月の箱庭
(6)

 ヴィオレッタの言葉にふと思い出したように、レスティはかるく握った右手をあごにあてつぶやく。
「そういえば、ヴィオレッタはベルリオーズ近衛将軍の姫だったのだな」
 同時に、ヴィオレッタは目をぱちくりしばたたかせた。
 しかしすぐに、静かにああとつぶやいた。
「驚いたわ。名だけで調べがついたのね」
「当たり前だ。八人くらいならば名さえわかればすぐに家名など知れる」
 少し驚いたふうなヴィオレッタにどことなく気をよくしたように、レスティは何故か得意げに胸をはる。
 その姿に、ヴィオレッタは思わず吹き出しそうになった。
 別にレスティの手柄でも何でもないのに、それに誉めてもいないのに、どうしてそんなに自らの功績のように偉そうに言えるのだろうか。
 しかし、そんな少し子供っぽいところも、ヴィオレッタは悪くないと思う。
 だって、面白いから。
 けれど、そのどこからくるのかわからない自信を、ちょっぴりへし折ってやろうかという意地悪心も同時にわいてくる。
 偉そうなレスティとのどことなく世を――貴族たちを揶揄する会話は、変わった娘≠フヴィオレッタにとって、面白いを感じる部類に入る。いや、感じるのではなく、事実楽しんでいる。
 うわべを取り繕いお貴族様のお姫様≠演じる必要がないから、純粋に会話を楽しめる。
 どことなく意地悪な笑みを浮かべ、ヴィオレッタはにっと笑ってみせる。
「まあ、そうでしょうねえ。だけど、あっさりわかるなんて驚いたわ。集められた姫の名は、一部の重臣たちしか知らないはずよ? 後々、姫の名に傷がつかないようにとそう配慮されていると聞くわ」
「私の情報網をなめるなよ」
「そう切り返しますか」
「切り返しますとも」
 ヴィオレッタが皮肉たっぷりの笑みを浮かべてみせると、レスティも企むようににやりと笑う。
 それから二人、互いの悪い笑みに思わず吹き出し、どちらからともなく楽しげにくすくす笑い出した。
 水面でも月が、くすくす笑うようにゆっくり小刻みに揺れている。
 頬に夜の少し冷たい風を感じる。
 わずかに風が出てきたのだろう。
 ゆっくり笑いをおさめていき、レスティはまっすぐヴィオレッタを見る。
 ヴィオレッタの頬にすっと手を寄せ、そこにかかる金の髪をさらりとはらう。
 ヴィオレッタは思わず、すっと目を細めた。
 レスティは髪をはらったままになっていた手をそのまま、ヴィオレッタの頬を包むように触れる。
 触れたヴィオレッタの頬は夜風のためか少しひんやりしていたけれど、すぐにレスティの手にじんわりぬくもりが伝わる。
「でもまあ、たしかに、ベルリオーズ将軍ならば権力争いなんて興味ないだろうな。今朝の様子からすると、今回のことも大臣たちに言われて、渋々といった感じだったからな」
 なんとなくつぶやかれたレスティの言葉に、頬に触れるレスティの手に手をかさね、ヴィオレッタは目を丸くする。
「父を知っているの?」
「少しね。それに、城の者であれば、近衛将軍といえば知っていて当然だろう」
 レスティはためらいなく答えると、にっこり笑ってみせた。
 たしかに、常に王族の側に控え守る近衛の将軍ともなれば、城に仕える者なら顔を知っていて当然だろう。
 その主の顔を知らずとも、仕える者は警護のためにあちこちに顔を出しているはずだから。
 そして、その地位は武官の中では頂点も同じ。
 父親の地位もあり、家柄も悪くないため、ヴィオレッタも今回王妃候補に名があがってしまったほど。
 レスティも王宮で働いているのなら、職務の関係でヴィオレッタの父親と顔をあわせていても不思議ではない。
 ヴィオレッタの頬に触れたレスティの手は、そのほっそりとした見た目に反し少しかたかった。
 恐らく、普段剣を握る仕事をしている者――武官なのだろう。
 ただ武官にもいろいろあるから、どこに所属しているのかはわからないけれど。
 でも、ヴィオレッタの父親をよく知るようだから、レスティは近衛に属しているのかもしれない。
 そう想像するけれど、確かめようという気には、ヴィオレッタは不思議となれなかった。
 王宮に仕えている時点で、身元は保証されている。しかも、ヴィオレッタの父親に近い者ならなおのこと。
 別にレスティが何者でも、こうして会話を交わすことが楽しいことにかわりはない。
 それに、そういうものは、無粋というもの。


 すぐそこの窓の外では、朝がやって来たことを喜ぶように、鳥たちが澄んださえずりを響かせている。
 ざあと吹いた風にのり、緑の匂いが室内にふんだんに注ぎ込まれる。
 まだ東にある太陽からの陽光も、昼間のそれとは違い、幾分優しい。
 執務室の窓を開け放ち、吹き込む風に髪を遊ばせながら、レサトゥリアスはぼんやりと窓の外に広がる景色を眺めている。
 視線の先には、深い緑をたたえた森が広がっている。
 そこは王宮の北に位置し、城の者たちは北の森と呼んでいる。
 さあと、また初夏の風が吹き込む。
 あと半月もしないうちに、この国は各国からの避暑を求めた者たちが集い、賑わいを増すだろう。
 レサトゥリアスはふと思い出したように、胸の内へすっと手をいれ、すぐに出してきた。
 その手には、忍ばせていたのだろう花の刺繍を施した白い手巾が一枚もたれている。
 手に持つそれをじっと見つめたかと思うと、レサトゥリアスはおもむろに唇を寄せた。
 触れた手巾のなんと肌触りがいいことか。
 すうと息を吸い込むと、もうすでに消えているとはわかりつつも、本来の持ち主のあのあまくよい香りがまた感じられるような気がする。
 思わず、手巾を持つ手に力がこもる。
 その時だった。
 ふいに扉がたたかれ、レサトゥリアスはびくりと体をゆらし、飛び上がりそうになった。
 けれど即座に気を取り直し、手巾をさっと胸の内に戻す。
 それから、不機嫌をたっぷり漂わせ入室の許可を出す。
 するとすぐに扉が開き、今いちばん見たくない顔が現れた。
 そろそろ来るだろうとは思っていたが、案の定なその顔に、レサトゥリアスはいらだちの色を見せる。
 同時に、さっと顔も体もそらし、窓へ向ける。
 しかし、入ってきたボーカンは気にすることなく、レサトゥリアスにさっさと歩み寄る。
「おはようございます、陛下。今日という今日は、ともに来ていただきますよ」
 朝の挨拶をしたかと思うと、ボーカンは早速執務机を両手でだんとたたいた。
 ボーカンは相変わらず無礼かつ強引。そして、こんな朝っぱらからすでに激怒しているとは、疲れないのだろうか。
 そのうち頭の血管がぶち切れてしまうのではないだろうか。――それもまあ、一興。
 今朝はまだ書類が運ばれてきておらず、残念ながらたたいた振動によってなだれを起こすことはない。
 あくまでつーんと顔をそむけ無視を決め込むレサトゥリアスの背に、ボーカンは音量を落とした怒声をいらだたしげにぶつける。
「女嫌いなのは重々承知していますが、いい加減、花舞の間に顔を出してください。姫君方のご機嫌があまりにも悪く、侍女たちが困っております」
 だったら、余計行きたくないな。
 思わずそう返しそうになったけれど、レサトゥリアスはやはり口を開くことなく、そこにボーカンがいないかのように振る舞い、窓の外の景色を見続ける。
 背後で、明らかに空気が強張ったのを感じるが、やはり無視。
 ここで下手に相手をすれば、ぐだぐだうるさい恨み節が永遠続くことをわかっている。だから、無視。いろいろ言いたいことはあるが、無視。
 それよりも、ボーカンは自分の娘を妃に押しつけたいだろうに、花舞の間に集う姫君たちに顔を見せろとはまた酔狂なことを言う。
 それを悟られまいとの振る舞いだろうが、誰もが口には出さずともその目論見などわかっているのだから、今さら無駄で滑稽というものだろう。
 本人もそれをわかっていて、あえてそう演出しているのだろう。
 まったく、狡猾でいけ好かない男である。
 レサトゥリアスは、別に女嫌いだというわけではない。いわゆる女の武器を使って迫る女たちがうっとうしく面倒なだけ。嫌悪しているだけ。
 今回集められた姫たちも、どうせ欲望にまみれた者たちだろう。
 それに、別にレサトゥリアスが、姫たちと会う必要もない。
 どちらに転んでも、今回は無理矢理にでも一人は妃を選ばせようとしているのなら、誰になっても同じ。
 候補にあがった姫たちの中から、家柄、血筋、力関係その他もろもろで判断して、適当なものを選べばいい。
 もともと名ばかりなのだから、顔など見る必要もない。
 そこにいるのは、レサトゥリアスが嫌う、欲望にまみれたみにくい女たちなのだから。
 望み通り、妃を決めてやるのだから、それで文句はないだろう。


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update:11/03/09