至宝の花
(3)

 王宮には、月宴の間と呼ばれる応接間がある。
 同様に応接間である花舞の間とは違い小規模で、親しい者同士が少数で会う時によく利用されている。
 ここからは、向こうの方に西の庭園――月の箱庭が小さく見える。
 その中央に置かれた応接調度の長椅子に腰かけ、一人の少女が小さな箱庭をぼんやり眺めている。
 するとそこに、扉を四度ほどたたく音が響く。
 少女ははっとして窓の外から扉へ視線を移し、遠慮がちに応える。
「はい。……どうぞ」
 誰何せずとも、扉の向こうにいるのは誰か、少女にはわかっているらしい。
 澄んだかわいらしい声が、扉の向こう、白亜の回廊へもたらされる。
 それは、大人の色気を帯びながらも、まだあどけなさも残している。
 少女でも女性でもない、危なげな魅力を含んでいる。
 その声に惑わされたのか、はたまた邪な感情を思わず抱いてしまったのか、扉の向こうでは動揺したような気配がする。
 少女はなかなか開かない扉を不思議に思い首をかしげると、もう一度「どうぞ」と扉に声をかけた。
 すると、何やらごつんと壁に何かがぶつかったような音がしたかと思うと、ようやくゆっくり扉が開いた。
 扉を開けたのは、少女をここまで案内してきた近衛騎士だった。
 こげ茶の短髪に、いたずらっぽく動く緑の瞳が妙に印象的。
 そして、その近衛がただの近衛ではなくかなり地位が高いことを、その襟章から少女は目聡く判断していた。
 近衛騎士の姿が見えたかと思うと、それを乱暴に押しのけるようにして、まるで太陽のようにまぶしい光が少女の目に飛び込んできた。
 それは、白亜の回廊に差し込む陽光を受け、必要以上にまぶしさをもたらしているようにも見える。
 少女は思わず、すっと目を細める。
 けれど、その光を認めたと同時に、少女はさっと立ち上がり、嬉しそうに微笑んだ。
「レスティ!」
「待たせたな、ヴィオレッタ」
 少女――ヴィオレッタは、近衛騎士を乱暴に押しのけ入ってきたレサトゥリアスが歩み寄るのを、もどかしそうにその場で待っている。
 本当なら、すぐにもその胸の中に飛び込みたいとうずうずしているのがレサトゥリアスの目にもよくわかり、愛しさが募る。
 けれど、レサトゥリアスはすぐにヴィオレッタには駆け寄らず、まるでそれを楽しむように、じらすようにゆっくり歩み寄る。
 そして、レサトゥリアスがようやくヴィオレッタのもとまでやってくると、ヴィオレッタはすっと一歩引いた。
 思いがけないその行動に、レサトゥリアスは少し眉根を寄せる。
 けれど、ヴィオレッタには気にした様子なく、優雅に礼をとりレサトゥリアスを迎える。
 はにかむように微笑む。
 瞬間、レサトゥリアスは弾かれたようにヴィオレッタを抱き寄せ、そのまま抱きしめた。
「レ、レスティ!?」
 いきなりレサトゥリアスの胸におさめられ、ヴィオレッタは顔を真っ赤にそめ、あたふた慌てだす。
 たとえば、この場にヴィオレッタとレサトゥリアス二人だけだとしよう。
 それならば、百歩くらい譲ってレサトゥリアスのこの行動も許容できるだろう。
 けれど、ヴィオレッタは知っている。この場に、少なくともあと一人はいることを。ヴィオレッタをこの応接間へ案内してきた近衛騎士がいることを。
 さすがに、人の目があるところで、無遠慮にレサトゥリアスに愛情表現をされる――愛情をたれ流されるのはたまらない。
 何故か、レサトゥリアスの額がほんのり赤くなっている気がするのは、触れてはいけないだろう。
 ヴィオレッタの声ひとつで動揺し、壁に額を打ち付けたとか、そのようなことはきっとない。
 胸の中でわたわた慌てだしたヴィオレッタにかまうことなく、レサトゥリアスはごろごろ頬をすり寄せる。
 するとそこへ、ヴィオレッタへの救いの手がもたらされた。
「はいはい、盛るのは後にしてください」
 かと思いきや、しかし、その救いの手は、さらにヴィオレッタをいたたまれなくさせる。
 恥ずかしくて、恥ずかしすぎで、穴があったら入りたい。
 救いの手だったはずのそれは、近衛騎士だけでなく、もう一人いたことをヴィオレッタに知らしめることになったのだから。
 もう一人の人物――シリルは呆れたように、レサトゥリアスに視線を注いでいる。
「シリル!」
 暴言に瞬時に反応し、レサトゥリアスはぎゅうとヴィオレッタを抱きしめたまま、後からのんびりやって来たシリルに怒鳴る。
 その後ろには、やれやれと肩をすくめる近衛騎士――ジルベール。
 ただ、どんな時でもヴィオレッタをその腕の中から逃さないところだけは、レサトゥリアスも立派と言えよう。
 これが気心の知れた腹心の部下二人の他に目があれば、別だったのかもしれないけれど。
 しかし、レサトゥリアスに抱きすくめられる場面を目撃され、尋常でいられないのはヴィオレッタ。
 二人の姿を認めると、慌ててレサトゥリアスの胸をおしやり、その腕の中からもがき出る。
 レサトゥリアスもヴィオレッタを無理にそこにとどめるつもりは今はないようで、素直にその腕から解放した。
 けれど、胸から抜け出しほうと小さく吐息をもらすヴィオレッタの腰を抱き寄せることだけは譲らない。
 ヴィオレッタもそれは諦めているのか、恥ずかしそうに眉尻を下げつつ、目の前までやって来ていたシリルとジルベールに向き合う。
 ヴィオレッタが口を開こうとするとそれを制するように、一息早くシリルが一歩踏み出し、右手で胸を押さえ一礼する。
「あらためまして、ヴィオレッタ様。私はグランノーバの宰相を務めております、シリル・アルバン・フェレールと申します。以後、お見知りおきください」
 シリルは頭を上げると、目をぱちくりしばたたかせるヴィオレッタににっこり微笑みかけた。
「そして、私がジルベール・リュカ・ラングレー。陛下の護衛兼王佐の任についております」
 シリルの横へ一歩踏み出し、ジルベールもまた騎士の礼をとる。
 それから、にやっと口のはしをあげたかと思うと、ヴィオレッタの右手をさっととり、そこにかるく唇を落とした。
 瞬間、ばちんと軽快な音を響かせ、その手が叩き払われた。
 ヴィオレッタはぎょっとして、思わず腰を抱くレサトゥリアスを凝視する。
「ヴィオレッタに触れるな。穢れる」
 あたかも汚らわしいものでも見るかのように顔をゆがめ、レサトゥリアスはジルベールを見やる。
 ジルベールもレサトゥリアスのそのような視線はなれたもののようで、かるく肩をすくめてみせた。
「やれやれ、レスティは思いのほかやきもちやきだねえ」
「黙れジル。――死にたいか?」
「まったくもう、レスティはすぐにそうして怒る」
 にたにたと嫌な笑みを浮かべるジルベールの背を蹴飛ばし、シリルがヴィオレッタに先を促すようににっこり微笑む。
 足元でぎゃんぎゃんわめくジルベールの存在をさらっと無視している。
 多少ジルベールが気になるものの、ここはシリルの配慮に甘えておこうと、わずかに引きつった微笑を浮かべながら、相変わらずレサトゥリアスに腰を抱かれたまま、ヴィオレッタは淑女の礼をとった。
「シリル様、ジルベール様、ヴィオレッタ・アンジェル・ベルリオーズと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
 明らかに国を担う三人のそうとは思えない低次元の振る舞いに、この国の将来を憂うところだろうけれど、あえて何事もなかったようにヴィオレッタはさらりと流す。
 そのある意味理想的な判断、振る舞いに、シリルは感心したように目を細めた。
 シリルの予想を超えて、ヴィオレッタはレサトゥリアスの王妃としてふさわしい。資質がある。
 何事にも動じない。王に流されない。時にはいさめることができる。それが、すべての権限を与えられた王の伴侶に求められるもの。
 ヴィオレッタはこのふざけた状況の中、それをさらっと示してみせた。
 ここでシリルとジルベールの行動を見下げるような素振りを見せれば、あるいは、シリルはヴィオレッタの王妃位反対にまわっていたかもしれない。
 愚かな女性は、レサトゥリアスの妃として必要ない。


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update:11/07/26