月の箱庭
(12)

 怒りを必死におさえ、ボーカンはどうにか自らを取り繕う。
 ぎりっと奥歯をかみながらもすっと顔をあげ、その顔にひきつった余裕の笑みをつくってみせる。
「では、このままお帰りになりますな」
 ボーカンが確認するように問うと、ヴィオレッタは笑みを浮かべたままうなずいた。
「もとよりそのつもりです。わたくしはもともと、陛下にはふさわしくありませんもの」
 ヴィオレッタがきっぱり告げると、令嬢たちの顔が一気に喜色で彩られた。
 散々ヴィオレッタを非難していたのは、レサトゥリアスに対する不敬のためではない。それは、自らのため。
 ヴィオレッタを蹴落とすために、競争相手を減らすために、好機とばかりに結託した結果なのだろう。
 それはもちろん、ヴィオレッタにもわかっている。わかっていて、あえてあおり、この場を作り上げた。
 ヴィオレッタを、完全に妃候補からはずすために。窮地を利用し、自らの目的を遂げる。
 転んでもただは起きない、それがヴィオレッタ。
 浮かべていた笑みをすっと消し、ヴィオレッタはまっすぐ前を見据える。
「お騒がせして申し訳ありませんでした」
 そう告げ、ひとつ礼をする。
 ボーカンも令嬢たちも、勝ち誇ったように満足げにヴィオレッタを見ている。
 ヴィオレッタにとっては、これこそが勝利であると気づかずに。
 この場から去るために、ヴィオレッタが踵を返した時だった。
 予告なく、花舞の間の扉が勢いよく開かれた。
 そして、そこから飛び込んできた人物を見て、ヴィオレッタはぎょっと目を見開く。
「ヴィオレッタ!!」
「お父様!?」
 飛び込んできた壮年の紳士は、近衛将校の制服だろうそれが着崩れ乱れ、普段はしっかり整えている髪も振り乱している。
 その顔は色を蒼白に染めている。
 そのいつもとは違う父親――近衛将軍ベルリオーズの姿を見て、ヴィオレッタの中に罪悪感が一気にわきあがった。
 後悔はしていないが、さすがにこの父親の姿を見ては申し訳なさが広がる。
 自らの望みのため、父親を切り捨てたようなものだから。
 飛び込んでくると同時に、ベルリオーズはヴィオレッタの両肩を乱暴につかみ、心配そうに見つめた。
「ヴィオレッタ、う、噂は本当なのか!?」
 やはり、そのことで来たよう。
 噂話には無頓着なベルリオーズの耳にも入っているということは、恐らく、そのことはすでに王宮中に知れわたってしまっているのだろう。
 ヴィオレッタは果てしない脱力感に襲われた。
 まさか、ここまで大事になっているとは、さすがに思っていなかった。
 ここに集う令嬢たちは、ヴィオレッタの予想以上にやり手だったらしい。
 競争相手を蹴落とすためなら、憎い相手とでも手を組み、そして容赦ない。
 まあ、しかし、それだけされるだけのことを、ヴィオレッタはしたのだけれど。
 どこに、王の妃候補としてやってきて、他の男と夜毎に会う娘がいるだろう。
 外聞や誇りを捨て去ってでも、それを望んでしまったのだから仕方ない。
 何もかも捨て去ってもいいほどに、ヴィオレッタはそれを求めた。
 おろおろした様子でまっすぐ見つめるベルリオーズに、ヴィオレッタはこくりうなずく。
 そして、眉尻をさげ、肩に添えられたベルリオーズの手にそっと手を触れる。
「お父様、申し訳ありません。お父様のお名に傷をつけてしまうことになり……」
 ヴィオレッタは罪悪感を瞳いっぱいにため告げる。
 いくら後悔はないといっても、さすがにそこは後悔しないわけにはいかない。
 自らの醜聞は覚悟の上のこと。しかし、それが同時にベルリオーズの醜聞になってしまう。
 もちろん、それは気づいていたけれど、ここまで憔悴したようなベルリオーズの姿を見てしまうと、そうも言っていられない。
 だからといって、こうなってしまった以上、後の祭りだけれど。
 しかし、ベルリオーズはヴィオレッタのその言葉を聞くと、ふいに落ち着きを取り戻した。
 ふうと小さく息をはくと、ヴィオレッタの肩からゆっくり手をはなしていく。
 そして、触れていたヴィオレッタの手を両手できゅっとにぎった。
 まっすぐに、いたわるようにヴィオレッタを見つめる。
「それはかまわない。私の方こそすまない。お前が乗り気でないことを知っていたのに、このようなことに……」
 ヴィオレッタが噂は事実と認めたことにより、ヴィオレッタには思い合う相手がいたのに、それを押して王宮に送り込んでしまったと自らを責めているように見える。
 ベルリオーズはベルリオーズなりに、今回のことをずっと気に病んでいたのだろう。
「いいえ、お立場上お断りできないことはわかっておりました」
 ヴィオレッタは静かに首を振る。
 だから、ヴィオレッタは渋々、とりあえず王宮にやって来た。
 けれど、すべてはそれがいけなかったのかもしれない。
 もともとそのつもりがないのなら、ここにやって来てはいけなかったのかもしれない。
 でも、そうすると、ヴィオレッタはレスティに会うことはなかった。
 ではやはり、王宮にやってきたことは間違いではないのだろう。ここにこなければ、レスティに会えなかったのだから。
 それまでののしっていたはずのボーカンも令嬢たちも、ベルリオーズの登場に驚きつつも、それ以上ヴィオレッタを非難しようとはせず、ただ二人のやりとりを見ている。
 権力に押し負け、ベルリオーズはヴィオレッタを差し出すかたちになってしまったと感じたのだろう。
 ベルリオーズもその令嬢も、もとより望んでいなかったことだと気づいたのだろう。
 扉の向こうで中の様子をうかがっていた従僕も、どこかやりきれない様子でそこにたたずんでいる。
 かと思うと、はっと何かに気づいたようにばっと顔をあげた。
 こつりこつりと廊下の向こうから聞こえていた足音が、花舞の間の前で止まる。
「いいや、それでもわたしは断るべきだったのだよ。そうすれば、お前をこんなに苦しめることはなかった」
 ベルリオーズはどこか苦しそうに静かにそう告げると、ヴィオレッタをふわりと抱き寄せた。
 とんと、ひろくたくましい、それでいてあたたかい父の胸の中にヴィオレッタはおさまる。
 そこから、ヴィオレッタは今にも泣き出しそうに複雑な表情を浮かべ、じっとベルリオーズを見つめる。
「お父様……。すべては、あの方に出会い、お慕いしてしまったわたしが悪いのです」
 震える声で、けれどしっかりと、ヴィオレッタは告げる。
 かるく考えすぎていたのだろう。
 たとえ、妃になる気はなくとも、王宮にいる間は軽はずみなことをしてはいけなかった。
 どんなに心が望んでも、レスティとは会ってはいけなかった。
 ただ一度、出会ったあの時だけにとどめておくべきだった。
 そうしていれば、レスティを愛することもなかっただろう。
 けれど、それはひどく難しいことだったようにも思う。
 会いたいというその気持ちに、あの時のヴィオレッタはきっと抗うことができなかっただろう。
 だって、ヴィオレッタは、約束もしていないのに、あの晩から毎夜、あの庭に足を踏み入れていたのだから。そしてそこで、レスティを待っていたのだから。
 出会った瞬間から、ヴィオレッタはきっと、レスティにひかれていた。だから毎夜、あの庭を訪れた。
 今なら冷静に、そうわかる。
「だけど、ごめんなさい、お父様。わたし、後悔はしていないのです。あの方に出会い、たとえほんのひと時でも心通わせたことを」
 腕の中できっぱり告げるヴィオレッタの言葉に、ベルリオーズは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに優しげに微笑み、ゆっくりうなずいた。
 その言葉で、ヴィオレッタの思いを深く理解したのだろう。
 たしかに、ヴィオレッタが今回したことは軽率なことだったけれど、ベルリオーズにははじめからそれを咎める気はなかった。
 ただ、噂のためにヴィオレッタが深く傷ついているのではないかと恐れ、ヴィオレッタを守るために、慌ててこの場にやって来た。
 けれど、ヴィオレッタはベルリオーズに罪の意識は抱いているものの、傷ついてはいない。自分がすすむ道を見誤ってはいない。守るほど弱くもなかった。
 そこに、ベルリオーズは安堵を覚える。
 もともと権力に興味のないベルリオーズは、ただ娘を案じ、その幸せを願っているだけ。
 ベルリオーズは抱き寄せるヴィオレッタをゆっくりはなし、その顔をのぞきこむように見つめる。
「こうなってしまった以上は、ここにとどまることはできまい。陛下にお詫びをし、早々に下城しよう」
 優しげに目を細め見つめるベルリオーズに、ヴィオレッタは苦しげに顔をゆがめこくりうなずいた。
「お父様、ごめんなさい」
 ヴィオレッタは搾り出すようにつぶやく。
 そして、その場にいる令嬢たち、ボーカンに一礼をして、ベルリオーズに促されるまま扉へ向かい足取り重く歩みをすすめる。


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update:11/04/21