月の箱庭
(3)

「ところで、どうしてこんなところに?」
 濡れた足をぶらぶらふりながら、青年がヴィオレッタに問う。
「夜のお散歩かしら?」
「夜の散歩?」
 くいっと首をかしげけろりと答えるヴィオレッタを、青年が怪訝に見つめる。
 まだ夜はふけていないとはいえ、こんな人気のないところに少女が一人でたたずんでいるなど普通は考えられないだろう。
「ええ、就寝までにはまだ時間があるから」
「そうか。私はてっきり、入水でもするのかと思ったぞ」
 青年はにっと意地悪く笑う。
 ヴィオレッタの姿を青年が見つけた時、池のほとりにどことなく淋しげにたっているように見えた。
 その姿は、今にも月が浮かぶ池に吸い込まれていきそうで、わずかな恐れとともにあるはかなさを感じ、思わず見入ってしまっていた。
 しかしまあ、よく考えると、入水したところで死ねないこんな浅い池で身を投げるなどないだろう。
 ヴィオレッタは抗議するように頬をふくらませ、両手を腰にそえふんぞり返る。
「まあ、失礼ね。わたし、そんな愚かなことはしないわ。ただ水面に映る月が綺麗だったから、見ていただけよ。わたし、それほど落ちぶれてはおりませんもの」
 そして、くすりと意地悪く笑う。
 青年は思わず目を見開き、けれどすぐにどこか呆れたようにくしゃりと頬をゆるめた。
「まったく、口の減らない女だな」
 ――落ちぶれてはいない。
 その言葉は、先ほど青年がヴィオレッタに言った言葉。
 むしかえして、青年をからかおうとでも言うのだろうか。あるいは、意趣返しのつもりなのだろうか。
 しかし、そんな生意気な態度にも悪い気はしないようで、にっこり笑うヴィオレッタに、青年もいたずらっぽくにっと笑う。
 すると、ふと何かに気づいたように、ヴィオレッタはおもむろに青年の左手をとった。
「……あっ」
 青年はいきなりのヴィオレッタの行動にびくんと体をゆらすが、すぐにそのとられた手に花の刺繍が施された白い手巾(ハンカチ)が巻かれていくことに気づき、思わず小さく声をもらしていた。
 見れば、その手のひらにわずかに血がにじんだ痕がある。
 気づかないうちに、どこかでひっかいていたのだろう。
 この庭園にやってきて一人の少女の姿を見つけた時に、垣根の葉で切ったのかもしれない。
 王宮のはずれということもあり、この西の庭園で普段人の姿を見ることはない。
 この庭は、水面に映る月が美しいことから、また王宮の庭園の中では小規模ということもあり、月の箱庭とも呼ばれている。
 月に見入っていても不思議ではない。
 月明かりに惑わされたようにそこに立つ少女の姿に、青年はこの世の者とは思えないものを感じた。一瞬で心奪われた。
 その姿はまるで、月から舞い降りた女神のように見えた。夜風に揺れる金色に輝く髪は、まさしく月の女神のそれと同じ。
 思わずその姿に気をとられていると、気づいた時には足をすべらせ池に片足を落としていた。
 その事実は、恥ずかしいから、青年の口から語られることはないだろう。
 ふと笑みをおさめ、青年は探るようにヴィオレッタを見つめる。
「名前は?」
「え?」
「名は何だと聞いている」
「名を問う時は、先に名乗るものではなくて?」
 ヴィオレッタはあきれたというように大きく息をはき、青年を上目遣いにじっと見る。
 月明かりに照らされ、青年の目にはヴィオレッタがどことなく妖艶に微笑んでいるように見えた。
 その姿に一瞬息をのんでしまったことに気づき、そして口の減らない女だけありまた言い返され、青年は悔し紛れにかるく舌打ちをした。
 たしかに、ヴィオレッタの言うことは間違ってはいないだろう、――普通は。
「……レスティ」
 青年――レスティは、ぶっきらぼうにつぶやいた。
 ヴィオレッタは目をぱちくりと一度まばたかせる。
 声が小さくて、うまく聞き取れなかったのだろうか。
 ヴィオレッタは確認するようにレスティの顔をのぞき込む。
「レスティ様?」
「レスティ」
「え?」
「敬称はいらない」
 レスティはぷいっと顔をそむけ、やはりぶっきらぼうに言い捨てる。
 そらされ見えた耳が、どことなく赤い。
 ヴィオレッタは思わず、ふっと口のはしをあげる。
 すると、レスティがいきなり顔を戻し、ヴィオレッタをにらむようにじっと見る。
「それで、名は?」
「わたしは、ヴィオレッタ」
 思わずもれそうになる笑いをこらえ、ヴィオレッタはふわり微笑む。
 レスティは満足げに一度うなずいた。
「ヴィオレッタか。それで、ヴィオレッタは何故この時分に王宮にいるのだ? 今宵は夜会もないし若い娘が夜にここにいるのは不自然だろう?」
 それは、尋問するのではなく、純粋に不思議に思ってのことだろう。
 言葉は少しかたいけれど、ヴィオレッタを見る目はやわらかい。
 ヴィオレッタもそれに気づき、小さくうなずいた。
「それは……。ご存知ないかしら? 今王宮に貴族の姫ばかり集められていることは」
「ああ、あのたぬきじじいどもの胸糞悪い悪ふざけか」
 ヴィオレッタがぼかして告げると、レスティはすぐさまそう吐き捨てた。
 その言葉通り、表情までも胸糞悪いと言っている。
 たしかに、聞く者が聞けば、胸糞が悪いだろう。
 年頃の娘を八人も集めて、その中から王に気に入りの娘を選ばせようというのだから。
 妃選びと言えば聞こえはいいけれど、内実はまるで娼館でめぼしい娘を物色するいやらしい男のよう。
 もともと、このグランノーバでは、王にのみ側室を持つことが許されている。
 しかし、歴代の王を見ても、実際に側室を持った者は数えるほどしかいない。
 それは、たくさん持つのが面倒なのか、それとも一途なのか……。
 妃候補というならば、お偉いおじさま方で勝手に決めてあてがい、結婚させればいいようなもの。
 どうして今回に限って、こんなに面倒なことをするのだろう。
 それに巻き込まれたヴィオレッタは、たまったものではない。


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update:11/02/16