月の箱庭
(2)

 大きくとられた窓の向こうに、そろそろ西の稜線に顔を隠そうとしている太陽が見える。
 ヴィオレッタは窓辺の椅子に座り、移り行く空の景色をぼんやり眺めている。
 結局、夕暮れのこの時分まで待っても、王は花舞の間にやってきていない。
 あれだけ美と気品をきそっていた令嬢たちも、今はすっかりなりをひそめている。
 明らかないらだちをにじませ、控える王宮の侍女に八つ当たりする者までではじめた。
 その時、花舞の間の扉が三度ほど音をならせた。
 皆その音に敏感に反応し、一斉に扉を注視する。
 すると、扉はゆっくり開かれ、人影が現れた。
 ようやく花舞の間に現れたのは、壮年から老年にさしかかった辺りの白髪まじりの頭の嫌味っぽい顔つきの男だった。
 誰もが一瞬、その男をレサトゥリアスかと思ったが、すぐにそうではないと気づく。
 レサトゥリアスといえば、二年ほど前に戴冠したばかりの青年王だと思い出した。
 ならば、この人好きのしない男は誰だろうと訝しげに見ていると、集められた姫のうちの一人が扇を口元にあて、驚いたようにつぶやいた。
「あら、お父様?」
 皆一斉にその姫に視線を向ける。
 つぶやいたのは、集められた姫の中で家格が最上のベアトリス・アガット・ボーカン――ボーカン財務大臣の二の姫だった。
 ボーカンはベアトリスにちらと視線をやると、集められた姫たちに精一杯の笑顔を向ける。
 しかし、その笑みは逆に胡散臭さを感じさせた。
 顔には出さないが訝しげにうかがう姫たちに向け、ボーカンは告げる。
「皆様、お待たせして申し訳ありません。陛下は本日、ご政務多忙のため、残念ながら姫君方にお目にかかれません。明日改めて場を設けますのでご容赦ください」
 つまりは、これだけ待たせたあげく、今日は目通りがかなわないので解散、ということだろう。
 皆あからさまに不機嫌を顔に出す。
 ベアトリスなどは相手が父親であるためか、一言文句を言ってやろうと腰を浮かせたが、まわりの姫たちの視線に気づき、悔しげに再び椅子に腰を沈める。
 かわりに、肘掛に持っていた扇をがつんとたたきつけた。
「姫君方には今宵、ささやかながら晩餐の席を設けました。どうぞゆるりとお楽しみください」
 ボーカンはそう告げると、早々と花舞の間を後にした。
 残された令嬢たちは、皆不機嫌に、のろのろ腰を上げていく。
 その様子をやはり、ヴィオレッタは面倒臭そうに眺めていた。
 窓の向こうでは、太陽がとうとう山に顔を隠してしまい、空がじんわりと夜色に染まりはじめていた。


 ボーカンが告げた通り、候補の令嬢八人だけの、うわべだけ優雅で、実のところ腹の探り合い、蹴落としあいの、殺伐とした晩餐を先ほど終えた。
 そんな中でも一人、王妃になど興味のないヴィオレッタは、火花散り殺意を秘めた優雅な笑いなどどこ吹く風、適当に食事をすませさっさとその場を後にした。
 恐らく、今頃はまだ、賓客用食堂では、腹に一物もニ物を抱えた女の戦いが繰り広げられているだろう。
 そんな面倒でやっかいなことには関わりたくないと、ヴィオレッタは適当に理由をつけて早々に退席してきた。
 そして、そのまま与えられた客室に戻ったが、就寝までにはまだ時間があり、暇でもつぶそうと月明かりに浮かぶこの庭園にやってきた。
 客室の窓からふと見下ろせば、人の姿のない夜の庭園が目に入った。
 中央には月が浮かぶ池があり、そのほとりには小さいながらも意匠をこらした東屋。
 夜のためしぼんでしまったが、昼間であれば恐らく辺り一面花々が咲き乱れていたことだろう。
 自然をいかした、少し煩雑なつくりのその庭園に、ヴィオレッタは思わずいたずら心がわきでた。
 もともと、お妃争いに参加する気はないので、その時間を使って、素晴らしいと聞く王宮見学をするつもりだった。
 そうでも思わないとやっていられない。
 こういう機会でもない限り、なかなか王宮にやってくることはない。
 妃候補に名があがるだけあり、別に普段王宮に立ち入れない卑しい身分ではない。ただ、そこで繰り広げられる上流階級の社交が面倒でさけているだけ。
 ヴィオレッタは先ほど部屋の窓から見た月をたたえた池のほとりまで歩いてきた。
 ちょうど池の真ん中にぽっかり浮かんだまるい月をぼんやり眺める。
 あのぎらぎらした女の戦いの中にとりあえずは身を置いていたのもあり、そして何より半日以上もただじいっとあの間に閉じ込められていたことにより、ヴィオレッタはなまぬるい疲労感を感じている。
 何もしないでじっとしていることほど疲れるものはない。
 少しでも退屈しのぎになればと、窓の向こうに広がる深緑の森、そしてその上をゆっくりと東から西へ流れていく太陽を見ていた。
 ヴィオレッタはもともと、今回のお妃選びの見合いなど興味はなかった。
 しかし、不幸にもお妃候補に名があがってしまったため、立場上断ることもできず、とりあえずやってきたにすぎない。
 恐らく、頭数をそろえるために、家格、血筋、そして年齢からヴィオレッタも名を上げられたのだろう。
 良家の娘はたいてい十六、十七辺りで嫁いでしまうため、二十二歳の王につりあう年齢で未婚かつ決まった相手がいない姫はあまり残っていない。
 そのため、十七で未婚のヴィオレッタも選ばれたのだろう。
 これがまだあと四日も続くと考えると、ヴィオレッタは憂鬱で仕方がない。
 水面に揺れる月を眺め、思わず重いため息をもらした時だった。
「うわっ」
 驚き焦ったような声と、わずかな水音がした。
 声がした方へ振り向くと、すぐそこで、池に片足を落とした青年がいた。
 焦っているためか、はまった足をなかなかあげようとしない。
 そこは池の縁で十分に浅く、つかっているのもくるぶしまで。
 それくらいならば、少女のヴィオレッタでも簡単に片足くらいあげられるだろう。
 なのに、青年はなかなか動こうとしない。
 ヴィオレッタは思わず、くすりと笑ってしまう。
 しかし、一度笑ってしまうと、笑いというものはなかなかとまらないもので、次第にくすくす笑い出してしまった。
 悪いとは思うけれど、やめようと思ってやめられるものでもない。
 ヴィオレッタは片足を池に落としたままの青年の前まで歩み寄ると、右手をすっと差し出した。
「どじねえ」
「悪かったな」
 青年はあきらかにむっとして、頬をわずかにふくらませる。
 月明かりのためか、それとももともとその色なのか、ふわりと風に遊ばせる髪が金色に輝いている。
「悪くはないわよ。月明かりがあるとはいえ明かりは十分ではないのだし、足を踏み外しても仕方がないわ」
 笑いをこらえながら、ヴィオレッタはふるっと首を振る。
 青年は疑わしげにヴィオレッタを見ている。
 どうやら、ヴィオレッタの言葉をそのまま受け取ってはいないらしい。
「……とらないの?」
 なかなか差し出した手に手がかさならず、ヴィオレッタは首をかしげる。
 すると青年は、明らかに不機嫌を顔にたたえ、ぷいっと顔をそらした。
 光の加減で、時折髪が青みがかった銀色に見える。本来の色はそれなのだろう。
「必要ない。女の手を借りるほど、落ちぶれてはいない」
 そう言うと、青年は池につけたままになっていた足をばっと引き上げた。
 地面に足をつけると、そのまわりの土が水を吸収し、波紋を描くようにじわり濡れていく。
 ヴィオレッタはわずかに目を見開き、くすりと笑う。
 同時に、差し出していた手をさりげなく引き、大仰に肩をすくめてみせる。
「まあ、立派ですこと」
「……馬鹿にしているのか?」
「だから、馬鹿にしているなんて言っていないじゃない」
 不機嫌ににらみつける青年に、ヴィオレッタは意地悪ぽく笑ってみせる。
 青年の言葉を肯定しているのか、それとも言葉そのままに否定しているのか、その表情からは読み取ることができない。
 すると、青年は早々に諦めたように、ふうと息をはきだした。
 そして、得意げに微笑むと、くすりと声をもらす。
「お前みたいな女ははじめてだ」
「よく言われるわ」
 ヴィオレッタはすかさず答えると、にっこり笑った。


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update:11/02/09