至宝の花
(1)

 グランディア大陸のほぼ中央に位置するグランノーバ王国。
 レサトゥリアス・オーレリアン・グランノーバが治めるこの国は、国土は決して広くはない。
 けれど、まわりを平和でのどかな国にかこまれ、グランノーバも例にもれずおだやかな日々を送っている。
 国土の半分ほどが高地にあたり、夏になると各国から王侯貴族や金持ちたちが避暑にやってくる。
 環境、資源にも恵まれ、時に現世の理想郷と呼ばれることもある。
 その夢のような国の王宮の奥に、窓の向こうに北の森と呼ばれる深緑の森が広がる王の執務室がある。
 王宮でも北に位置しているためか、もう初夏も終わり盛夏にさしかかろうとしている今時分でも、他より幾分涼やかな風が開け放たれた窓から吹き込む。
 窓辺に立ち、さわさわ舞い込む風に見惚れるほどに美しく輝く青銀の髪を遊ばせ、レサトゥリアスは夢見るようにうっとり森を眺めている。
 深い緑の目をさらに緑色に染めているが、その焦点はたしかにあっていない。
 心ここにあらずといった様子で、ただぼんやりと空の果てへでも意識を馳せているよう。
 そう、この度、グランノーバ国王レサトゥリアスに、待望の妃が決まり、女嫌いで名を馳せた彼は、今やすっかりその愛しい女性に骨抜きにされている。
 目も当てられないほどののろけぶりに、怯える者の数、果たしてこの王宮にどれほどのぼることか……。
「まったく、人の休暇中に何をしくさりやがっているんですかね」
 常とは違い、他を威圧するような威厳をどこかに忘れてきたようなレサトゥリアスのいつもとは違う恐ろしさに動じることなく、どこかいらだたしげにそんな声がかかった。
 せっかく夢の世界に思考を旅立たせていたというのに、その怒気をはらむ聞きなれた声に一気に現実に引き戻され、レサトゥリアスは不機嫌を隠すことなくため息をもらす。
 そして、面倒くさそうにゆっくり振り返る。
「……お前は、ヴィオレッタのことは反対なのか?」
 執務机のすぐ前に立つ、どこか人を小馬鹿にしたような雰囲気を放つ青年――シリルを、レサトゥリアスはいぶかるようににらみつける。
 言葉は疑問形だけれど、その声音は否を唱えることを許さないと言っている。
 たとえすべての者に反対されようとも、それだけは譲ることはないと体中で主張している。
 シリルが休暇中にあった、ぼやくほどの王宮内での大きな変化といえばそれくらいしかない。
 女嫌いの国王が、ようやく妃を決めたことくらいだろう。
 たいていの者なら、レサトゥリアスのにらみひとつですくみあがる。
 けれど、このシリルは慣れているのか、それとも頓着しないのか、はたまた豪胆なのか、動じる様子なくさらっと言い放つ。
「それは別にどうでもいいですが」
「どうでもいいのか……」
 せっかくの威圧も意味なく終わり、レサトゥリアスはがっくり肩を落とす。
 シリルの言葉から、レサトゥリアスは先日手に入れた愛しい女性のことを反対されているのだと思ったのだろう。
 それがまあ、反対しないのはいいとして、どうでもいいと切り捨てられたのだから、すごみ甲斐もないというもの。
 シリルにとっては、気にかける必要すらないということだろう。それはそれで、なんだか切ないけれど。
 では、何がそんなに気に入らない、いらいらしているのかと、レサトゥリアスはもう一度うかがうようにシリルへ視線を流す。
 シリルはやはり、それすらも気にしたふうなく、むしろ他などどうでもいいというふうに、ぶつぶつひとりごちはじめた。
「問題は、あのたぬきおやじですよ。まったく、勝手をしやがってくれてっ。――まあ、それを理由に追いやってやりましたが」
 けがらわしげに吐き捨てると、シリルはゆっくり顔をあげ、レサトゥリアスににっこり笑ってみせる。
 どこまでも清々しく微笑んでいるはずなのに、何故かその背後には果てしなく黒いものが漂っているようにレサトゥリアスの目には映る。
 冷徹だの豪腕だのと評されるレサトゥリアスだけれど、その様子はさっぱり見るかげなく、何故かひどく疲れたようにとんと執務机に手をつく。
 その目は「そうだった、こいつはこういう奴だった」と語っている。
 そもそも、その言葉通り、シリルにとっては妃――ヴィオレッタのことなど、問題ではないのだろう。
 シリルが今いちばん神経をさかなでられているのは、まさしくそのたぬきおやじが起こした、この度の騒動なのだから。
 自分の縄張りを荒らされたことが、この上なく面白くないのだろう。
 他人に――しかも無能な者にちゃちゃを入れられることが、不愉快きわまりない。
「……なんだかお前の企み通りというような言い方だな」
「さあ、どうでしょう?」
 疲れた体に鞭打つようにのっそり上体を起こし、レサトゥリアスはシリルの背の向こうに見える扉へ歩いていく。
 シリルはすかさずレサトゥリアスの前にまわりこみ、さっと扉を開ける。
 レサトゥリアスは一度じろりとシリルをみやり、すぐに諦めたように吐息をもらした。
 そして、開けられた扉から緑まぶしい白亜の回廊へ足を踏み出す。
 同時に、草木の香りがレサトゥリアスを包み込む。
 どこからともなく聞こえてくる蝉の声を聞きながら、レサトゥリアスは回廊を歩いていく。
 その後を、くいっと首をかしげにっこり笑うシリルがついていく。
 まるで、すべてが思い通りにいき、シリルは実は不機嫌ではなくご機嫌なんですとでも言っているように見え、レサトゥリアスは今度は頭痛を覚えはじめた。
 レサトゥリアスは普段恐れられているが、シリルもまた違った意味で恐れられている。
 ある意味、ある点においては、間違いなく、レサトゥリアスより恐ろしいだろう。
 それは、レサトゥリアスでさえ、すくみ上がるほどに。いや、頬がひきつるほどに。
 本当に、あのたぬきおやじは余計なことをしてくれた。眠れる魔王をたたき起こしてくれたのだから。
 たぬきおやじは、敵にまわしてはいけない男を敵にまわしてしまった。
 自業自得というか、身から出たさびというか……。
 あの後のたぬきおやじ――ボーカンは見ものだった。
 思惑が見事裏目にでて、レサトゥリアスはヴィオレッタを選んだのだから。
 ボーカンは、顔色だけでなく、顔を構成するすべての部品すらもなくしてしまったようだった。
 それでやけを起こしたのか、レサトゥリアスに食ってかかろうとしたところに、まるで狙ったようにシリルが割って入った。
 そして、それまでのボーカンの悪事を、言い逃れなどできない証拠とともに明るみにした。
 折しも、その場には王妃候補の醜聞を聞きつけ、国の重鎮たちが集っていた。
 果たして、運が悪かったのか、それとも何者かにより周到に用意された場だったのか……。
 その結果、何が起こったかは想像に易いだろう。
 あえて誰も追及しようとはしなかったが、皆言葉にしないだけで気づいてはいるのだろう。
 その場でただ一人、満足げに微笑を浮かべる男を目にしてしまっていたから。
 その時のことを思い出し、ぽかぽか陽気が周囲をとりまいているはずなのに、レサトゥリアスは思わずぶるるっと身震いする。
 あの時の微笑を浮かべる男――シリルは、言葉にできないほどの恐ろしさがあった。
 やわらかな緑あふれる庭園を横に、レサトゥリアスとシリルは、白亜の回廊をゆったり歩いている。
 レサトゥリアスの一歩後を行くリシルは、ふと思い出したように口を開いた。
「まあ、そうですね、ベルリオーズ卿のご息女ならば問題ないでしょう。卿は質実剛健、清廉潔白、権力に無頓着なところはまあ、いいでしょう。何より、面倒くさくなくていいですね」
「結局そこなのか」
 レサトゥリアスはぴたりと歩みをとめ、げんなりとした様子で背後のシリルに振り返った。
 するとシリルはためらうことなく、「もちろん。そこがいちばん大切なのですよ」とにっこり微笑んでみせる。
「お前の反対がないのは何よりだが……なんだか馬鹿にされているような気がするのは、気のせいか?」
 ふうとため息をもらし踵を返すと、レサトゥリアスはまた歩き出す。
 その後を、やはり同じようにシリルもついていく。
「もちろん私は歓迎しているのですよ」
「どうだか」
「失礼な。――では、こう言いましょう。私はヴィオレッタ嬢を王妃として迎えることに賛成です」
「……お前が言うと、その反対に聞こえて仕方がない」
「まったく、レスティは素直じゃないですね」
 どこかすねたように言い捨て、レサトゥリアスはすたすた歩いていく。
 その後ろ姿を見つめ、シリルは微笑ましそうに目を細める。
 軽口をたたいているが、シリルが唇にのせた言葉は真実なのだろう。レサトゥリアスの信用はないようだけれど。


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update:11/07/10