月の箱庭
(8)

「ところで、お仕事は大丈夫なの?」
 ヴィオレッタはひとしきり笑うと、思い出したように少し心配げにレスティを見つめた。
 王宮に仕える者は、城内に宿舎を与えられている。
 だから、夜にレスティが庭にやって来ていても、ヴィオレッタは不思議に思ってはいない。
 ただ、こう三日も続けてやって来れるほど、王宮の仕事は暇なものではないだろう。それこそ、毎日残業漬けの者だっているだろう。
 恐らく武官だろうと予想しているだけに、今時分に三日続けて現れるレスティにヴィオレッタは少し不安になる。
 夜警というものがあるだろうに、もしかしてそれをさぼってきているとか……。
 いや、さすがにそれはないだろう。きっと、たまたま三日続けて夜勤がなかっただけで。
 他意はないけれど、少し気になり、ヴィオレッタは思わずそう口をついていた。
 すると、レスティは得意げに、にっと口のはしを上げた。
「ああ、夜までに終わらせている。無能ではないのでな」
「あら、随分有能なのね」
 事も無げに随分不遜な言い方をするレスティに、ヴィオレッタは皮肉たっぷりに笑みを向ける。
 無能でないからといって、必ずしも有能とは限らない。
 逆手にとった、なんて手痛い皮肉なのだろう。
 レスティは絶句したように、苦い笑みを浮かべる。
 恐らく、それは嘘ではないのだろう。
 レスティのことだから、きっと効率的に手をまわし、人を利用するなどして、要領よくこなしているのだろう。そういう巧妙さを、これまでの会話からヴィオレッタは感じている。その言葉を信じられてしまうから、恐ろしい。
 レスティという人は、ヴィオレッタが感じている以上に、きっと切れ者なのだろう。
 そう思い至り、ヴィオレッタがどことなく胸に淋しさのようなものを覚えた時だった。
 ふわりと、二人の目の前に包むように一匹の蝶が舞ってきた。
 その蝶は、夜空に青白く浮き上がるように発光している。
「あ、夜光蝶……」
 ヴィオレッタがつぶやくと、レスティがうなずいた。
「本当だ、珍しいな」
 夜光蝶がつぶやきに合わせるように、ヴィオレッタ、そして次にレスティのまわりをくるりとまわると、二人の目の前でふわふわ浮きとどまった。
 夜光蝶は、夏の月夜に、その光と共鳴するように羽からやわらかな青白い光を放ち、夜に舞う。
 グランノーバの高地にのみ生息し、人の前に滅多にその姿を現さない。
 よって、いつ頃からか、その姿を見た者には幸福がもたらされると言われるようになった。
 まるで誘うような夜光蝶のその姿に、ヴィオレッタは思わずすっと手を差し出した。
 すると、ヴィオレッタの指に身をすり寄せるように夜光蝶が舞う。
「……綺麗」
 ヴィオレッタがつぶやくと、夜光蝶はすっとその指からはなれていった。
 そして、東屋から出たそこで、ふわふわ舞っている。
 その姿はまるで、二人を呼んでいるように見えた。
 ヴィオレッタとレスティは思わず見つめあい、くすりと笑うとうなずきあった。
「行こう」
 レスティはヴィオレッタの手を引き、立ち上がる。そして二人、夜光蝶が導くままにその後についていく。
 舞うように飛ぶ夜光蝶につられ、二人は池のほとりをゆっくり歩く。
 時折、二人の目の前で、夜光蝶はくるりまわる。かと思うと、ふいにヴィオレッタの髪にとまったりと、二人に戯れて楽しんでいるよう。
 そうして、夜光蝶が導くまま歩いていると、暗い中足元をおろそかにしていたため、ヴィオレッタがつまずき体勢を崩してしまった。
 すかさずレスティが気づき、支えようと握っていた手をぐいっと引き寄せる。
 けれど、勢いがつきすぎていたため、その反動で逆に余計に不安定になる。
 そして、二人の体がぐらぐら揺れたかと思うと、そのまますぐ足元の池に倒れこむ。
 初夏の誰もいない夜の庭園に、にぎやかな水音が響き渡った。
 月明かりに照らされた池に、ヴィオレッタをかばうように胸に抱くレスティが倒れている。
 髪から落ちるしずくが、月光を受けきらりと光る。
 何が起こったのか一瞬わからずに、二人は見つめ合う。
 すると、二人の間に、夜光蝶がふわりと現れ、そしてそのまま月に吸い込まれるように夜の闇に消えていった。
 思わずそれに見とれていたが、すぐに二人そろっておかしそうにくすりと声をもらす。
「まったく、何をしているのだか」
 自嘲するように肩をすくめるレスティに、ヴィオレッタも首をかしげて見せる。
「本当、どじよねえ」
「それはヴィオレッタだろう」
「あら、どじはレスティよ。これで二回目」
 ヴィオレッタがにっこり笑って言い切る。
 レスティは、口ではヴィオレッタにかなわないと思ったのか、観念したように眉尻をさげた。
 けれど、素直に負けを認めるのも癪らしく、眉間に皺をよせてみせる。
「それは、助けようとした私に言う言葉か?」
「助けられなかったのだから同じじゃない?」
 訴えるようにじっと見つめるレスティに、ヴィオレッタは首をかしげてけろりと言い放つ。
 レスティは思わずあっけにとられたようにヴィオレッタを見つめ、やはりすぐに白旗をあげることになる。
 ふふふと勝ち誇ったように微笑むヴィオレッタを胸に抱いたまま、レスティは立ち上がる。
 そして、ゆっくりと池からあがる。
 踏みしめた地面が、いつかのように、じわりと波紋を描くように濡れていく。
 いつかとは違い、上から下までしっかり濡れた衣服から、ぽたりぽたり雫が落ちていく。
 幸い、ヴィオレッタはレスティがかばったおかげて、上半身は難を逃れている。
「しかし、今が夏でよかったな。これが冬だと風邪をひく」
 ヴィオレッタを地面に下ろすと、レスティは諦めたように吐息をもらした。
 とりあえず、握れる部分を握り、衣服が吸い込んだ水分を搾り取っていく。
 ヴィオレッタもレスティに倣うように、ドレスの裾を持ち上げぎゅっとしぼる。
 その姿を目にとめてしまい、レスティはさっと視線をそらした。
 頬がほんのり染まっている。
「でも、これでは、乾くまで戻れないわね。いらぬ詮索をされてしまうわ」
 けれど、たとえ一晩過ごしてもこれだけ濡れていれば、乾くのは難しいだろう。
 いや、たとえ夏とはいえ、乾くのを待つうちに、風邪をひいてしまう。
 しかし、そうわかっていても、レスティの口から出てくる言葉は何故かそれとは反対のものだった。
「では、乾くまでもう一度東屋へ」
「あら、名案ね」
 悠然と微笑みさしだすレスティの手に、ヴィオレッタはゆったり手をそえる。
 そうして、濡れた肌に互いの体温を感じながら、東屋へゆっくり戻っていく。
 空には変わらず、輝く月が浮かんでいる。
 まるで二人の邪魔をするように、あたたかくさわやかな風が吹きはじめた。


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update:11/03/23