至宝の花
(25)

「……殺してやる」
 ぼそりと、毒を吐くようにつぶやいた。
 かと思うと、ベアトリスはぎりっと唇をかみしめた。
 そのてらてらと下品に赤く塗られた唇に、さらに真っ赤な血がにじむ。
 すっと胸元に手をやったかと思うと、そこから銀色に鈍く光を放つ短剣を取り出してきた。
 それを両手でぎゅっとにぎり、レサトゥリアスをにらみつけたかと思うと、すっと視線をそらし、その傍らに寄り添うヴィオレッタをいまいましげにその目にとらえた。
「殺してやる! 愚かな王も、そしてその女狐も……!」
 ベアトリスはそう叫ぶと、そのままだっと駆け出した。
 同時に、護るように前に立つアルフォンスを突き飛ばし、ヴィオレッタも駆け出していた。
「ヴィ、ヴィオレッタ……!?」
 突然の予想もしていなかった事態に、レサトゥリアスはぎょっと目を見開く。
 かと思うと、レサトゥリアスの前で、ヴィオレッタはふわりと舞うように宙に浮いていた。
 その手には、長剣が握られている。
「え? あ、ええ!? 私の剣が……!」
 それを目にして、突き飛ばされ体勢を立て直したばかりのアルフォンスが、驚愕の声を上げた。
 先ほど突き飛ばすと同時に、ヴィオレッタはその手から剣を奪い取っていたのだろう。
 そのまま驚きの視線を背に受け、ヴィオレッタはベアトリスの前に舞い降りた。
 とんと、軽やかな足音が小さくその場に広がる。
 すっと剣を突き出し、ヴィオレッタは静かに見下ろしている。
 ヴィオレッタの視線の先には、跪き、いまいましげににらみあげるベアトリスの姿があった。
 右手首をおさえる左手の下からは、つうと赤い血が流れている。
 二人から離れた場所で、カミーユが腰を折り、陽光を受けきらんと輝く短剣を拾い上げた。
 それを目にして、誰もが一瞬のうちに起こったこの状況を理解した。
「馬鹿にしないでちょうだい。これでも、ベルリオーズの娘よ」
 見下ろすベアトリスに向かって、ヴィオレッタは冷たく言い放つ。
 武勇で名を馳せるベルリオーズ家。
 その娘もまた、あまり知られてはいないが、下手な騎士では歯が立たぬ程度に剣をよくする。
 剣を持つその姿は、まるで舞を舞うかのように優雅で艶かしく、美しい。
 その言葉通り、この程度の剣技ならば、ヴィオレッタにとってはたわいない。
 飛びかかるベアトリスに対峙するため、ヴィオレッタは飛び出していた。
 レサトゥリアスを殺す、その言葉に、ヴィオレッタは思わず体が動いていた。
 レサトゥリアスを愚弄する言葉を吐き出したこともそうだったけれど、何より、レサトゥリアスの命を狙う、そのことに我慢ならなかったのだろう。
 それは、ほぼ条件反射のようなものだった。
 ベアトリスは右手首を握る手にぎゅっと力をこめ、ぎりりと奥歯を砕かんばかりに噛み締める。
 そして、何やら呪詛を吐き出そうとその口を開こうとする。
 それを遮るように、ヴィオレッタが唇を震わせた。
「ねえ、ベアトリス。あなたは、国王という地位を持つ男性が欲しいの? それとも、この方自身が欲しいの? どちら?」
 いつの間にかやって来て、肩を抱き寄せるレサトゥリアスにそっと身を預け、ヴィオレッタはベアトリスを見下ろす。
 レサトゥリアスはただ静かに、ヴィオレッタを抱き寄せている。
 まがりなりにも国王を犯罪者のそばに黙っておいておくわけにもいかず、ジルベールやベルリオーズもすっとその横に控える。
 レサトゥリアス、ヴィオレッタ、そして名のある騎士に囲まれ、ベアトリスは舌打ちをする。
 けれどすぐに、馬鹿にするように鼻で笑う。
「そのようなこと、決まっているじゃない。国王でもない男など、何の価値もないわ」
 ベアトリスを見下ろすヴィオレッタの目が、すうと細まる。ふうと、ひとつため息をもらす。
「……そう。ならば、遠慮はいらないわね。この方自身を必要としないのであれば、あなたはわたしと戦う権利すらないわ。――ただ、排除するのみ」
 ヴィオレッタは冷たく言い放つと、すっとベアトリスから視線をそらした。
 そして、抱き寄せるレサトゥリアスに、自らの身を摺り寄せるように預ける。
「わたしは、この方自身が欲しいの。王位なんて面倒なもの、むしろ邪魔なだけだわ」
 凍えるような冷たい光に満ちたその目を細め、ヴィオレッタはうっとりするほど艶かしく微笑んだ。
 そして、くるりと身を翻し、にらみあげるベアトリスに背を向ける。
 レサトゥリアスもまたヴィオレッタに倣うようにベアトリスに背を向け、ヴィオレッタを護るようにして歩き出す。
 その後ろ姿を、ベアトリスはただ呆然と見送るほかなかった。
 何故か、その体ががちがちと震え、顔の色は完全に失われていた。
 先ほどベアトリスに向けられたヴィオレッタの微笑みは、どこまでも恐ろしく、そしてどこまでも美しかった。
 まるで、無慈悲な、けれど慈悲深くもある、無感情に人の命を奪い去っていく戦の女神のように。
 けれど、ベアトリスの目には、死へ誘う死神のように見えていたかもしれない。
 ベアトリスもまた、レサトゥリアス自身を欲しているというのなら、ヴィオレッタも、レサトゥリアスを愛する一人の女として、全力で戦う用意はある。
 けれど、ただレサトゥリアスが持つ肩書きのみを欲するというのなら、違ってくる。
 相手にする必要はない。敵にすらならない。
 そもそも、レサトゥリアスに抱く思いが違う、覚悟が違う。
 闘いを挑んでくる以前の問題。愚かしいにもほどがある。
「わたしは、守られるだけのお姫様じゃないのよ」
 レサトゥリアスに護られるように抱き寄せられながら、ヴィオレッタはその腕の中でどこか苦しげにぽつりつぶやいた。
 レサトゥリアスはまるでわがままな子供でも見守るように、ぽんとヴィオレッタの頭をなでる。
 そしてさらに、愛しげにヴィオレッタを抱き寄せる腕に力を込める。
 それが、レサトゥリアスのヴィオレッタのつぶやきに対する答えだった。
 ヴィオレッタの意思を尊重するが、けれど決して、レサトゥリアスはそれを歓迎はしないと。
 ヴィオレッタが進んで危険に身を置くというなら、大人しく護られないというなら、レサトゥリアスがそれをはばむ。自ら剣を握る。
 けれど、ヴィオレッタもまた、それをよしとせず、ゆずらないだろう。
 ならば、残す道はひとつ。
 互いに互いの背を護り、ともに戦っていく。
 きっとそれが、ヴィオレッタとレサトゥリアスには似合いなのだろう。
 大切だからこそ全力で護りたい。けれど、互いにそれをよしとしない。
 なんて似た者同士で、厄介な者同士なのだろう。
 けれど、これからの未来、ともに歩んでいこうとするなら、それもまたいいのかもしれない。
 どちらか一方が依存するだけの関係は、ともに望んでいないから。
 手と手を取り合い、ともに歩んでいく。それが、二人の理想。
 その場に残された者たちは皆、すっかり、園遊会の直中であったことなど忘れ、二人だけの世界に入り、かつ庭園を去っていくレサトゥリアスとヴィオレッタを見送っている。
 まあ、このような状況になったのだから、園遊会もここでお開きだろう。
 集う紳士淑女たちは、いまだ一言も発することができず動向をうかがっている。
 黒ずくめはすべて片づき連行され、自他ともに厳しい国王も去り、彼らは皆ひとまずの身の安全に余裕もでてきたのだろう。
 それに、今のあの二人の邪魔などしようものなら、馬に蹴られてしまう。
 それでも二人だけにしておくこともできず、ベルリオーズとアルフォンスが、専属護衛騎士という役目をまっとうするため、覚悟を決めてレサトゥリアスとヴィオレッタを追っていく。
 やれやれと肩をすくめ、シリルは呆れたように微笑を浮かべ、ジルベールたちに指示を出していく。
 ジルベールが、いまだ諦められないのか憎しみに、それとも先ほどのヴィオレッタに恐れているのか、震えるベアトリスを拘束する。
 ジェラール、カミーユが万が一の逃亡を防ぐために、ジルベールの横に控える。
 それを確認すると、シリルがゆったりとジルベールに拘束されるベアトリスの前に歩み出た。
 そして、すうと目を細め、吹雪の中に迷い込んだように冷たい視線をベアトリスに向けた。
「……さて、せっかくの祝いの席に水をさしたこのいたずらっこに、どういったお仕置きをいたしましょうか?」
 くいっと口のはしをあげ、シリルはにっこりと禍々しい微笑みを浮かべた。
 第一級犯罪者、王族の命を狙った謀反者の末路など、幼子でも知っている。


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update:12/03/06