至宝の花
(10)

 気を取り直すように、シリルがこほんとひとつ咳払いをする。
「ヴィオレッタ様、あまりレスティを甘やかさないでくださいね。調子にのりますから」
「今でも十分調子にのっているから、これ以上のられると、さすがに手に負えない」
「は、はあ……」
 シリルにつづきずいっと身を乗り出し真顔で告げるジルベールに、ヴィオレッタはひきつり、気のない返事をすることしかできなかった。
 レサトゥリアスの腕の中というなんとも説得力のない体勢では、それだけでも十分だろう。
「さて、ではレスティも十分堪能したことでしょうし、そろそろ仕事に戻りますよ。ヴィオレッタ様は夕食までお預けの約束だったでしょう」
「却下」
 シリルはレサトゥリアスの肩にぽんと手を置き、さらにぎゅっと握り締める。
 有無を言わせぬシリルのにっこり笑顔にひるむことなく、レサトゥリアスは即座にそう言い切った。
 けれど、その程度で怖気づくシリルでもない。
 にっこり笑顔にすぐさま禍々しいものを上乗せして、たたみかける。
「却下は却下。途中で放り投げてきたのですから、本日の最低量くらいは仕上げてください」
「今日くらいはいいだろう。久しぶりにヴィオレッタと会えたのだから」
 ぷうと頬をふくらませ、レサトゥリアスはすねたように言い捨てる。
 ぎゅうとヴィオレッタを抱きしめ、恨みがましくシリルをにらみつける。
 レサトゥリアスの肩を握るシリルの手が、じわじわそこに食い込んでいく。
「駄目です。もう十分時間を差し上げましたでしょう。わがままは許しません」
「まだ足りない」
「陛下!」
 シリルの手を叩き払うレサトゥリアスに、シリルがとうとうしびれを切らしたように怒鳴った。
 けれど、レサトゥリアスはぷいっとそっぽを向き、あくまで拒否を示す。
 その様子をレサトゥリアスの腕の中で見ていたヴィオレッタが、呆れ諦めたように吐息をもらした。
 そして、ぺちんと軽い音を鳴らし、レサトゥリアスの頬を触れるように打つ。
「……レスティ、お仕事をしてきなさい」
「ヴィ、ヴィオレッタ!?」
 意外なところからの追撃に、レサトゥリアスは驚愕の表情を浮かべる。
 信じられない、ヴィオレッタはレサトゥリアスとともにいたくはないのかと、傷ついたように眉尻を下げる。
 その姿がまるで捨てられた子犬のようだったけれど、それくらいでひるむヴィオレッタではなかった。
 むしろ、レサトゥリアスの本性を知っているがために、それを鵜呑みにはしない。
「夕食は一緒にとれるのでしょう? ……待っているから」
 なだめるようにヴィオレッタが言えば、レサトゥリアスはきゅっと唇をかむ。
 そして、投げやり気味に吐き捨てる。
「ヴィオレッタ……。くそっ、わかったよ」
 悔しげに渋々ヴィオレッタを解放し、レサトゥリアスはすっと立ち上がった。
 そして、射殺さんばかりに、目の前で満足そうに微笑むシリルをにらみつける。
「さすがヴィオレッタ様、助かりました。これからもこの調子でお願いします」
 レサトゥリアスのにらみをさらっと無視して、シリルはヴィオレッタに頭を下げる。
 ヴィオレッタは複雑そうに愛想笑いをして、小さくうなずくしかできなかった。
 たしかに、レサトゥリアスが執務へ戻るのはヴィオレッタの功績。けれど、そもそもレサトゥリアスをそういう行動に走らせたのもまた、ヴィオレッタの存在のため。誰の目にもそれは明らか。
 ヴィオレッタが頼んだわけではないけれど、さすがに良心がちくちく痛む。
 レサトゥリアスがこういう行動を繰り返していると、そのうちヴィオレッタは、とんでもない妃を迎えた、妃が王を堕落させた、などと言われることになるかもしれない。
 まあ、だからといって、それを気にするようなヴィオレッタでもないけれど。
 貴族たちの噂など、言葉など、気にしてはやっていけないことはわかっている。
 もしかすると、ほどほどのところをみつけて、ヴィオレッタがレサトゥリアスを操作していかなければならないかもしれない。
 なんだか先が思いやられ、ヴィオレッタは一人小さくため息をつく。
 遠慮なく愛情表現をされるのはもちろん嬉しいが、それも度を越えると多少面倒とも思えてしまうとは、なんと人の気持ちとは矛盾したものなのだろうか。贅沢なのだろうか。
 ちらりとレサトゥリアスを見て、ヴィオレッタは再びため息をこぼす。
 そうして、ひとまずの決着がつき、シリルは逃がしてなるものかとレサトゥリアスの首に縄をかけ、そのまま乱暴に引きずっていく。
 それをやはり、ジルベールとともにヴィオレッタは見送る。
 先ほどのこともあり、ジルベールはこのままこの場にとどまり、ヴィオレッタの護衛を続けるのだろう。
 何からヴィオレッタの身を守るかは、言わずと知れたこと。
 またレサトゥリアスにさらわれてはたまらない。
 シリルが扉に手をかけたところで、レサトゥリアスがシリルを振り払い、思い出したように振り返った。
「私の部屋の近くにヴィオレッタの部屋を用意させた。滞在中はそこに泊まるといい。本当は王妃の間でもいいのだが、堅物のじじいどもがうるさいからな」
 レサトゥリアスが得意げににっと微笑む。
 瞬間、ヴィオレッタは頭も体もすべての機能を停止させ、ぽかんとレサトゥリアスを見つめる。
 けれど次には、かっと頬を紅潮させ、叫んでいた。
「な……っ!? レスティの変態!!」
 ヴィオレッタの怒声を背に受けながら、レサトゥリアスはからからと楽しそうに笑い部屋を出て行った。
 王妃の間は王の部屋の隣にあり、内扉で王の部屋とつながっている。
 それは、ある程度の年齢に達した者なら、誰でも知っていること。
 そして、ヴィオレッタほどの年齢になれば、それが何を意味しているかも、当然知っている。
 ヴィオレッタは両手で両頬を包み込み、真っ赤に染まる顔をいやいやと激しく横に振る。
 その目には今にもあふれ出しそうなほど、涙がたまっていた。
 そんなヴィオレッタを、この時ばかりは、ジルベールが気の毒そうに眉尻をさげ見つめている。
 果たして、窓の向こうに広がる空と今のヴィオレッタの顔、どちらが鮮やかな赤を放っているだろうか。
 ……口にするだけ、愚問。


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update:11/10/05