月の箱庭
(9)

 今日は朝から、この時分には珍しく、しとしと雨が降っている。
 昨夜、見事な月夜だったため、まさか朝目覚めると雨が降っているとは思わなかった。
 いつもより少し暗い室内に首をかしげ窓掛けを開くと、そこには糸のように降る雨に濡れた世界が広がっていた。
 ヴィオレッタは、なんだか少しがっかりしたような気分になる。
 この雨が夕方までにやまなければ、今夜はあの庭に行くことが難しくなるかもしれない。
 眠れないから夜のお散歩にという言い訳も、さすがに難しくなる。
 そうして、身支度と朝食をすませ、今朝もこれまでの三日間と同じように花舞の間へ行くと、妃候補の姫たちが集っていた。
 窓の外を支配する雨のためか、それとも王が一向に姿を見せず我慢の限界に達しているためか、姫君たちは明らかにご機嫌がよろしくない。
「ヴィオレッタ様は、陛下のこの無体、気になりませんの?」
 窓辺の椅子に座りぼんやり外を眺めるヴィオレッタに、そう声がかかった。
 はっとして振り向くと、部屋の中央に置かれた椅子に座る他の妃候補七人の姫たちが、ヴィオレッタを探るように見ている。
 どうやら、優雅にお茶を飲みつつ、おしゃべりに興じていたらしい。
 いや、この場合は興じているというよりは、一時休戦し、皆そろって、まったく現れようとしない王への不満を吐き出しあっているのだろう。
 一人その会話に加わろうとしないヴィオレッタを怪訝に思ったのだろう。
「ええ、わたくしは、もとより妃という器ではありませんので」
 ヴィオレッタは控え目に微笑み、うなずいてみせる。
 すると、ヴィオレッタにいちばん近い椅子に腰掛けていたベアトリスが、試すような視線を向ける。
「あら、そうかしら? この中でもお家柄は悪い方ではないでしょう?」
 言葉とは裏腹に、その表情は明らかにヴィオレッタを鼻で笑っている。
 あら、ご自分の身の程をわきまえているじゃないとでも言いたいのだろう。
「ベアトリス様ほどではありませんもの」
 ヴィオレッタはにっこり笑ってそう告げると、手に持ったままになっていた茶碗(カップ)受け皿(ソーサー) から持ち上げた。
 そして、ゆったりと口をつける。
 ぼんやり外を眺めていたため、お茶はぬるくなっていた。香りももうしない。
 妃争いには興味がないというヴィオレッタのその態度に、ベアトリスは憎らしげに目を細め視線を流した。
 そして、誰にも気づかれないように、ぎりっと奥歯をかむ。ぎらりとその目が不気味に輝いた。
 競争相手が一人減り喜ばしいところだろうに、ベアトリスの表情は決して晴れやかなものではなかった。
 しかし、心はすでにここにないヴィオレッタは、その様子に気づくことなく、またぼんやり雨が落ちてくる空を見上げる。


 まるで空が嘆いているかのように降っていた雨も、ヴィオレッタの願いが届いたのか、夕闇が迫る頃にはあがっていた。
 昼を過ぎても降っていた雨が嘘のように、空には昨日よりまた少し欠けた月が今夜も顔をのぞかせている。
 与えられた客間の窓からそれを確認すると、ヴィオレッタはいてもたってもいられないといった様子で、いそいそと扉へ歩み寄る。
 そして、うっすら扉をあけ、その隙間から辺りを見まわす。
 そこに誰もいないことを確認すると、もう少し扉をあけ、さっと身を滑り出す。
 それからもう一度左右を確認して、そのまま館の外へ駆けていく。
 ちょうどその時、ヴィオレッタが与えられた客間のななめ向かいの部屋の扉が開いた。
 そしてそこから出てきた人物が、駆けていくヴィオレッタの後ろ姿にふと気づく。
「あれは……?」
 怪訝に顔をゆがめたかと思うと、何かを思い至ったようにその口をいびつにつりあげた。


 今宵も月下の庭で、二人は会う。
 月明かりに導かれるように、ヴィオレッタが池のほとりの東屋へ行くと、そこにはすでにレスティがいた。
 やってきたヴィオレッタに気づくと、レスティは微笑を浮かべ手招きする。
 ヴィオレッタも顔をほころばせうなずくと、そのままレスティの胸に飛び込んでいく。
「うわっ!」
 勢いよくヴィオレッタが飛びついたものだから、レスティは腰かける椅子から落ちかける。
 レスティが無言で非難の眼差しを向けると、ヴィオレッタはちろっと舌をのぞかせ肩をすくめてみせた。
 反省の仕草なのだろうけれど、まったく反省している様子はない。
 レスティは諦めたように細く息をはくと、ヴィオレッタの腰に両手を添え軽く抱き、そのまま隣に座らせる。
 そして、自らも体勢を立て直した。
「今日は早かったのね」
「ヴィオレッタが遅かったんだ」
 ヴィオレッタは寄り添うようにレスティに身をよせ、顔をのぞきこむ。
 すると、レスティは呆れたように微笑をもらす。
「だって、雨が降っていたもの」
「それも、夕方までにはやんでいただろう」
 口をとがらせるヴィオレッタに、レスティは目を細め、もう一度非難するように装う。
 本当は気になどしていないのだけれど、どことなくすねた様子のヴィオレッタをからかおうといたずら心がわきでている。
「……なかなか抜け出す機会がなくて」
「そうか」
 けれど、すぐにしゅんと肩を落としたヴィオレッタに、レスティは早々に折れてしまった。
 ぽんと頭をかるくなで、微笑んでみせる。
 するとヴィオレッタは、安心したようにほにゃっと頬をゆるめた。
 ここにやってくることが遅くなったことを残念に思っているのは、ヴィオレッタの方だろう。
 もちろん、レスティも会える時間が少し減ったことを残念に思っているが、それにすねるヴィオレッタほどではない。
 時間が少し減ってしまったのなら、その分与えられた時間をいつもより楽しめばいい。
 レスティがヴィオレッタの肩を抱き寄せることなく、その頭がぽてんとレスティの胸にもたれかかった。
 レスティは驚いたようにヴィオレッタを見つめる。
 すると、ヴィオレッタはどうしたの?といった様子で、不思議そうにレスティを見上げた。
 レスティはどこか複雑に笑った後、おかしそうにくすりと声をもらす。
 どうやら、気にしていたのはレスティだけで、ヴィオレッタはすでに一歩先へすすんでいるらしい。
 遠慮などいらなかった。
 こうして寄り添うことが、ヴィオレッタの中ではもう当たり前になっている。
 レスティはヴィオレッタの背に腕をまわし、そのままその腕の中にヴィオレッタをおさめる。
 そして、ゆっくりと空に浮かぶ月を見上げる。


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update:11/03/30