至宝の花
(23)

 この場に集う誰もの視線を集め、その成り行きを見守っていることを重々承知しつつ、レサトゥリアスは素知らぬふりをして、ふと腕の中のヴィオレッタに視線を落とす。
 レサトゥリアスの腕の中の愛しい存在は、それまでの分が悪い状態から一転、優位に立ったようにすら見えるその状況に戸惑っている。
 ヴィオレッタに気づかれないように、レサトゥリアスはほくそ笑む。
 十分に注目を集めていることを理解して、かつ、それを待っていたかのように、レサトゥリアスはうっとりとヴィオレッタを見つめる。
 そして、その小さく形のよいあごをくいと上げさせ、戸惑いを隠さないかわいらしいまぶた、そして薄紅色の頬に順に唇を触れていく。
 ヴィオレッタはぎょっと目を見開き、レサトゥリアスを見つめる。
 抱きしめるヴィオレッタの体が、一気に熱を増した。
 レサトゥリアスは、この場には二人だけ、他のものなど目に入らないとばかりに、痛いほどヴィオレッタを見つめ、しかしこの場に集う全ての者に聞こえるようにきっぱり言い切る。
「ヴィオレッタ、下衆の言葉などそのかわいらしい耳に入れるのじゃないよ。穢れるから」
 そして、レサトゥリアスがかわいらしいというヴィオレッタの耳にも唇を寄せた。
 どこかしめっぽく、そしてついばむように触れるものだから、ヴィオレッタは大きく体を跳ねさせた。
 それから、潤む瞳と燃え上がるように赤くそまった顔で、非難がましくレサトゥリアスをにらみつける。
 けれど、そのようなものがレサトゥリアスに通用するはずもない。
 ヴィオレッタをこの目もあてられないほど気の毒な状態に追い込んだ張本人自ら、棚上げするが如く労わるように、再び、額、まぶた、頬の順に口づけを落とし、最後にはそのぷっくりとした愛らしい唇をおいしそうにぱくりと食べた。
「レ、レスティ!?」
「……ん?」
 そこまでされれば、ヴィオレッタもさすがに声に出して非難せずにはいられない。
 しかし、どうにか腕の中から抜け出そうともがくヴィオレッタにかまわず、レサトゥリアスはなおも執拗にヴィオレッタを抱きしめ、唇を寄せたまま、甘いうっとりとした笑みをもったいぶることなく落とす。
 とろけるように、鼻にかかった声をもらす。
 その姿は、誰がどう見ても、その麗しの姫君ヴィオレッタに、冷徹とうたわれる国王陛下がおぼれきっているとしか見えない。
 ヴィオレッタのためなら、国をも滅ぼしかねない、悪魔に魂を売り渡しかねない、そのような恐ろしさがそこには見え隠れする。
 ――狂っている。
 もしかしたら、今のレサトゥリアスはそう見えたかもしれない。
 狂犬を飼う狂王。
 誰の目にも、レサトゥリアスからヴィオレッタを奪ってはならない、ヴィオレッタがレサトゥリアスの良心、そう映っているかもしれない。
「あ、あの陛下が……!?」
 誰かがそうつぶやくと同時に、あちらこちらから驚愕の声があがる。
 皆、その光景をまだ現実のものと受けとめられずにいるのかもしれない。
 そして、次には、無慈悲な国王、その狂犬の本領が発揮されることになる。
 レサトゥリアスは抱きしめるヴィオレッタの頬に自らのそれを、気持ちよさそうにすりすりと摺り寄せる。
 けれど、その唇からもれる言葉はどこまでも冷たく表情がなかった。
「ジル、それ邪魔。処分しろ」
 ちらりとジルベールに視線を向けたかと思うと、レサトゥリアスは手を一度払って指示を出す。
「御意」
 ジルベールも何のためらいもなく無感情に、ただ深くうなずくだけだった。
 レサトゥリアスがさすそれ≠あえて確認するまでもない。
 がくがく震えすっかり生気を失った男が、ジルベールの腕の中にはある。
 つまりは、この害虫を処分して来いということだろう。
 ジルベールは騒ぎを聞きつけやって来た衛兵に指示を出し、つかみ上げる男を放り投げた。
 衛兵たちは慌てて放られた男をとらえ、拘束する。
 すっかり魂を抜き取られたようになっている男を、そのまま連行していく。
 冷酷な国王の不興を買い、さらには愚弄したのだから、不敬罪で投獄しようとも誰からも反論はないだろう。
 いや、この状況で否を唱えようものなら、逆に己も捕らわれる。そのような危険を冒してまで、誰もあの男を助けようとはしないだろう。
 少し知恵がある者ならば決して犯しはしない愚行を犯した者に、誰が手を貸すだろうか。
 それを見送ると、すぐ側で静かに見守り控えていたシリルが、ぽんとひとつ手を打った。
 誰もがそれにびくりと体を震わせ反応し、シリルを注視する。
「……さて、ではちょうどいいですし、わからずやどもにたっぷり教えてあげましょうか。――今後、下手な気を起こす輩が現れないように、しっかりと」
 注目を浴びていることを確認し、シリルはにっこりと不気味に笑む。
 まるで地獄の支配者のように、その微笑はひどく冷たく鋭かった。
 その場の空気がぴんと張り詰める。
 そして、皆、先ほどシリルが微笑みかけたその先へ、ゆっくり視線を移していく。
 するとそこには、色を失った顔で呆然と立ち尽くす幾人かの男がいる。
 彼らはどちらかというと、反国王派、または貴族ということを鼻にかけ好き放題に振る舞い、贅沢三昧を楽しむ者たちだった。
 常によからぬ噂がつきまとってもいる。
「愚かな考えに染まったやはり愚かな貴族は、レサトゥリアス王の御世には必要ありません」
 シリルはきっぱり言い放つと、ふふっと楽しげに笑う。
 息をのむ気配だけが、静まり返ったその場にやけに大きく響く。
 にいと不気味に口元をあげたかと思うと、シリルは胸の内から幾枚かつづられた書類を取り出してきた。
 そして、それに視線を落とし、ゆっくりと口を開いていく。
 それは、事細かに調べ上げた、不正の証拠、または謀反の証拠だった。
 言い逃れなど出来ないほどに理論だったそれに、誰も口を挟むことができない。
 冷酷にかつ楽しげに罪状を読み上げていくシリルに、誰も逆らうなどできるはずがない。
 下手をすると国王よりもさらに無慈悲で恐ろしい、宰相閣下相手なのだから。
 三分の一ほど読み上げたところで、静まり返り誰も何の反応も示そうとしないことを不思議に思ったのか、シリルはふと顔をあげた。
 それから、縮み上がる不正に手を出した貴族たちへ向かって、にっこり笑ってくいっと首をかしげた。
「まだ必要ですか?」
 もはや、誰も何の反応も示すことなどできなかった。
 それを否ととり、シリルは満足げに書類の束を胸元に戻していく。
 そして、己の職務を忘れ、ともにシリルに畏怖していた衛兵たちに声をかける。
 衛兵たちははっとしたように意識を遠いお空の彼方から引き戻し、慌ててぴしっと姿勢を正す。
 シリルは苦笑まじりに指示を出し、真っ白く燃え尽きた不正をはたらいた者、またはレサトゥリアスやヴィオレッタに批判的で謀反を企む者を捕え、連行させる。
 その様子を、シリルは一人、満足げに見送る。
 先ほどまで怒りに燃えていたレサトゥリアスですら、シリルのその手腕に微苦笑を浮かべている。
 その目はどこか「シリル、お前ちょっとやりすぎ」と言っているようにも見える。
 ヴィオレッタがぽかんと口をあけ、こてんとレサトゥリアスの胸に寄りかかっている。
 誰もが少なからず怯えるその状況で、恐れた様子はさっぱりない。ただ、呆れているだけ。
 衛兵に連行されていく者たちの姿がすっかり見えなくなると、シリルはレサトゥリアスとヴィオレッタにくるんと振り返った。
「数が減り、ずいぶんすっきりしましたね」
 そして、満足げにひとつ大きくうなずいた。
 レサトゥリアスがどこか呆れたように、ちょいちょいと指を動かしシリルの背後を示す。
 シリルは「はて?」と首をかしげると、レサトゥリアスに示されるまま振り向く。
 するとそこには、一様に微動だにせず固まっている貴族たちの姿が目に入った。
 何かに気づいたように、シリルはぽんとひとつ手をうつ。
「おや、水をさしてしまったようですね。――みなさん、どうぞ続きをお楽しみください」
 シリルがにっこり笑いそう告げると、皆慌てて、何事もなかったように園遊会の続きへ戻っていく。けれど、動きはどこかぎこちない。
 あの魔王と狂犬、そしてそれらを従える国王に逆らってはいけないと。
 そして、そんな国王すら手のひらの上で転がしそうな無垢な令嬢を、誰もが恐ろしく感じているだろう。
 その様子を、レサトゥリアスは得意げに、シリルは満足げに、ジルベールは楽しげに眺める。
 わかっていたことだけれど、この国の大半の貴族は滑稽な者ばかり。
 まあ、その方が御しやすくていいだろう。面倒臭い輩は、先ほどほぼ片づけ終わったことだから。
 これは、この園遊会開催を決めた時から、レサトゥリアス、シリル、ジルベールが綿密に練っていた、王国の癌一掃作戦だった。
 ついでに、ヴィオレッタを悪く言う貴族も片づけてしまおうという思惑もなかったとは言えない。すべては、ヴィオレッタのため。
 いや、むしろ、レサトゥリアスの場合は、それが主要だったかもしれない。
 三人の予想以上に、この茶番劇は貴族たちの牽制に効果的だったらしい。
 もはや、三人に逆らおうという気概が誰にもうかがえない。
 すべては、三人の思惑通り。


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update:12/02/14