月の箱庭
(11)

 北の森が見渡せる窓辺に立ち、レスティはそこから広がる景色を眺めている。
 その口元は、表情は、降り注ぐ朝陽のようにやわらかい。
 意識してたもたないと、だらしなくにやけてしまう。
 今日が終われば、誰に遠慮することなくヴィオレッタはレスティのものになる。
 そう思うだけで、顔の筋肉がゆるみ、自然と目が笑ってしまう。
 本日正午頃、いよいよ茶番が終わる。
 それと同時に、ヴィオレッタのもとへ飛んでいこうとあらためて決意したその時、ふと部屋の入り口に人の気配を感じ、レスティは面倒くさそうに振りむいた。
「おはよう、レスティ」
 開け放たれた扉にもたれかかり、レスティがよく見知った青年が夏の空のようにさわやかに微笑んでいる。
 薄い茶色の髪と青い瞳に、窓から入ってきた陽光があたりきらり光る。
「シリル、戻ったのか」
「今朝からね」
 シリルはもたれかかる扉から背をはなし、窓辺のレスティへゆっくり歩み寄っていく。
 長期休暇をとっていたが、どうやら今朝から登城したらしい。
 レスティの頭の中はすっかり、茶番が終わった後のことに支配されてしまっていたため、そのことを失念していた。
 しかしそれを悟られないように、レスティは薄い笑みを浮かべてみせる。
 もし、すっかりその存在を忘れていたとシリルに悟られようものなら、延々と恨み言がレスティに降り注ぐことになる。
「それはそうと、レスティ、問題発生」
 落ち着き、おだやかに微笑むレスティに、シリルはどこか意地悪くにっこり微笑んだ。
「……は!?」
 一瞬何を言われたのかわからず、レスティはそう間抜けな声をあげていた。
 しかしすぐに、今日の予定が狂わされることになりそうな予感がし、レスティは思い切り不服そうに顔をゆがめた。
 朝のさわやかな風が、無情にレスティの頬をなでていく。


 滞在五日目。
 今日でヴィオレッタの妃候補としての滞在も終わる。
 今日一日をのりきれば、この馬鹿らしい茶番も終わりかと思うと、心なしかこれまでの朝より少し気分が軽い。
 支度と朝食を済ませ、この四日間そうであったように、あの静かな女の戦いが繰り広げられる花舞の間へ向かう。
 途中通る廊下には、大きな窓から生まれたての陽光が差し込んでくる。
 まだ朝早いためか、降り注ぐ光はやわらかい。
 並ぶ木々を通した木漏れ日が、時折、廊下の床に優しいまだら模様を描き出す。
 花舞の間の前までやってくると、そこに控えた従僕がヴィオレッタの姿を認めるとわずかに顔をゆがめた。
 けれど、すぐにそれをひそめ無表情に戻る。
 従僕の様子を怪訝に思いながらも、ヴィオレッタは扉へ歩み寄る。
 それにあわせ、扉を開けるために従僕がとってに手をかける。
「どうしたのかしら? 今朝はやけに騒がしいわね」
 ふとヴィオレッタは誰にともなくつぶやいていた。
 ここまで来るまで気づかなかったけれど、今朝はやけに花舞の間の中がざわついているように感じる。
 もしかすると、五日目にしてようやく、レサトゥリアスがやって来たのだろうか? しかも、このように早くから。
 そう首をかしげると、ヴィオレッタのつぶやきも気にしたふうなく、従僕が扉を押し開けた。
 扉が開くと同時にヴィオレッタの姿を認めると、そこに集う令嬢たちがぴたりとおしゃべりをやめた。一斉にヴィオレッタに視線をそそぐ。
 それは、この四日間に見てきたものと明らかに違った。
 令嬢たちの目には、侮蔑や敵意、勝ち誇ったような色がありありとある。
 その視線に、ヴィオレッタは思わず踏み出した足をとめてしまった。
 そして、そこに、令嬢たちだけでなく、三人の壮年から老年の男性の姿もあった。
 その中には、ベアトリスの父、財務大臣ボーカンの姿もある。
 軽蔑とそして押し隠してはいるが嬉々としたものがその顔に見て取れる。
 ヴィオレッタが怪訝に首をかしげた時だった。
 令嬢たちの間から、嘲笑ともほくそ笑みともとれるくすくすした笑いが起こる。
 悪意を感じ気分がよいものではないが、その理由がわからないので、ヴィオレッタはとりあえずとめていた足を再びすすめた。
 ちょうどヴィオレッタが、令嬢たちが腰掛ける椅子のもとまで来た時だった。
 令嬢たちが座る横に、男性二人を従えて立つボーカンが、低く静かな声で鋭く言い放った。
「ヴィオレッタ姫、昨夜、男と会っていたというのはまことですか?」
 瞬間、ヴィオレッタはぴたりと動きをとめ、ゆっくりボーカンへ向き直る。
 ボーカンは険しい顔で、尋問するかのようにヴィオレッタを見ている。
 ヴィオレッタはひそめるように顔をゆがめ、ボーカンからゆっくりと令嬢たちへ視線を向ける。
 すると、令嬢たちは汚らわしそうにヴィオレッタに視線を注いでいた。
 皆身を寄せ合うように、内数人は扇で口元を隠しながらくすくす笑っている。
「なんとはしたないのかしら」
「お顔も見たくありませんわ。汚らわしい」
 誰からともなく、ささやくようにそうもたらされる。
 ひるむでもなく、だからといって取り乱すこともなく、ただ静かにそこに立つヴィオレッタにいらだったように、ベアトリスがばっと立ち上がり甲高い声で叫んだ。
「ご、誤魔化しても無駄ですわよ。わたくし、見たのですから! 眠れなくて少し夜風にあたろうと部屋を出たところで、部屋を抜け出したヴィオレッタ様を!」
 扇を閉じヴィオレッタにつきつけ、ベアトリスは勝ち誇ったように胸を張る。
 ベアトリスは本当は、最終日を前に、あらかじめボーカンに聞いていたレサトゥリアスの寝所へ忍び込もうと部屋を抜け出したところだった。
 結局四日とも姿を見せなかったレサトゥリアスに業を煮やし、既成事実のひとつでも仕立て上げようとしたのだろう。
 それを棚に上げ、大手柄を上げたかのように得意げに笑みを浮かべている。
 まさか、ヴィオレッタとレスティの軽口が実行されようとしていたなど、当然二人は思っていなかっただろう。
 しかし、ベアトリスはそれに触れず、目撃者としてヴィオレッタを非難し、叩き落とすつもりなのだろう。
 ヴィオレッタは思わず目を見開き、得意げに笑みを刻むベアトリスを見る。
 けれどすぐに、どこか納得したようにヴィオレッタは細い息を吐き出した。
「……本当です」
 そして、静かに答える。
 あっさりと認めたヴィオレッタに一瞬ひるんだような気配をさせ、すぐにその場にざわりとした不穏な空気が漂う。
 恐らく、泣き叫び、見苦しく潔白を訴えるとでも思っていたのだろう。そして、そこでさらに突き落とし、嘲笑おうという腹積もりだったのだろう。
 けれど、その目論見は、ヴィオレッタによってあっさり無になってしまった。
「な、なんということでしょう!」
「あなたのようなふしだらな女は、消えておしまいなさい!」
「陛下に対する冒涜ですわ!」
 一瞬ひるんだような様子を見せたが、次の瞬間には、嬉々として、その場に、ヴィオレッタへ対する非難の声が渦巻く。
 けれどヴィオレッタは、それらすべてを静かにその身に受けていた。その姿は、ヴィオレッタは間違っていないと主張するようにも見える。
 その様子に、ボーカンが一歩踏み出し、いらだつようにヴィオレッタへ迫る。
「あなたは、ご自身が妃候補という自覚はおありなのかな!?」
「ありませんわ」
「な……っ」
 ためらうことなくさらりともたらされたヴィオレッタの返答に、またその場がどよめく。
 皆それぞれ口々に、ヴィオレッタに対するののしりの声を上げる。
 けれどやはり、ヴィオレッタはそれに反応を示すことはない。
 一度目を閉じ、そしてゆっくりまぶたをあげ、そこにいる者たちをまっすぐ見つめる。
「呼ばれたので仕方なく来たまでです。ですが、そのおかげで、あの方に出会えたので、その点は感謝しておりますわ」
 ヴィオレッタはにっこり笑ってきっぱり告げる。
 令嬢たちの顔が明らかな怒りの色に染まり、ボーカンがいまいましげに叫び声を上げた。
「ぬけぬけと……っ!」
 うろたえることなく、この場にいる者たちを見据え、しっかりとそこに立つヴィオレッタに、誰もが納得できないのだろう。
 妃候補という自覚がないと言っただけでなく、仕方なくやって来たと言い、しかも逢引していた男と出会うことができたから感謝しているとまでのたまった。
 この場にいる誰もが耳を疑い、驚愕の思いを抱くことだろう。妃の座などいらない、取るに足りないと言っているようなものなのだから。
「陛下を愚弄するにもほどがありましてよ!」
 我慢ならなかったのだろう、ベアトリスが怒りに満ちた声をあげる。
 それにはじかれたように、ボーカンもはっと鼻で笑って、いびつに口のはしをあげた。
「これでは、ベルリオーズ殿もお気の毒なことですな。とんだご令嬢をお持ちだ」
 明らかにヴィオレッタを蔑んでいる。
 けれど、ヴィオレッタは感情を見せず、ただたんたんと答える。
「たしかに、父には申し訳ないことをしましたが、わたしは悪いことをしたと思っていなければ、後悔もしておりません。もともと妃など望んでおりませんもの」
 開きなおったふうにさえ見えるヴィオレッタの様子に、誰もが言葉を失う。
 よもや、妃になりたいと思わぬ令嬢がいたのかと、わずかな動揺の色も見える。
 ののしりの言葉さえ出てこないらしく、いまいましげにヴィオレッタをにらみつけている。
 ボーカンをまっすぐその目にとられ、ヴィオレッタは清々しいまでににっこり微笑む。
「それに、ボーカン様にとってはちょうどよかったのではありませんか? これで、ご令嬢の競争相手が一人いなくなりましたものね?」
 ヴィオレッタは凛とたたずみ、ボーカンの暴言にもまったくひるむ様子がない。
 むしろ、挑むように余裕の微笑みすらたたえている。
「この小娘が……っ!!」
 ヴィオレッタのたたみかけるようなその言葉に、ボーカンは顔を怒りに赤くそめる。
 それは、図星なだけに、ボーカンの怒りをあおるには十分だっただろう。
 思わずヴィオレッタに飛びかかろうとして、けれどどうにか理性がはたらき、ぐっと押しとどまっている。
 握る拳が怒りのため、ぶるぶる震えている。
 ボーカンの横に控えていた男性二人はあっけにとられたように目を見開き、令嬢たちも驚きやら侮蔑、怒りやら、皆それぞれに奇異なものを見るようにヴィオレッタを見ている。
 それにしても、その通り、たしかに一人競争相手が減ったのだから、ボーカンとしては喜ぶべきところなのに、何故ここまで憤っているのだろうか?
 ただ、立場を慮り憤っているふりをしているだけなのだろうか?
 たしかに、ヴィオレッタがしたことはレサトゥリアスを愚弄することになるけれど、それだってボーカンとしては喜ばしいのではないのだろうか。
 自ら手を下さずとも、完全に一人淘汰できるのだから。
 ただ、そのために、父親の王宮での肩身を狭めてしまう結果になったことは、ヴィオレッタとて申し訳なく思う。


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update:11/04/15