月の箱庭
(7)

 昨夜よりまた少し欠けた月が、水面にたゆたう明かりを浮かび上がらせている。
 そのほとりの東屋には、池を眺めるようにそれを支える柱にもたれかかり、今にも落ちてしまいそうなまぶたと必死にたたかっている少女の姿がある。
 月を写しとったように輝く金の髪、開けては閉じを繰り返すそこからのぞく、昼間の空の色をした瞳。
 垣根をぬうように走る小道で、その姿を目にした瞬間、レスティは思わず立ち止まってしまっていた。
 一瞬、呼吸を忘れたように、そのけだるそうな少女の姿に見入ってしまった。
 けれどすぐにはっとして、頭を左右にふるりと振る。
 そして、意を決したように再び足を踏み出す。
 とうとう落ちてしまった少女のまぶたにふと影がさす。
 すると、少女は急に包まれた闇にびくんと体をふるわせ、青空をつつむまぶたをぱっと開いた。
 目に飛び込んできたその姿に、少女はほわりと頬をゆるめる。
「……レスティ」
 少女――ヴィオレッタがそうつぶやくと、レスティはゆっくりうなずく。
 のろりと上体を起こすヴィオレッタの横に、レスティは寄り添うようにゆったり腰を下ろす。
「待たせたな」
 ヴィオレッタはふるふる首をふる。
「ううん、もともとレスティを待っていたわけじゃないし」
 そして、なんともあっさり、けろりと甲斐なく言い放った。
 瞬間、レスティの肩ががっくり落ちる。
「そこは、ううん、今来たところ≠ニかいうものだろう、普通」
「それはレスティの勝手な思い込みだわ」
「本当に口が減らないなあ」
 あきれをたっぷり含ませ、レスティは大きく息を吐き出す。
 そして、ヴィオレッタが背をあずける背もたれとの間に、当たり前のように腕をまわす。
 うとうとしていただろうに、目を開けてすぐに、ヴィオレッタはよく頭がまわるものだと、レスティは感心してもいる。
 レスティは少し上体をななめに落とし、ヴィオレッタの顔をのぞきこむように見る。
「私を待っていたわけではないのか。残念だな」
 レスティは差し込む月光をうけ、どこか艶かしく微笑む。
 同時に、ヴィオレッタが呆れたようにため息をもらした。
「今さら遅いわよ。そういうものはすぐに言わないと、口説き文句にならないわよ?」
 ヴィオレッタが試すように目を細めると、レスティはどこか意地悪くけろりと答える。
「別に口説きたいわけではないし?」
「やっぱり?」
 ヴィオレッタはくいっと首をかしげて、にっこり笑う。
 からかおうとするレスティを逆にやりこめてやったとでもいうように、ヴィオレッタはおかしそうにくすくす笑う。
 すぐ横でさらさらゆれるヴィオレッタの金の髪が、レスティの頬をくすぐる。
 レスティは楽しげに笑うヴィオレッタを見つめ、どこか複雑そうに微笑んでいる。
 ふと気づいたように、ヴィオレッタは笑いをやめ、すぐ隣に座るレスティに向き直った。
 そして、いたずらを思いついた子供のように、口の端をにっと上げる。
「そうそう、今日も陛下はわたしたちにお顔を見せてくださらなかったのよ。もう令嬢たちの憤った顔ったらないわ、おかしくてたまらない」
 ヴィオレッタは頬に手をそえ、首をかしげる。けれどその顔に浮かぶ表情は、いたずらが成功した時のような笑みを浮かべている。
 レスティはあきれながらも感心したようにつぶやく。
「ヴィオレッタは、いい性格をしているよな」
「だって、おもしろいもの」
 やはりけろりと答えるヴィオレッタに、レスティはまたがっくりうなだれた。
 あまりにも予想通りなその答えに、果たしてレスティは喜べばいいのか悲しめばいいのか、はたまた呆れればいいのかわからない。
 けれど、すぐ横で楽しむヴィオレッタを見ると、これでいいのだろうと思う。
 レスティは、背もたれに預けていた腕をヴィオレッタの腕にまわし、少しだけ引き寄せた。
 とんと、ヴィオレッタの頭がレスティの肩にのる。
 拒絶されるのではないかとレスティが恐る恐る行ったその行為に、ヴィオレッタは気にもとめず素直にそのままレスティに身を寄せる。
 それを見て、レスティは心の中でそっと胸をなでおろした。
 肩に胸に、そして腕に、ヴィオレッタのぬくもりを感じながら、レスティはふと辺りを見まわし、ぽつりつぶやいた。
「この庭は、私のお気に入りの場所なんだ」
 そのつぶやきに、レスティに預けていたヴィオレッタの体がぴくり反応した。
 そして、レスティの胸の中から顔だけをあげて、じっと見つめる。
「ああ、だからはじめて会った日もここに来ていたのね。そして、早とちりさんは、わたしがここで入水自殺をすると思ったのかしら? こんなに浅い池でできるわけないじゃない」
「……お前なあ」
 ヴィオレッタのからかうようにゆらめく瞳、おかしそうに上がる口元に、レスティはまた妙な脱力感に襲われた。
 口が減らないところも気に入ってはいるが、こうもしばしば話の腰をおり、からかおうとするのはいささか問題があるのではなかろうか。
 普段も、レスティ以外の者との会話の時も、ヴィオレッタはこう意地が悪いのだろうか。
 そんな思いが、レスティの頭によぎる。
 それに、レスティとしては、今さらあの時のことを持ち出さないでもらいたい。
 出会いは最悪だった。
 レスティは恥ずかしいところばかりをヴィオレッタに見られていた。
 まあ、それがあり今に至るのかと思えばそれはそれでいいのかもしれないが、だからといって、一人の男としてはいつまでもひきずられからかわれるのは面白くない。
 しかし、からかいがちに意地悪い笑みを浮かべつつも、その瞳は優しく細められているので悪い気はしない。
 それに、こうも遠慮なくものを言うということは、ヴィオレッタはレスティに心を許しているということでもあるだろう。
 少なくとも、ヴィオレッタも貴族の令嬢なのだから、普段は貴族のつき合い≠ニいうものをして、上辺だけは取り繕っているだろう。
 そう、今のヴィオレッタは、偽りを捨てた本当の姿なのだろう。
 はじめから、ヴィオレッタのレスティに対する態度はくだけたものだったけれど、それはまあ、出会いが最悪だったから。今さら取り繕う必要もない。
 そうだとしても、ヴィオレッタの態度は打ち解けすぎだろう。出会って三日目の男に対して。
 そう思うと、何故かレスティの胸は温かくなる。
「それにしても、夜だからにしてもここはあまり人がいないのね?」
 そんなレスティの思いをよそに、ヴィオレッタはちらりと辺りをみまわしながら問いかける。
 レスティもはっとして、慌ててヴィオレッタにあわせ、何事もなかったように答える。
「ああ、ここは王宮の中でもはずれの方だからな。普段は人は近寄らない。そのため、一昨日、ここにヴィオレッタがいて驚いた。まあ、だから私はここが気に入っているのだけれどな。一人になりたい時にはちょうどいい」
「じゃあ、わたしは、レスティが一人になるのを邪魔しているのね」
「だが、私一人のものでもないし、かまわない」
 そう言って、レスティはすぐ下にある、ヴィオレッタの顔を見る。
 見上げていたヴィオレッタと目が合い、互いに見つめ合うかたちになる。
 そしてそのまま、レスティはヴィオレッタを胸に抱き寄せた。
「むしろ今は、一人になるのは嫌かな」
「……え?」
 つぶやかれたレスティの言葉に、ヴィオレッタは目を見開く。
 ふっとレスティの口の端が、からかいがちに上がる。
「ヴィオレッタは面白いから、いいといっているんだ」
「なに、その言い草」
 不遜に言い放つレスティに、ヴィオレッタは思わず吹き出した。
 偉そう偉そうとは思っていたけれど、本当に何様よーと、レスティに抱き寄せられながらくすくす笑う。
 笑いとともにもたらされたヴィオレッタの吐息がレスティの胸にふわり触れ、くすぐる。


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update:11/03/16