お姫様のお気に入り
(8)

 結局うやむやになってしまったけれど、華久夜と虎紅の間にある身分の差というものは、どうあがいても埋められないし、それが大きな障害になっている。
 その事実は決して無視できない。
 それでも、二人のことをいつかみんなに言える日が来ることを願わずにはいられない。
 二人のことが世間にばれたら、互いに不利益しか生じない。
 わかっているから、二人悩まずにはいられない。隠しておかなければならない。
 華久夜は苦しんでいる。
 しかし、平気なふりをしているけれど、本当は、華久夜よりもずっと虎紅の方が苦しんでいることを、華久夜はなんとなく気づいている。
 たしかに、二人のことがばれたら華久夜にも多少不利益が生じるけれど、それ以上に虎紅は大変なことになる。
 本当は、親しい人にくらい言って認めてもらいたいという思いはあるけれど、それは多大なリスクをともなう。
 だから、華久夜も隠さなければいけないということはわかっている。
 虎紅のためにも、華久夜も隠し通す努力をする。
「ねえ、虎紅、わたしをつかまえていてね。じゃないと、浮気しちゃうから」
「それは大変ですね」
「んもうー、ばか!」
 じっと見つめ華久夜が言うと、虎紅はにっこり笑って答えた。
 虎紅はまた意地悪をしている。けれど、それが華久夜にはなんだか嬉しく思えた。
 こういう虎紅も新鮮でいいし、新しい一面を知れたと思うと、なんだか二人の距離がまた近づいたような気がする。
 会ったばかりのあの変な男茉みたいに、虎紅にももうちょっといい加減なところがあればいいのに。
 華久夜はちょっぴりそう望んでしまうけれど、だけどこれくらいが虎紅にはちょうどいい。
 華久夜はこういう虎紅だから好きなのだろう。
 華久夜を抱き寄せたまま、虎紅はその頬にそっと触れる。
「華久夜さま、もう少し、もう少し待っていてくださいね。華久夜さまにつりあうだけの地位を手に入れたら、必ず……」
「ええ、いつか、堂々と言える日がくるといいわね」
 熱く見つめる虎紅に、華久夜は再びそっと胸に頬を寄せた。
 それが、二人の望み。
 今のままでは、世間にばれてしまったら、間違いなく二人は別れさせられ、華久夜は軟禁、虎紅は将来を失う。
 身分違いもはなはだしい、二流役人が恐れ多くも王弟のご息女をたぶらかしたと、後ろ指をさされそしられ、そして失脚する。
 下手をすると、虎紅は不敬罪や反逆罪としてその命すら奪われるかもしれない。
 それだけは、絶対に避けなければいけない。
 こんなリスクを負っていても、別れる、その選択肢だけは二人は持ち合わせていない。
 二人はなれることは考えられない。だから、華久夜は今の状況に必死にたえている。
「わたしに、もう少し身分があれば」
 虎紅は苦しげに、必死にあがくようにまたつぶやいた。
 華久夜はすっと両手をのばし、虎紅の両頬をつつむ。
 それから、静かに微笑を浮かべる。
「そんなの、言っても仕方がないことよ」
「華久夜さま……」
 虎紅の顔が、辛そうにゆがみ、瞳がゆらめいた。
 そして、二人の顔がゆっくりとその距離を縮めていこうとした時、こつんと床を踏む音がした。
 二人ははっとして、慌てて音がした方へ振り向く。
 油断して、こんな誰の目があるとも知れないところでこんなことをしてしまった。
 隠さなければいけないと改めて覚悟したとたん、こんなミスをしてしまうなどなんとうかつなことだろう。
 感情に流されて、まわりの気配に気を配ることすら忘れていたなんて、なんという失態だろうか。
 華久夜の顔からも虎紅の顔からも色が失せる。
 しかし、二人が振り向いた次の瞬間には、顔が真っ赤に染まった。
 振り向くと、柚巴がきょとんと首をかしげて立っていた。
 その後から、世凪が追いかけるようにして(くう)からすっと現れた。
「ゆ、柚巴!? こ、これは……っ!」
 とりあえず、目撃した人物を確認して、華久夜と虎紅の絶望感はすぐに払拭されたけれど、今度は別の感情が、羞恥心がどばどば湧き出てきた。
 ある意味、いちばん見られたくない人にいちばん見られたくないところを見られてしまった。
 こんなに恥ずかしいことはない。
 きょとんと首をかしげていたかと思うと、柚巴は次の瞬間何かを納得したようにぱっと顔をはなやがせ、嬉しそうににっこり笑う。
「わあっ、二人、そうなんだあ。華久夜ちゃん、虎紅さん、おめでとう」
 そして、何を勘違いし納得したのか、そんな突飛なことを言う。
 二人、そうなんだあ≠ワではわかるとして、何故そこでおめでとう≠ニなるのだろうか?
 柚巴のことだから、間をすっ飛ばして、きっととんでもないところにまで飛躍しているのだろう。
 先ほどまでの焦りや恥ずかしさも、すっと消えてしまう。
「おめでとう……って、柚巴。――そうね、あなたって、そういう人だったわね」
 華久夜は呆れがちにふうっとため息をもらし、肩をすくめくすりと笑う。
 そうだった。柚巴に目撃されても、焦る必要などなかった。
 柚巴とは元来こういう女性だった。
 そう思うと、やはり、目撃されたのが柚巴でよかったのかもしれない。
 虎紅も小さく息をはき、ほっと胸をなでおろしている。
 しかし、柚巴はそれでいいとして、その後を追ってきた男が問題。
 この男は、人が嫌がることは大好きだし、陥れることはもっと好きだし、何よりこういう場面を目撃して黙っておくはずがない。
 世凪はにたにたと嫌な笑みを浮かべ、まじまじと華久夜と虎紅を見くらべる。
「へえ、ふーん。年の差に身分の差かあ」
「な、何よ!?」
「……くすくす。二重苦?」
 世凪は嫌味っぽくつぶやく。
 瞬間、華久夜の中で何かがぶっちんとぶち切れた。
「そうだったわね、あんたは、そういう奴だったわね!」
 世凪に火の玉を投げつけながら、華久夜は怒鳴る。
 それを虎紅が、慌ててとめに入る。
 さすがにここで王子様を() るのはまずい。
 まあ、ここでなくたってまずいのだけれど。
 世凪は案の定、華久夜が放った火の玉をひょいっとよけ、やっぱり腹立たしく、くくくと笑う。
 それから、はんと鼻で笑った。
「馬鹿馬鹿しい。たかが十や二十の年の差くらい。莱牙のところを見てみろ。あそこなんて、百以上だぞ。おまけに、相手はあの年増の怪物鬼女だ。最悪だね」
 世凪は汚らわしそうにはき捨てる。
 そして、すぐ横であきれたように肩を落とす柚巴を、ぐいっと抱き寄せた。
 柚巴はすでに諦めてしまっているのか、抗う様子はない。
「世凪……?」
 思いもよらないその言葉に、華久夜は思わずぴたっと動きをとめた。
 華久夜を制止する虎紅も動きをとめ、華久夜とともにぽかんと口をあけ世凪を見つめる。
 世凪のことだから、はらわたが煮えくりかえるような腹立たしいことを言うことはあっても、まさかそうくるとは思っていなかった。
 だって、言葉は悪いけれど、世凪が今言ったそれは、まるで……。
 世凪の腕の中で、柚巴は困ったように眉尻をさげている。
「まあ、せいぜい苦しめば? 俺はこれから、柚巴とらぶらぶデートだから。――行くぞ、柚巴」
 世凪はまたせせら笑いながらそう言うと、そのまま柚巴を連れて空に消えた。
 華久夜も虎紅も、やっぱり呆然とその様子を眺めていた。
 すうっと、心地よい風がどこからともなく吹いて来て、二人の頬をかすめていく。
 ふと我に返り、華久夜は小さく笑う。
「……くす。たしかに、身分どころか世界まで越えちゃった柚巴たちからしたら、わたしたちの悩みなんてたわいないわね?」
「そうですね」
 虎紅もふっと頬をゆるめ、目を細めた。
 たしかに、身分や世界、寿命の違い、それに二人に背負わされた宿命さえ越えて結ばれた柚巴と世凪からすれば、華久夜たちの悩みなど生易しいだろう。
 そんなものは、二人に言わせればその気にさえなれば容易に越えられるもの。悩む意味すらないもの。
 限夢人と人間、世界と種族を越えて、二人は思いを遂げた。
 きっと、今の華久夜と虎紅は、そんな二人を見習わなければならないのだろう。
 二人の思いを守るために、もっと強くならなければいけない。
 華久夜はくるっと振り返り、すぐ後ろに立つ虎紅を見つめる。
「ねえ、虎紅。わたしたち、なんとかなるかしら?」
「なんとかしましょう」
 虎紅はにっこり笑って、力強くうなずく。
「そうね、なんとかならないなら、なんとかしちゃえばいいのよね、あの二人みたいに」
「はい」
 そして二人見つめあい、くすくすくすと楽しげに笑い合う。
 そうと決めたら、決意したら、それはなんて簡単に思えてくるのだろうか。
 むくむくと勇気とやる気がわいてくる。
 きっと、華久夜と虎紅も上手くいく。
 無条件に、そう信じられてくる。
 優しく吹く限夢界の風が、さわさわと二人を包む。
 空は、そろそろ茜色に染まってきている。


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update:09/07/01