お姫様のお気に入り
(15)

 虎紅がさっと駆け寄り、座り込んだままの華久夜を抱き起こす。
 華久夜は虎紅にもたれかかるようにして立ち、自らの額をべちんとたたく。
 なんだか馬鹿馬鹿しすぎて、怒りまでも呆れに侵食されてしまう。
「ああ、もういいわよ。じゃあ、わたしの勘違いだったのね。それじゃあ、一体誰が犯人――」
「華久夜ちゃん、お待たせ。――あれ? お友達?」
 そこまで言いかけた華久夜に、そう声がかかった。
 華久夜はびくんと体を震わせ、ぐるんと振り返る。
 するとそこには、にっこり笑いながら首をかしげる柚巴が立っていた。
 いつの間にか、華久夜のもとに帰って来ていたらしい。
 いかにも何も考えていなさそうな、まぬけな顔。まあ、そこが柚巴が柚巴である所以だろうけれど。
「あ、柚巴!」
 華久夜は今までささえていた虎紅を突き飛ばし、柚巴に駆け寄る。
 そして、柚巴にむぎゅうと抱きつく。
「柚巴、待っていたのよ。さあ、あのお邪魔虫がやって来る前に、さっさとお茶にしましょう」
 鬼気迫った様子で、華久夜は柚巴を見つめる。
 柚巴は思わず、へにゃっと愛想笑いをする。
 華久夜が言いたいことが、柚巴にも嫌というほどわかるらしい。
 たしかに、あのお邪魔虫が来る前にはじめておかないと、いろいろうっとうしいことになるだろう。
 せめて、あの害虫がやってくるまでの間くらい、お茶の時間を普通に楽しみたい。
 けれど、華久夜は気づいていないけれど、柚巴にはもうひとつわかっていることがある。
 それは――。
「華久夜さま、それは甘いと思うよ」
 茉との会話が終わったことを見届け、やって来た紗霧羅が華久夜の肩を重々しくたたく。
「え? 紗霧羅……?」
 華久夜は不思議そうに紗霧羅を見つめる。
 そう、それ。
 柚巴が行くところ、必ずその害虫ありと言われる、あの王子様。
 柚巴とともにやってこないはずがない。
「柚巴からはなれろ、ちびっこ姫と凶暴女」
 どこからともなくそんな腹立たしい声が聞こえたかと思うと、次の瞬間には、華久夜の腕の中から柚巴の姿が消えていた。
 はっとした時には、華久夜は何故か宙を舞い、すぐそこにいた虎紅のもとへ飛んでいた。
 どうやら、その声の持ち主――馬鹿王子世凪が、柚巴から華久夜をひっぺがし、虎紅へぽいっと放り投げていたらしい。
 一瞬のうちにそんな芸当をしてのけるとは、憎らしや、馬鹿王子!
 しかも、腹立たしいことに、馬鹿王子はちゃっかり柚巴を抱きしめている。
 華久夜の体が再び虎紅のもとに戻ると同時に、そこにいた他の客はみんなそそくさと去っていった。
 ここに華久夜たちがやって来た時点で、危険を察知していたのだろう、飲みかけのお茶をぐいっとのみほしたり、食べかけのケーキをかきこんだりして、ばらばら会計をはじめていたようだけれど。取り残されていた客たちも、ようやく逃げていけたよう。
 どうやら、その判断は間違っていなかったらしい。
 案の定、やって来た。限夢界一危険な男が。
 客だけではない。さすがにともに避難することはできないので、給仕たちは一斉に華久夜たちを遠巻きにするように後退した。
 そして、すみっこの方で身を縮め、びくびくと様子をうかがいはじめた。
 触らぬ神ならなぬ触らぬ世凪に、とばっちりややつあたりなし、というふうに。
 華久夜に言わせるところのその他の下民たちのそんな行動を呆然と眺めていたけれど、次にははっと気づき、華久夜はまたしても虎紅をどんと突き飛ばし、その腕の中からはいでた。
 それから、かっと目を見開き叫ぶ。
「世凪! あんたよくも美少女華久夜さまに失礼なことをしてくれたわねー!」
 青い顔をして慌てる虎紅の制止を振りきり、華久夜は世凪に飛びかかっていく。
 その時だった。
 華久夜の横を黒い影がびゅっと横切り、それはそのまま世凪へ向かっていく。
 華久夜は思わず足をとめ、不思議そうに黒い影の後を目で追う。
 追うと同時に、それは世凪の手前でぴたっととまり、その場にぽとんと落ちた。
 世凪の足元には、一本の矢が転がっている。
 かと思うと、次の瞬間には、おびただしい数の黒い影――矢が同様に世凪へ向かっていく。
 もちろん、それらも世凪がはった結界によって、手前ですべてさえぎられ、ぼたぼたぼたとそこに落ちていく。
 ようやく矢の雨がやんだかと結界を解き、世凪が気を抜いた時だった。
 その時を狙っていたかのように、世凪の背後へ一本の矢が迫る。
 それに柚巴が気づき、慌てて世凪をかばうように身を乗り出す。
 同時に、世凪も瞬時に顔を強張らせ、さらに柚巴をかばおうと手をのばす。
 しかし、それはもうすでに間に合わない。矢は柚巴の目の前まで迫ってきている。
 世凪の顔から完全に色が失われた時だった。
 飛んできた矢は何故か、間一髪、柚巴の目の前でぴたっととまり、かと思ったらへろへろへろとそのまま地面に落下した。
 その矢の動きを見て、柚巴と世凪は顔を見合わせ、首をかしげた。
「……え?」
 戸惑いつつも愛想笑いをする柚巴を抱きなおし、世凪はそこに落ちた矢を拾い上げる。
 その時だった。
「世凪! 死ねー!!」
 そのような叫び声とともに、黒いものが世凪へ向かってひゅんと飛んでいく。
 しかし、それは世凪の目の前ですっとかき消えた。
 次の瞬間、世凪の足の下で、ぴぎゃあぷぎゃあと不細工な叫び声がした。
 世凪の腕の中で、柚巴が面倒くさそうにため息をつく。
「あーあ、鬼栖ちゃん」
 そして、世凪の足元に視線を落とし、あきれがちにつぶやいた。
 世凪は、足の下にあるそれに力を入れ、ぐりっと踏みつけなおす。
「やはり貴様か。身の程知らずの不細工球体がっ」
「な、何故わかった!?」
 世凪の足の下の不細工球体は、衝撃を受けたように叫んだ。
 柚巴と世凪は再び顔を見合わせ、ふうと小さく息を吐き出す。
「ことごとく失敗に終わる間抜けな計画しか立てられない奴など、貴様くらいだ。それに、柚巴に矢をあてなかっただろう」
 世凪は、柚巴を抱く腕にきゅっと力をこめなおす。
 そして、愛しそうに柚巴の顔に頬を寄せる。
 柚巴ははじらうようにぽっと頬を染めた。
 その様子に、不細工球体――鬼栖は、一瞬殺意をめらっとあらわしたけれどぐっとこらえ、なんだか腑に落ちないといった様子で世凪の足の下から叫ぶ。
「それだけでか!?」
「それだけで十分だ」
 世凪はさらっと答え、足の下の球体は気にすることなく、むしろ見せつけるように、抱きしめる柚巴にごろごろ甘えはじめる。
 わざとだ、これは絶対にわざとだ、と静観していた使い魔たちは呆れいっぱいに、先ほどから世凪たちの様子をぼんやり眺めている。
 馬鹿馬鹿しいこの展開に、もういろいろとどうでもよくなったらしい。
 さすがに矢が大量に降ってきた時は驚いたようだけれど、世凪なら自力でさらっとどうにかすると思い、早々にかかわることを放棄したよう。
 そして、もっとどうでもよいのが、その犯人。
 さすがに、そろそろわかりはじめてくる。いろいろと。
 馬鹿球体、いい加減そろそろ気づけよと誰もが思いはじめた頃、案の定、柚巴がとどめをさした。
「それに、あの矢からは、鬼栖ちゃんの気配がしたし……。他の時はわたしはいなかったからわからないけれど」
 ぐいぐい地面に埋められていく鬼栖を、世凪の腕の中から抜け出した柚巴が、つんつんつつく。
 さすがに、使い魔たちだけならまだしも、びくびく怯える給仕たちの前で、いつまでも世凪に好きなようにさせておくのはたえられなくなったらしい。
 ここに給仕はおらず使い魔たちだけだったらどうしていたかは、あえて言及してはいけないだろう。
「くーっ!! 俺様としたことが、うかつだった!!」
 相変わらず世凪の足の下で、鬼栖は悔しさに身悶える。
 めりっと、また地面に埋まっていく。
 そこから適度に距離をとったところではやっぱり、使い魔たちがあきれ果てていた。
「そこであっさり認めるなんて、あり得ないわよねえ」
「ああ、普通はしらをきるものだろう」
 ため息をつきながら華久夜がつぶやくと、紗霧羅がこくりとうなずいた。
「本当、おまぬけ球体ねえ」
 なんだかもう球体のすべてがどうでもよくなってきたらしく、華久夜は紗霧羅の腕をとり、すぐそこにあるテーブルへ引っ張ろうとくいっと引く。
 矢の犯人がわかった時点で、これまでの馬鹿馬鹿しい子供だましな暗殺計画のすべてが何の仕業だったかもわかってしまった。
 華久夜ともあろう者が、こんな間抜け球体の暗殺計画に踊らされていたのかと思うと、とっても腹立たしいけれど、相手にする方がもっと腹立たしい。
 むしろ、腹立たしいを通りこして、呆れしかない。
 もうこれ以上かかわるのは面倒なので、そして結局、世凪のほえづらも拝めないと悟り、華久夜はさっさとお茶をはじめることにした。
 とりあえず、すぐ横にいた紗霧羅を連れて。
 本当は、虎紅の腕を引きたいところだけれど、二人の仲は秘密なのでそれはできない。


* BACK * NEXT *
* TOP * HOME *
update:09/09/01