚子としては、王子様との時間より庚子を選んでくれたので嬉しいのだけれど。
 けれど、その後に待っている王子様の不機嫌攻撃を思うと、果たしてどちらがいいのか……?
 由岐耶の腕からはなれたかと思うと、庚子はぐいっと手をひかれ、また由岐耶の腕の中にいた。
 不思議に思い由岐耶を見ると、ただ静かに笑って小さくうなずくだけだった。
 つまりは、庚子が寒くないように、そう気を遣っているのだろう。
 ある意味とっても大胆な気の遣い方のように思えるけれど、別に嫌ではないので庚子はそれに従う。
 触れる由岐耶は、やっぱりあたたかい。
「それが、姫さまですから。近頃は、どこかの馬鹿王子に影響されている感も否めませんが」
 無意識なのだろうか、そんな大胆なことをしても、由岐耶には気にしたふうはなく、いつものように振る舞っている。
「あはは、違いない」
 だから庚子も由岐耶にあわせ、何でもないふりをする。
 庚子の胸は、こんなに躍り狂っているのにおくびにも出さない……ように懸命に頑張る。
「それでは、まいりましょうか」
 由岐耶は庚子の手をとり、いきなり消えても騒ぎにならないように、人が少ない方へ促そうとする。
「うん、あ、でも待って。その前に……」
 けれど、その手をぐいっとひき、庚子は由岐耶を引き止めた。
 そして、由岐耶の手をほどき、けれど抱き寄せるもう一方の腕はそのままに、がさがさと鞄の中をさぐる。
「これ」
 そして、鞄の中から、金色の袋にピンクのリボンをふんだんにつけた包みを取り出してきて、由岐耶へ差し出す。
「え……?」
 由岐耶は何が起こったのかわからず、くいっと首をかしげた。
「もうすぐバレンタインだから。渡せるうちにと思って」
「あ、あの、その……っ」
 かっと顔を真っ赤に染め、由岐耶は急にうろたえはじめた。
 まさか、庚子からバレンタインプレゼントをもらえるとは思っていなかったのだろう。
 柚巴が毎年のようにチョコを贈るので、さすがの由岐耶もバレンタインの意味はわかっている。
 そう、柚巴のおかしな解釈をしたバレンタインではなく、本当の意味のバレンタインを。
「いつも迎えに来てもらっているから、だから、その……」
 庚子はさっと顔をそむけ、そこでもじもじと体をゆすっている。
 そらした顔は、真っ赤に染まっている。
 恐らく、こういうことをしたことのない庚子にとっては、これは精一杯の勇気なのだろう。
「ありがとうございます」
 庚子の手から、由岐耶はそっとその包みを受け取る。
 同時に、庚子はそらしていた顔をさっと戻し、嬉しそうに微笑んだ。
 それを見て、由岐耶は驚いたように目を見開き、まじまじ庚子を見つめる。
 それから、やさしい笑みをすっと浮かべた。
「ホワイトデイ、楽しみにしておいてくださいね」
「ええ!? わ、わたしは、そんなつもりでは……っ」
 由岐耶がそう言うと、庚子は慌ててわたわたしはじめた。
 由岐耶もそれくらいわかっている。
 庚子は見返りを求めて人にものを贈るような女性ではないことくらい。
 ただ、純粋に、本当に純粋に、相手への感謝、思いを伝えている。
 庚子から受け取ったつつみをそっと頬に寄せ、由岐耶はすうっと目をとじる。
「庚子さんと同じで、わたしの気持ちです」
 由岐耶はそう言って、すっと目をひらき、庚子ににっこり微笑みかける。
「そ、それならば……」
 するとまた庚子はさっと顔をそらし、そこでもごもごつぶやいた。
 それから、ゆっくりとまた顔を戻してくると、由岐耶とばっちり視線があった。
 自然、二人は顔を合わせ、ほわっと微笑み合う。
 雪がぱらぱら舞っているのに、何故だか胸はあたたかく、くすぐったい。
「では、そろそろまいりましょうか」
 そして、由岐耶はさっと庚子の肩を抱き寄せた。
 その腕の中で、庚子はてれくさそうにこくんとうなずく。
 由岐耶の頬も庚子の頬も、ほわほわほてって、熱い。
 こんな雪など、触れたその瞬間、じゅわっと蒸発させてしまうほど、熱い。


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update:09/04/20