お姫様のお気に入り
(20)

 虎紅は華久夜の肩をそっと抱き、すぐにすっと引きはなした。
 それから、堅い決意を抱いたような力強い眼差しを玲依へ向け、その足元にひざまずく。
「玲依殿下、お見苦しいところをお見せして申し訳ありませんでした。すでにご推察のことと存じますが……」
「いいよ、わかっているから。立ちなさい」
 虎紅の言葉をさえぎり、玲依はおだやかな微笑みを浮かべ、そう促す。
 虎紅はひざまずいたまま、戸惑うように玲依を見上げる。
「れ、玲依殿下……」
 玲依は困ったように、ふうと小さく息を吐き出した。
 そして、いまだひざまずいたままの虎紅をまっすぐ見下ろす。
 立とうとしないのならば仕方がないと、それ以上虎紅を促すことはしない。
 それで虎紅の気がすむなら、別段問題はない。
「うちの娘は言い出したら聞かないからね。それで、君には覚悟はあるのかい?」
「はい、もちろんです。命にかえても華久夜さまを守り、幸せにしてみせます」
 虎紅がそう告げた瞬間、華久夜の顔は真っ赤にそまり、そのまま虎紅にとびついた。
 華久夜は虎紅の首を両腕でがっちり抱え込み、ぎゅうと抱きつく。
 虎紅は華久夜よりも顔を赤くして、おろおろうろたえはじめた。
 このまま華久夜に腕をまわそうか、しかし、玲依の目の前でそんなだいそれたことはできないと、葛藤している。
 気持ちは華久夜を今すぐ抱きしめたい、けれど虎紅の頑強な理性がそれの邪魔をする。
 しかし、玲依にとっては、そのような虎紅の葛藤はもはや今さら。
 幸せそうに虎紅に抱きつく華久夜を見て、小さく首を横にふった。
「それじゃあ、うちの娘をよろしく頼んだよ」
 玲依はそう言うと、華久夜と虎紅にさっと背を向け、後方で様子を見守っていた玲央のもとへゆっくり歩いていく。
 玲央は心配げに玲依を見つめる。
 それから、そっと耳打った。
「玲依、いいのか? 大切な娘だろうに」
 玲依はおだやかな微笑を、玲央に向ける。
「いいのですよ。……うすうす気づいていましたからね。彼には悪いですが、二人をけしかけるのに利用させていただきました」
 そう言うと、玲依は力なくそこに立つ茉へちらっと視線をやった。
 玲央はあんぐり口をあけ、次の瞬間には皮肉るように口のはしをあげていた。
「お前、悪党だなあ」
「兄上ほどではありませんよ」
 玲依は極上の笑みを玲央へ向ける。
 玲央は、盛大なため息をひとつもらした。
 知ってはいたけれど、いちばん食えないのはこの弟だとでも言いたげに。
 そんな王たちの内緒話の横で、公衆の面前だということにようやく気づいた華久夜と虎紅が、慌ててばっと身をはなした。
 そして、いくらかもじもじしていたかと思うと、華久夜ははっと気づいたように慌てて虎紅からはなれる。
 茉のもとまで歩み寄ると、華久夜はちらっと茉を見る。
 つい嬉しくて忘れてしまっていたけれど、こっちを片づけなければいけなかった。
「ま、茉、あ、あのね……」
「うん、よかったね」
 言いにくそうに口ごもる華久夜の言葉をさえぎり、茉はにっこり笑う。
 瞬間、華久夜は虎紅に対するそれとはまた違った意味で、顔を真っ赤にした。
「このおせっかいっ!」
 そう叫ぶと、華久夜は茉に勢いよく背を向け、ずんずんどすどす歩き、虎紅のもとへ戻っていく。
 その後姿を、茉はどこか淋しそうに静かに見送っていた。
「華久夜ちゃん、虎紅さん」
 そう言いながら、華久夜と虎紅のもとへ、柚巴が歩み寄って行く。
 一応の落着を見届け、やってきたよう。
 柚巴のすぐ後ろには、きっちり王子様も寄り添っている。
 一体誰から、何から守る気なのだろう、危険も何もないこの場で、警戒をあらわにしている。
 王子様の横を、真っ黒球体がぼんぼんはねならが柚巴へ近づこうとした瞬間、それは青い空へむかってぴょーんと吹っ飛び、夜を待たずにお空の星になった。
 つまりは、そういうことだろう。柚巴に近づくあらゆるものから柚巴を守る。
 守るというよりかは、独占欲をむき出しにしている。
 柚巴に呼びかけられ、華久夜と虎紅は慌てて顔を向ける。
 二人の目の前には、にこにこ笑う柚巴が立っている。
「あのね、わたしからのお祝い。――二人との契約を解除します」
「ゆ、柚巴……!?」
「柚巴殿!?」
 柚巴がほがらかに笑って唐突に落としたその爆弾に、華久夜と虎紅は顔を青くして驚く。
 急転直下とでも言うのだろうか。二人は幸せの絶頂から不幸のどん底へ突き落とされたも同じ。
 どうなればそういう展開になるのか、そしてそれのどこがお祝いなのかと、華久夜と虎紅は柚巴を非難するように見つめる。
 けれど、柚巴は気にすることなく、変わらずおだやかに笑っている。
 寄り添う世凪が、柚巴の肩をそっと抱き寄せた。
 肩に置かれた世凪の手に、柚巴はそっと手を重ねる。
「もうすでに、契約自体必要じゃなかったけれどね。とりあえず、一応ね」
 華久夜は険しい顔で柚巴を見つめる。
「柚巴、それって……もう――」
 わたしたちは、柚巴に必要なくなった?
 そう言いたいけれど、それはぐっと飲み込んだ。
 自ら口に出してしまったら、平静でいられなくなるから。
 大切に思っている相手から、必要のない者とつきつけられるほど、辛く悲しいことはない。
 口に出して、もしそれを肯定でもされようものなら、華久夜は悲しみのあまり、柚巴を憎み責めたてるかもしれない。
 それだけは、避けなければならない。
 柚巴と世凪の後ろには、ゆっくり歩み寄ってくる使い魔たちの姿が見える。
 今にも泣き出しそうに見つめる華久夜の頬に、柚巴はそっと手を触れる。
「違うよ、華久夜ちゃん。契約はなくなっても、わたしたちは友達だよ」
「柚巴!」
 瞬間、抱き寄せる世凪を突き飛ばし、華久夜は柚巴に抱きついた。
 そして、ぎゅうと柚巴の胸に顔をおしつけ、肩を小刻みに震わせ、くすくす笑い出す。
「ふふふっ。そうよね。柚巴には、使い魔なんて必要なかったわよね」
 華久夜は自らに言い聞かせるように、柚巴の胸の中でつぶやく。
 そして、ばっと顔を上げ、何かを吹っ切ったように清々しい笑みをにんまりと浮かべる。
「だって、空を飛べなくたって、瞬間移動ができなくたって、火の玉や氷の柱を放てなくたって、柚巴はいざとなれば、破壊神・カームスにだって簡単に勝てちゃうものね!」
「ああー!?」
 華久夜がそう言い放つと同時に、ぱんぱんとマントをはたきながら、世凪が凄まじい形相で華久夜をにらみつけた。
 華久夜は世凪にちらっと視線をやり、ふっと鼻で笑う。
「あら、別に王子様のことを言っているのじゃないわよ」
「華久夜!!」
 それから、憤り、必死に柚巴から華久夜をひきはがそうとする王子様を完全無視して、華久夜はころころ笑い出す。
 そう、調子を取り戻した華久夜には、暴れん坊王子様だって怖くない。
 柚巴という友達がいれば、乱暴者王子様なんて恐るるに足りず。
 呆れたように頭を抱える紗霧羅と、完全にかかわることを放棄した莱牙へ、柚巴は華久夜をくっつけたまま顔を向ける。
 柚巴のその行動にすかさず気づき、何故だか、紗霧羅と莱牙はびくりと体を震わせた。
 どうやら、二人はとてつもなく嫌な予感がしたらしい。
 そして、その予感は間違っていない。
「あ、そうだ。ねえ、紗霧羅ちゃん、莱牙さま、二人との契約も解除しようか?」
「まだ嫌だ!」
 柚巴がかわいらしく首をかしげそう言った瞬間、二人は同時に力いっぱい叫んだ。
「ああ、そう……」
 柚巴の肩が、がっくり落ちる。
 どうやら、柚巴としても予想通りの反応だったのだろう。
 ここでついでに、紗霧羅と莱牙もまとめて片づけようとしたけれど、どうやら悲しいことに、柚巴の予想通りあっさり蹴散らされてしまった。
 けれど、ただではひかない柚巴なので、今度は後ろの方で楽しげにふぉふぉふぉと笑う幻撞をちらっと見た。
 柚巴の視線に気づき、幻撞はゆっくり柚巴に近寄る。
 いまだ柚巴の胸の中でごろごろ甘える華久夜を困ったように見て、幻撞はどこか淋しそうに微笑んだ。
「最期の時まで、わしをお嬢ちゃんの使い魔でいさせておくれ」
「幻撞おじいちゃん……」
 柚巴はぽつりつぶやくと、何かをかみしめるように、ゆっくりうなずいた。
 そして、幻撞と目配せし合い、小さく微笑を浮かべる。
 柚巴はふるっと首をふり、抱きついたままの華久夜をすっと引きはなす。
 それから、華久夜を虎紅へ託していく。
 華久夜が虎紅のもとに戻ったことを確認して、柚巴はおだやかに微笑む。
「これからは、二人で幸せになってね」
 見事復活を遂げた世凪が、さっと柚巴に寄り添う。
 華久夜と虎紅は目をぱちくりとしばたたかせ、二人見つめあい、そして力強くうなずいた。
「ありがとうございます、柚巴殿」
 虎紅は恭しく頭を下げる。
 華久夜はさっと虎紅からはなれ、また柚巴にぎゅっと抱きついた。
 今度は世凪を突き飛ばすこともしない。
 また、世凪も華久夜の邪魔はしなかった。
 華久夜は、柚巴に幸せそうに抱きついている。
 その頭を、柚巴はぽんと優しくなでた。
 その場にいる使い魔たちはみな、この青く澄み渡った空よりも、穏やかな笑みを浮かべている。
 あたたかく優しい風が、この場を包み込む。

 
 そうして、翌日を待たずしてその日のうちに、あの暴れ馬姫君の手綱をとる者が現れたと城下に噂がかけめぐった。
 しかもその手綱を握ったのは、姫君よりもずっと身分が下の普通の青年。
 前代未聞のその身分違いの恋に、みんな祝福をおくった。それぞれの思惑を胸に。
 王子暗殺の噂など、人々の間にはもはやない。


お姫様のお気に入り おわり

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update:09/10/12