至宝の花
(19)

 しばらくレサトゥリアスとジェラールがにらみ合っていると、呆れたような重い吐息がその一触即発のにらみ合いの中へ投じられた。
 面倒くさそうに、シリルがジェラールの肩にぽんと手を置き、その向こうでヴィオレッタを抱き込むレサトゥリアスに視線を流す。
「ある程度節度をもっていただかないと、婚礼衣装の意匠(デザイン)の選択幅を狭めてしまうことになりますよ。――まあ、私はそれでもかまいませんが」
 ため息まじりにシリルが告げると、レサトゥリアスの体が大きくゆれた。
 ひどく重苦しそうに、かすれた声で搾り出すようにつぶやく。
「それは由々しき問題だな」
 レサトゥリアスは苦しげに顔をゆがめ、眉根を寄せる。
 その腕の中でヴィオレッタはどう反応すればいいのかわからず、微妙な表情を浮かべていた。
 シリルが何を言わんとしているか理解できてしまったために、ヴィオレッタの意識が遠いお空の彼方へ飛んでいきそうなところをどうにか引きとめている。
 もう羞恥に身をもだえ顔を染めることを通りこし、この状況すべてから逃避することを選んだのだろう。
 それくらいに、ヴィオレッタは今この状況がいたたまれなくて仕方がない。
 レサトゥリアスの苦々しげなつぶやきに、シリルはさらりと言い放つ。
 ジェラールの肩に置く手をぐいっと引き押しのけて、レサトゥリアスにどこか冷めた目を向ける。
「では、少しは自重してください」
「無理」
「陛下!」
 すぐさまきっぱり告げるレサトゥリアスに、シリルに押しのけられたジェラールが悲鳴に似た叫び声をあげる。
 そして、再びレサトゥリアスにつかみかかろうとしたところを、シリルにあっさり突き飛ばされ、寝台の下にごろんところがった。
 それをちらと見て、レサトゥリアスは鼻で笑うように、けれどひどく真剣に言い切る。
「好きな女を前にして、我慢できる男がどこの世にいる?」
 ヴィオレッタはとうとう、意識を遠いお空の彼方へ飛ばした。
 ここで気を失うなり何なりして、今すぐこの場から逃げ出したくて仕方がない。
 それくらいに、ヴィオレッタにとってはレサトゥリアスの言葉は刺激が強すぎた。
 たとえ同じ寝台で一夜を明かした事実があるにしても、それとこれとは話がまた別。
 何しろ、文字通りひとつ寝台で眠っただけであり、それ以外の事実はないのだから。……まだ。
 そう、昨夜の眠りは、やけに幸せな眠りだったという事実をのぞいては。
「陛下!!」
 寝台下にころがる体をばっと起き上がらせ、ジェラールが再び非難するように叫んだ。
「……のろけはけっこうですよ」
 腰の剣を抜き取り、そのまま目の前の妹をたぶらかすにっくき男へつきつけようとするジェラールを、シリルは今度はとめようとはしなかった。
 ただこめかみをおさえ、うっすらと閉じたあきれ返った視線だけをレサトゥリアスに向ける。
 そして、すぐにさっとそらした。
 馬鹿馬鹿しくて、もう相手にしていられないと。勝手にしていろと。
 レサトゥリアスも、ジェラールも。
 ヴィオレッタもレサトゥリアスの腕の中、助けを求めることすらすでに諦め、ただ呆然としていた。
 窓の外からは、ちちちと小鳥の楽しげなさえずりが、むなしく聞こえてくる。
 嗚呼、今度は、一体どんな不名誉な噂が王宮をかけめぐるのだろうか。
 そう思うと、ヴィオレッタはもう正気を失いたくなった。


 いつもは厳しいながらもさわやかな雰囲気に包まれたその執務室が、何故か今朝は足を踏み入れた者すべてを凍死させそうなほど冷たく、かつ圧死させそうなほど重苦しい空気で充満している。
 書類を持ってきた書記官などは、見えぬ、いや目に見えておどろおどろしいその部屋の扉に触れることさえできず、扉の前でただ必死に震える体を崩れさせないことでやっとだった。
 このまま職務を放棄して逃げ出そうかどうか命がけで悩んでいると、ちょうどそこに救いの神が現れた。
 普段は地獄の支配者の如きその青年が、何故かその瞬間だけは救世主に見えた。
 これは後に、青年――ジルベールが書記官から、何度も頭を下げられながら聞いたこと。
「聞いたよ、レスティ。今朝は楽しいことがあったんだってな」
 こんこんと軽く二度ほど扉を叩き、返事も待たずに扉を開けると、ジルベールはそう言いながらレサトゥリアスの執務室に足を踏み入れた。
 すると、先ほど扉前で若い書記官が殺してくれと言わんばかりの形相でつっ立っていた理由を、容易に解することができた。
 いや、足を踏み入れずとも、若い書記官に出くわさずとも、ジルベールはすでにわかっていた。執務室がこのような状況であることを。
 だから、扉を開くと同時に、にたにたと笑みを浮かべ、正面の執務机に座るレサトゥリアスにそう声をかけた。
 手には、先ほど扉前で書記官に押しつけられた書類の束を持っている。
 レサトゥリアスは手もとの書類からちらと視線を上げると、颯爽と歩み寄るジルベールをいまいましげににらみつける。
「何が楽しいものか。シリルもジェラールもそろって、私の至福の時をぶっつぶしてくれたのだからな」
 吐き捨てるレサトゥリアスの目の前に、ばさばさばさーとジルベールの手から書類の束が落とされる。
 レサトゥリアスはそれを一瞥し、机下にはらい落とそうと手をあげる。
「まあ、そうは言っても、さすがにまずいでしょ。婚姻前の若い娘を自室に引っ張り込むだけでもあれなのに、一晩ひとつ寝台で過ごすなんて」
 しかし、それはがしっとジルベールに腕をつかまれかなわなかった。
 レサトゥリアスは憎らしげにジルベールをにらみつけると、そのまま乱暴につかむ手を振り払った。
「私はこれでも十分我慢しているんだ。というか、あいつら、少しは遠慮をしろ。勝手に人の部屋に入ってきやがって。あいつらさえ来なければ、今頃ヴィオレッタは……」
 仕方なく書類はそのままに、一枚ぴらりとつまみあげる。
 レサトゥリアスはそれをやる気なくひらひら振りながら、やはり面倒くさそうに、ぱらりと横によけるように置く。
 執務にとりかかろうという気が、今日のレサトゥリアスからはまったく感じられない。
 その姿をまじまじと見て、ジルベールはしみじみつぶやく。
「本当、壊れたねえ、レスティ。まさかここまで色ぼけになるとは」
「さっさと世継ぎを作れと急かしたのはお前たちだろう」
「正しくは、大臣たち、だよ、レスティ。少なくとも、俺とシリルは尻をたたいていない」
 苦々しげに吐き出すレサトゥリアスの肩をぽんとたたいて、ジルベールはにっこり笑う。
 レサトゥリアスはぐっと言葉につまり、悔しげに舌打ちする。
 結局、今朝、シリルとジェラールの乱入後、ヴィオレッタとの至福の時はあっけなく終了を迎えた。
 ヴィオレッタはそのままジェラールに連れられ客室へ戻っていき、レサトゥリアスはシリルに連行され執務室へやって来た。
 もちろん、着替えと仕度の時間だけは、最低限もうけられたけれど。
 ただ朝食は、ヴィオレッタとともにとろうと思っていたのに、強制的に、執務室でシリルが胡散臭いほどさわやかな笑顔で見張る中、レサトゥリアス一人でとることになってしまった。
 寝台でのひと時をぶっつぶしたのだから、せめて朝食くらいはヴィオレッタとともにとらせてくれてもいいものを、それはまわりのお邪魔虫たちが許してくれない。
 恐らく、レサトゥリアスがまずい朝食をとっていた頃、ヴィオレッタもジェラールから小言を言われながら朝食をとっていただろう。
 あの調子だと、絶対にジェラールはねちねちねちねちヴィオレッタに説教をしているはず。
 いくら婚約者といっても簡単に男の私室へ行くなとか、不用意にレサトゥリアスに近づくなとか、そもそもレサトゥリアスとの婚約など解消してしまえとか、あさっての方向へ説教はすすみ、婚約を白紙へ戻すよう誘導していただろう。
 しかし、そのようなくだらないことに、レサトゥリアスのヴィオレッタがひっかかるはずはないけれど。
 わかっているけれど、とにかく、ヴィオレッタと二人きりの時間を邪魔されたことが、レサトゥリアスはこの上なくおもしろくない。
「はいはい、いい加減機嫌を直す。園遊会は二週間後だろう? さっさと詰めてしまわないと間に合わないぞ」
 レサトゥリアスの額をつんと人差し指でおし、ジルベールはなだめるように微笑を浮かべる。
 ちらりとジルベールをみやり、レサトゥリアスは諦めたように大きくため息をもらした。
 そして、不承不承ながらも書類に手をのばしていく。
 それは、二週間後に迫る園遊会に絡む、極秘書類だった。


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update:12/01/06