月の箱庭
(14)

 びくりとヴィオレッタの体が震えた。
 そして、恐る恐る、抱き寄せるレサトゥリアスを見つめる。
「レ、レスティが、陛下……?」
 ヴィオレッタは震える声で、どうにかそれだけをつぶやく。
 ヴィオレッタの言葉の通り、たしかに、今ヴィオレッタを抱き寄せているのは、見まがうことなく、この四日間、夜の庭園で会っていたレスティだった。
 その青みがかった銀の髪も、深い緑の瞳も、レスティが持つものそのまま。
 何より、どこかいたずらっぽく笑み、ヴィオレッタを見つめる目がレスティそのもの。
 ひとつ違うところは、今が夜ではなく朝ということだけ。
 そして、そのレスティを、ベルリオーズもボーカンも陛下≠ニ呼んだ。
 そこから導き出せるものは、いくらヴィオレッタの頭が混乱しているとはいえ、それしかない。
 レスティが、レサトゥリアス――。
 それが間違いではないというように、レサトゥリアスは、ゆっくり、そして大きくうなずいた。
「ああ、レサトゥリアスとは言いにくいからな。親しい者は皆、レスティと呼ぶ」
 そして、ヴィオレッタをからかうように、意地悪くにっと笑う。
 その笑みに、ヴィオレッタは大きく目を見開いた。
 それまで感じていた困惑も、体の震えもぴたりととまる。
 その思わず殴りたくなるような腹立たしい笑みは、たしかにレスティのもの。
 事実がすとんと胸に落ちれば、同時に怒りがこみ上げる。
「騙したのね!」
「騙してなどいない。ただ、黙っていただけだ」
「それが騙したというのよ!」
 ヴィオレッタは思わず叫んでいた。
 悔しげに唇をかむヴィオレッタの様子に、レサトゥリアスは満足げに笑みを深くする。
 そこまで悪びれることなく言い切られてしまうと、ヴィオレッタは二の句がつげなくなってしまう。
 レスティは強制見合いを茶番と言い、王を馬鹿にしているような口ぶりが目立った。
 だから、レスティがまさかレサトゥリアスその人などと、ヴィオレッタは思ってもいなかった。
 そもそも、供もつけずに一人で庭園に出る王が、一体どこにいるだろう。
 夜にふらっと一人で現れたから、レスティがレサトゥリアスその人であるなど、可能性のひとつにすらいれていなかった。
 ただ、レスティという一人の男性として接し惹かれた。
 それだけが、ヴィオレッタの真実。
 レサトゥリアスは、見つめるヴィオレッタの頬にそっと手を触れる。
 触れたレサトゥリアスの手は、レスティのそれと同じでほっそりとしなやかであるにもかかわらず、そのひらは少しかたい。
 一国の王ともなれば、当然、護身のために剣を修める。
 この手のひらは、そのためのものだろう。
 護身にしては、いささか剣を持ちすぎではないかと思うけれど。
 だから、ヴィオレッタはレスティは宮仕えの武官だと判断していた。
「あの庭――王の箱庭は、私の気に入りの場所だと言わなかったか?」
「あ……」
 そういえば、出会った時、普段あまり人が来ない庭だから、ヴィオレッタがいて驚いたと、レスティは言っていた。
 つまりは、レサトゥリアスお気に入りの場所だから、それを知る王宮の者たちは、皆邪魔しないように必要ない限り近づかないようにしているということだろう。
 ヴィオレッタは知らなかったけれど、西の庭園は、月の箱庭と呼ばれると同時に、王の箱庭とも呼ばれているらしい。
 それがすなわちどういう意味を持つか、想像に易いだろう。
 レスティの王の箱庭≠ニいう言葉に、そのことに気づき、ヴィオレッタは恥ずかしそうに頬を淡く染める。
 レサトゥリアスはおかしそうに目を細めた後、どこか切なげに眉尻を下げた。
「すまなかった。ヴィオレッタが女をたくさんはべらす男のもとになど嫁ぎたくないというものだから、本当のことを言えなかった」
「わたしのせい?」
 言葉は謝罪を告げているはずなのに、その声も表情も、あきらかにヴィオレッタをからかっているようなものだった。
 ヴィオレッタは一瞬あっけにとられ、そして皮肉るように笑みを浮かべる。
 すると、レサトゥリアスはくすりと笑いうなずく。
 ヴィオレッタは何か言い返そうと口を開きかけるが、すぐに諦めたようにそのまま閉じる。
 そして、困ったように肩をすくめて見せた。
 レサトゥリアスはまっすぐヴィオレッタを見つめ、その目をとろりと甘く細める。
「ヴィオレッタ、少し早くなってしまったが、迎えにきたよ」
 ヴィオレッタは一瞬何のことかわからずきょとんと首をかしげたが、すぐにはっと気づき、その顔を瞬時に真っ赤に染めた。
 そして、レサトゥリアスの腕の中で、うろたえ身じろぎする。
 それを見て、レサトゥリアスは満足げに微笑む。
 それから、赤くそまったヴィオレッタの耳に唇を寄せささやいた。
「覚悟しろよ」
「……え?」
 またしても言葉の意味をすぐに理解することができず、ヴィオレッタは戸惑いがちにレサトゥリアスを見上げる。
 けれど、レサトゥリアスはそのまま、得意げに口元に笑みを刻み、その場に集う者たちへまっすぐ視線を注ぐ。
「皆に申し渡す。私、レサトゥリアス・オーレリアン・グランノーバは、ヴィオレッタ・アンジェル・ベルリオーズを妃に迎える。また、ヴィオレッタを正妃――唯一の妃とし、これ以後他に妃を娶ることはないものとする」
 きっぱり宣言されたそれは、誰をもその場に釘付けるように染み渡る。
 窓の向こうから、小鳥のさえずりと、風が木の葉を揺らす音だけが、耳に入ってくる。
 ぽかんと見上げるヴィオレッタに気づき、レサトゥリアスはとろけるように見つめる。
「言っただろう? 私は妻を複数持てるほど器用ではないと。たった一人でいいと。私の正妃(もの)になってくれるな?」
「レ、レスティ!?」
 あまやかに見つめるレサトゥリアスに、ヴィオレッタはその腕の中で、ただただうろたえることしかできない。
 今空を支配する太陽よりも体中が熱い。
 いつもの威勢のよい言葉がヴィオレッタからもたらされないことに気をよくしたように、またおかしそうに、レサトゥリアスはくすりと笑う。
 そして、ヴィオレッタの瞳をまっすぐにのぞきこみ、極上にあまくその言葉がもたらされる。
「グランノーバ王レサトゥリアスとしてではなく、一人の男レスティとしてヴィオレッタが欲しい。また、ヴィオレッタに愛されたい」
 レサトゥリアスの瞳から逃れることができず、ヴィオレッタはそれが必然のようにこくりとうなずいていた。
 同時に、レサトゥリアスが幸せに満ちとろけるような笑みを浮かべる。
「……逃がさないよ」
 そう悪魔のようにあまやかな笑みを浮かべささやくと、レサトゥリアスは見つめるヴィオレッタの唇にふわりと唇を寄せた。
 そこから、あまいしびれとともに幸せという名の蜜がとろりと体中に広がっていく。
 ヴィオレッタはレスティという名の決して逃れられぬ箱庭にとらわれる。
 それは、ヴィオレッタもまた望んだこと。
 四日前の夜、月明かり降り注ぐ庭で出会った時から、二人はきっと必然のように惹かれあっていた。
 ここは、現世に残された理想郷。二人が出会うために用意された月夜の庭園。
 後に、月の箱庭で出会った二人は幸せになり、また、グランノーバは恋人たちの理想郷と呼ばれるようになる。


月の箱庭 おわり

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update:11/05/10