月の箱庭
(10)

「やれやれだな」
「え?」
 レスティがつぶやくと、ヴィオレッタはその胸の中で首をかしげ、レスティの様子をうかがった。
 いきなりもたらされたそのつぶやきの意図を、判断しあぐねているのだろう。
 けれどレスティは気にすることなく、月からヴィオレッタに視線を戻すと、確認するように語る。
「明日でこの茶番も終わりだろう」
「あ、そういえばそうね。興味がないからさらっと忘れていたわ」
「おいおい、またか」
 相変わらずのヴィオレッタのけろりとした様子に、レスティは思わず脱力しそうになる。
 妃争いに興味がないことはわかりきっていることなのでもうこの際どうでもいいが、だからといってそれがひとまずの終了を迎える日にすら頓着していなかったとは、さすがにそこまでとはレスティも思っていなかったのだろう。
 それくらい、ヴィオレッタにとっては王妃などどうでもいいということなのだろう。
 しかしまあ、妃候補としてやってきたはずなのに、こうして毎夜人目を忍びレスティと会っているくらいなので、その時点でヴィオレッタの意思などわかりきっている。
 果たして、かなり危険な行為であると自覚はあるのだろうか。
 しかし、それをレスティも望んでいるので、あえて口にしてこなかった。
 ヴィオレッタは、王妃の座を手に入れることではなく、レスティと会うことを選んでいる。
 それがどれほどレスティを喜ばせているか、ヴィオレッタはわかっているのだろうか?
 二日目まではそうではなかったけれど、三日目からはそこにヴィオレッタの意思があったようにレスティは感じている。
 そして、四日目の今日、それはレスティの思い込み、驕りなどではないと確信しつつある。
 レスティの姿を見つけたとたん、その胸に飛び込んだヴィオレッタのその様子から。自然にレスティに身を寄せるヴィオレッタのその様子から。
 二人はとても危険なことをしている。
 今さらながら、なんて浅はかな行動をとっていることか。
 それでも、会わない選択はなかった。
「昼間のお姫様たちの争い、本当にうんざりするのよ。今日なんて危うく巻き込まれるところだったわ」
 レスティの腕の中で、ヴィオレッタは眉根を寄せうなってみせる。
「大丈夫なのか?」
「うーん、大丈夫じゃないかしら?」
「簡単だな」
 レスティの胸にふとよぎった不安も、ヴィオレッタにかかればまさしくそんな簡単にすまされてしまう。
 しかしまあ、妃争いから早々に離脱しているヴィオレッタなのだから、他の姫君の攻撃をうまくかわせさえすれば、その後は晴れて自由の身となるだろう。
 本人に妃になる意思などないのだから、悪意がない限り、間違っても選ばれることはないだろう。
 明日も王が花舞の間に姿を現さなければ、それこそ、ヴィオレッタが予想したとおり、ボーカン家のベアトリスが妃に選ばれるだろう。
「まあ、あと一日だし、なんとか乗り切るわ。それに、夜はこうして憂さ晴らしもできるし?」
 ヴィオレッタはレスティの胸の中で意気込むと、ちろりと見上げてにっと笑ってみせる。
 その目があきらかにからかっていることを見て取り、レスティは大仰にあきれてみせる。
「私はヴィオレッタの憂さ晴らしの道具か」
「あら、違ったかしら?」
 にっと笑うヴィオレッタの額を、レスティは指先でつんとかるく押す。
「まったく、本当に口が減らない女だ」
「今さらよ」
 ヴィオレッタは案の定にっこり笑って、きっぱり言い切った。
 そしてやはり、レスティの肩はがっくり落ちる。
 本当に、ヴィオレッタはああ言えばこう言う。
 けれど、言いかえれば頭の回転が速いということで、悪くはない。レスティはそういうところを気に入っている。
 何より、ヴィオレッタのそのかざらないところが好ましい。
 そしてヴィオレッタもまた、歯の浮くような飾り立てた明らかに嘘だとわかるお綺麗な言葉をはかず、嘘で塗り固められていないレスティの言葉を気に入っている。
 ぽんぽん言いたいように言っているようだけれど、そこにしっかり優しさと気遣いがあるレスティの振る舞いが好ましい。
「でもまあそうだな、くだらない茶番に巻き込まれて、災難だな」
 ヴィオレッタをもう少しだけ抱き寄せ、レスティは肩をすくめてみせる。
 すると、ヴィオレッタは頬をふくらませたかと思うと、にっと笑みを浮かべた。
「まったくよ。でも、王宮内をいろいろ見学して、わたしはわたしなりに楽しんでいるのだけれどね」
 ヴィオレッタは晩餐の前後などわずかな時間を見つけて、王宮内を見てまわっている。
 昨日は図書館と東の庭園に行き、一昨日は北の森を訪ねていた。
 今日は残念ながら雨のため、空をのろわしげに見つめながら、与えられた客間で大人しくしていた。
「本当に妃争いに参加する気はないのだな」
 予想していたといえば予想していた、けれど予想以上といえば予想以上のヴィオレッタの言葉に、レスティはどこか感心したようにヴィオレッタを見つめる。
 妃争いに興味はないとわかってはいたけれど、まさかそこまで精力的に王宮散策をしているとは思っていなかった。
 何しろ、ヴィオレッタは、夜には決まってこの庭にいたのだから。
「当然よ。わたしは愛のない結婚なんてごめんだわ」
 ヴィオレッタはぞんざいに言い放った。
 するとレスティも深くうなずき、きっぱり言い切る。
「同感。私も妻は一人でいいな。複数の女性を相手にできるほど起用ではないしな」
 レスティが自嘲するように笑ってみせると、ヴィオレッタはどこか淋しげに微笑を浮かべた。
「あなたに愛される女性は幸せね」
 そして、寄せていたレスティの胸からゆっくり身をはなそうとする。
 ヴィオレッタを抱き寄せるレスティの手が一瞬びくりと震えたけれど、ヴィオレッタにあえて逆らうことはしなかった。
「だったらいいけれどな」
 レスティはただそうやって、苦く笑うことしかできない。
 何故ここでヴィオレッタが離れていくのか、レスティにはわからなかった。
 見上げる月は、相変わらず等しく地上にその淡い光を注いでいる。
 レスティはすっと目を細め、ふと思い立ったようにつぶやいた。
「なあ、もし間違って王の目にとまったら、ヴィオレッタはどうする?」
 レスティがヴィオレッタの顔をのぞきこむように見つめると、衝撃を受けたようにその目が見開かれていた。
 レスティははっとして、その顔に後悔の色をにじませる。
 もしかしなくても、レスティは言ってはいけないことを言ってしまったのだろうか。
 この問いの答えなど、聞かずともわかっていたはずなのに。
「あなたが王ならばいいのにね」
 けれど、レスティの思いとは違い、ヴィオレッタはどこか苦しそうに微笑むと、そうぽつりつぶやいた。
 それは、レスティが王ならば、ヴィオレッタは王妃も受け入れるということだろうか?
 答えになっていない答え。明確に与えられない答え。
 レスティはどこかで、その問いに明確な答えを求めていた。
 ヴィオレッタの言葉の真意をはかりかねて、レスティの瞳が大きく揺れる。
「でもそっか、もう明日でこの茶番も終わりなのね」
 膝の上に置いた握り締めた両手に、ヴィオレッタは視線を落とす。
「そういえば、五日間だけだったか、ヴィオレッタが王宮に滞在するのは」
 そう、明日になればヴィオレッタは下城してしまう。
 ならば、こうして二人で会うのも今夜が最後。
 この楽しい夜は二度とない。
 これはあくまで、ヴィオレッタが王宮に滞在している間だけのことだった。
 わかっていたことなのに、心のどこかではそれに気づかないふりをし、忘れようとしていた。
「ええ、その間に陛下が妃を選出する。――きっと、ベアトリス様あたりでしょうね。結局、今日も陛下はいらっしゃらなかったし。はじめからそのつもりだったのじゃないかしら?」
 ヴィオレッタは悟ったように、ふふっと静かに笑う。
「……淋しくなるな」
「え?」
 ぼそりつぶやかれたレスティの言葉に、ヴィオレッタはさっと顔をあげ、じっと見つめる。
 うかがうように見つめるヴィオレッタに、レスティは皮肉交じりに微笑んでみせる。
「こんなおかしな娘がいなくなると、王宮の夜の暇つぶしにまた頭を悩ませなければならなくなると言っているんだよ」
「まあ、相変わらず失礼よね」
 ヴィオレッタは大仰に呆れたようにレスティを見つめる。
 レスティはふと、浮かべていた笑みをおさめた。
 そして、膝の上に置くヴィオレッタの両手をすっと取り上げる。
 驚いたように見つめるヴィオレッタを、レスティはまっすぐ見つめる。
「……また、会ってくれるか?」
 ヴィオレッタはその言葉の意味を瞬時に理解できなかったらしく、きょとんと首をかしげた。
 けれどすぐに、顔をほころばせ嬉しそうに微笑む。
「ええ、もちろん。明日が終われば、お日様の下でも会えるわね」
 まさかその言葉がもたらされるとは思っておらず一瞬理解できなかったが、理解してしまえばヴィオレッタに拒否する選択などない。
 だって、ヴィオレッタもまたレスティに会いたいと、会い続けたいと思えるくらい、この四日間の夜を楽しんでいたのだから。
 これは終わりではない。
 その気になれば、はじまりにできる。
 レスティは、そう告げている。
 五日が終わるということは、すなわち、こうして夜の庭で会う必要がなくなるということ。
 昼間に、誰の目を気にすることなく、堂々と会えるようになるということ。
「なんだそれは。まるで人目を忍ぶ逢瀬みたいじゃないか」
 レスティはむっと眉根を寄せる。
「明日までは同じようなものじゃないかしら? だってわたしは、一応王妃候補なのだし?」
 ヴィオレッタはくすくす笑いながら、からかうようにレスティを見つめる。
 するとレスティは、どこか意地悪くにやっと笑った。
 おかしそうに笑うヴィオレッタの頬に、その手をそっと触れさせる。
「そして私は、そんな王妃候補に手を出す不埒者か?」
 レスティの触れた手、そしてその言葉に、ヴィオレッタはぴたっと笑いをやめた。
 そして、不思議そうに首をかしげ、レスティをじっと見つめる。
 月明かりを受けどこか妖艶に微笑みながら、けれどその目はまっすぐにヴィオレッタの姿をとらえ、レスティはきっぱり告げる。
「明日が終わったら、迎えにいってもいいか?」
 ヴィオレッタは驚いたように目を見開き、レスティを見つめる。
 その真意を探るようにレスティの瞳の中をのぞき込み、それが決して酔狂で言われたものでなく、レスティの心からの言葉だと悟ると、ヴィオレッタは嬉しそうにゆっくりうなずいた。
 そして、どちらからともなく身を寄せていく。
「ヴィオレッタ、愛している」
「わたしもよ、レスティ……」
 頬に触れるレスティの手に、ヴィオレッタはそっと手を重ねる。
 そうして、さらに二人の距離は縮まり、そっと唇と唇を重ねた。
 ゆっくり顔をはなしていくとすぐにぱちりと目と目が合い、二人思わずくすりと声をもらしていた。
 その頬は、競うように染まっている。
 月から注ぐ淡い光が、優しく二人を包み込む。
 月明かりに輝く宝石をちりばめたような池。
 そして、そのほとりにたたずむ小さな東屋。
 その中で、互いを求めるように、愛しむように抱き合う二人。
 そこはまるで、月明かりに浮かぶ理想郷。
 二人に与えられた、月の箱庭。


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update:11/04/07