月の箱庭
(13)

 どこかためらいがちなヴィオレッタに気づき、ベルリオーズは心配げに耳元でささやく。
「どうしたのだ? 何か気になることがあるのか?」
 ヴィオレッタははっとして、ふるふる首をふる。
「ただ、あの方にお別れを言うことができなかったことが、心残りでならないだけです」
 ヴィオレッタはどこか切なげに笑ってみせた。
 こうなった以上、レスティと会うことはもうかなわないだろう。
 会えば、レスティの立場を危うくしてしまう。
 今回のことは、その名が知れれば、レスティはベルリオーズ以上に窮地に追い込まれるだろう。
 王妃候補と夜に会っていたということは、王に刃を向けた、謀反を起こしたも同じなのだから。
 迷惑はかけられない。大切だから、もう会えない。
 あの庭に人気がないことに油断してしまっていた。まさか見咎められるなど思っていなかった。
 それすら忘れるほどに、レスティとの時間は楽しく幸せだった。
 今回のことは、ヴィオレッタの名を貶めたことはたしかだろう。
 しかし、それも自業自得。軽率だったヴィオレッタが悪い。
 ただ、ヴィオレッタが会っていた相手がレスティであったと知られていないことだけは救われる。
 あの月明かりだけの暗がりでは、相手がただ男性というだけでその顔まではわからなかったのだろう。
 相手の名があがれば、レスティにまで迷惑をかけてしまう。
 今日が終われば、レスティはヴィオレッタを迎えに来ると言っていた。
 きっと、このことを知ったレスティは責任を感じ、言葉通りヴィオレッタを迎えに来るだろう。
 けれど、今ばかりは、迎えに来ないことを望む。
 そうしてしまえば、ヴィオレッタが今どんなに隠したところで、相手はレスティだったと知られてしまうのだから。
 ヴィオレッタさえ名を言わなければ、レスティが迎えにさえ来なければ、相手が誰かは永遠にわからないまま。
 レサトゥリアスの妃候補と恋仲などと知られれば、レスティは一体どんな罰を与えられることだろう。
 ヴィオレッタだけなら、後ろ指をさされ続けるだけ、最悪責任を問われ幽閉されるだけで終わるだろう。
 そうして、レスティを守れるなら、それでいい。
 この面倒な茶番が終わればレスティとの続きが待っていると思っていたけれど、こうなった以上、それはもうかなわない。
 かなわぬ夢に終わる。
「あの方? お別れ?」
 ヴィオレッタのつぶやきに、ベルリオーズは怪訝に眉根を寄せる。
 まさか、ヴィオレッタの口から、お別れ≠ニいう言葉が出てくるとは思わなかったのだろう。
 たとえ、レサトゥリアスを愚弄するかたちになったとはいえ、ヴィオレッタの恋心を否定するつもりは、まして恋に落ちた相手と引き裂くつもりはなかっただろう。
 ベルリオーズのことだから、むしろ応援しただろう。
 しかし、ヴィオレッタ自らが下した判断は、別れだった。
 王妃という輝かしい地位を蹴ってまで選んだ相手との別れ。
 ヴィオレッタはうなずき、切なげに微笑み答える。
「ええ、西のお庭でお会いしておりました」
「え? 西の庭――」
 ベルリオーズが驚いたようにそれを口にした時だった。
 それを遮るようにして、花舞の間の扉が予告なしに開かれた。
「その必要はない」
 同時に、青年の鋭い声がその場に響いた。
 いきなりのことに、その場にいた者たちは、ヴィオレッタとベルリオーズも含め、皆驚き一斉にそこへ視線を向ける。
 すると、開け放たれた扉には、両脇に利発そうな青年二人、背後に壮年から老年の紳士――恐らくこの国、グランノーバの重臣たちを従えた、一人の青年が立っていた。
 現れた青年は、青みがかったきらびやかな銀髪からのぞく緑の目で、その場にいる者たちをまっすぐに見据える。
 威厳に満ちたそのたたずまいに、思わず息をのむ。
「レスティ!?」
「へ、陛下!」
 次の瞬間、ヴィオレッタとベルリオーズは、現れた青年に向かってそう声を上げていた。
 ベルリオーズは慌てて頭をたれる。
 現れたのは、ベルリオーズの言葉から、グランノーバ王、レサトゥリアスだとわかる。
 それを耳にしその場にいた令嬢たち、そしてその姿を見てボーカンも慌てて礼をとる。
 ただ、ヴィオレッタだけが目を見開き、呆然とその場に立っている。
 礼をとりながらも、ボーカンがはっとしたように顔をあげ、声を荒げて叫んだ。
「無礼者! 礼をとれ! 陛下を呼び捨てにするでない!」
「え……?」
 ボーカンの叫びにヴィオレッタはびくりと体を震わせ、不安げにそこにたたずむ青年――レサトゥリアスを見る。
 その瞳が混乱と動揺でゆらゆら揺れている。
「かまわない、この娘にはいかなる無礼も許している」
 レサトゥリアスはきっぱりそう言い放つと、呆然とそこに立つヴィオレッタに優しく微笑みかけた。
 ヴィオレッタはレサトゥリアスに目を奪われ、ただその微笑を見つめることしかできない。
「では、ヴィオレッタ姫をたぶらかし陛下を愚弄した不埒者をひっとらえましょう」
 ――いかなる無礼も許している。
 一瞬、その言葉の意味がわからなかったが、すぐに含まれた意味を正しくくみとり、ボーカンははっとして慌てて叫んだ。
 レサトゥリアスが発したとんでもない言葉で、ボーカンは自らのとるべき正しい立ち位置を判断したのだろう。
 どこかやる気に満ち一人意気込むボーカンへ、レサトゥリアスの冷たい眼差しがちらりと向けられる。
 けれど、すぐに嘲笑のような笑みを口のはしにわずかにのせ、さっと視線をそらした。
「だから、必要ないと言っているだろう」
「へ、陛下!?」
 冷たく面倒臭そうに言い放つと、レサトゥリアスは不安げに見つめるヴィオレッタにゆっくり歩み寄る。
 そして、ヴィオレッタの前まで来ると、探るように見あげるヴィオレッタをそのままふわりと抱き寄せた。
「ヴィオレッタと会っていたのは、私なのだから」
 扉の向こう側で、一体いつから、レサトゥリアスは花舞の間でかわされている会話を聞いていたのだろうか。
 ヴィオレッタを抱きすくめるようにしっかりとその腰に腕をまわし、レサトゥリアスは優しい笑みを落とす。


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update:11/04/30