この下僕、どういうつもりかしら?
いじわるでもいいじゃない

「ちょっと、そこ邪魔よ。そんなところにぼけっとつっ立っていたら、通行の妨げになるじゃない。少しは考えてはいかが?」
 追いかける伊織をそっちのけですたすた廊下を歩いていると、目の前に障害物を見つけ、反射的にそう言っていた。
 だって、本当に邪魔なのだもの。
 ちょうど渡り廊下へと出る曲がり角。
 こんなところに隠れるように立っていられたら、死角になっているそこへ足を踏み出した瞬間、ぶつかってしまうじゃない。
 ぶつかると痛いじゃない。
 誰も好んで痛いことをしたいとは思わないはずよ?
 だから、立っていられたら迷惑なのよ。
 本当に、わかっていないわね。
 路上駐車は迷惑駐車よ。特に曲がり角の駐車はたちが悪いわ。
「……え? あ、鹿野倉(かのくら)さん」
 壁に両手をそえ、その向こう、渡り廊下のさらに向こう側をのぞきこむようにしていた駐車違反車両――たしかクラスメイトの何とかと言う女だったわね――は、がばりと振り返った。
 そして、わたしを見るなり、まるで化け物にでも出会ったようにわたわた慌てだした。
 ……って、この違反車両、本当にいい度胸しているわねっ。
「緋芽! だからもう、お前は……っ」
「って、きゃっ。南雲(なぐも)先輩まで……!?」
 ここはやはり文句のひとつでも言ってやろうと思い開きかけた口を、伊織のお馬鹿が後ろから妙にスマートにふさいだ。
 すると、わたしの陰から現れた伊織に、この車はぼっと顔を真っ赤にしてさらにうろたえる。
 これじゃあまるで、消防車だわ。
 ……ふーん、この女もそうなのね。この女も、大人しそうな顔をして、伊織の馬鹿に狂っている一人ね。
 それにしても、こんな男の一体どこがいいのかしら?
 まあ、一般的にはそういう要素がないこともないのでしょうけれど、いつもわたしのまわりをちょろちょろして小言を言ってくるようなねちねち男なのよ。
 そうよ、わたしの口をふさぐこの手が妙にがっしりしていて、けれどどことなく優しくてあたたかいとか、そんなこともないこともないけれど、だからって、それとこれとは別よ。
 はあとため息をもらし、わたしの口をふさぐ伊織の手にそっと触れる。
 すると、背に感じる伊織の気配が、少しだけ近づいたような気がした。
 どくんと、なんだか不可解な動きを心臓がする。
 瞬間、勢いよく伊織の手を振り払っていた。
 そして、伊織からばっとはなれて、子兎のようにびくびく震える何とかというクラスメイトに詰め寄る。
「それにしてもあなた、さっきから一体何を見ているの?」
「え? や、やだっ。ちょ……っ。鹿野倉さんっ」
 すると、子兎ちゃんは体を強張らせ、まるでその背にあるものを隠すようにさっと体をよじった。
 ……怪しい。怪しすぎるわ。
 隠すということは、見られたくないものということよね?
 お馬鹿ね。そんなに精一杯隠されたら、とっても見たくなるじゃない。
 それが人の性というものよ。
 ぐいっと子兎ちゃんをおしのけ上体をつきだし、その向こうをのぞく。
 するとそこには、さっきバルコニーで見た、砂糖とそれにたかる三匹の蟻がいた。
「あら? 何を見ているのかと思えば、さっきのぶりぶり女とそのおとりまき」
「緋芽、お前、いいから黙りなさい」
「何よ、伊織――」
 そうして、またもや背から伊織に口をふさがれてしまった。
 しかも、何故だか今度は、逃げられないようにとばかりに、片手で口をふさぎ、もう一方の手でわたしの両手を封じ込めるように、ぎっちり抱きしめられる。
 ……どういうつもりかしら? この下僕。
「ごめんね、君。緋芽はどうも口が悪くてね」
 そして、あっけにとられ口をぽかんとあける子兎ちゃんに、伊織は微苦笑を浮かべた。
 って、ちょっとお待ち。それ、どういうことよ!?
 わたしが、口が悪いですって?
 わたしは常に、自分が思ったまま、心に正直に発言しているだけよ?
 それをとって口が悪いなどと、覚えていらっしゃい、伊織!
 口をふさがれているこの状態ではののしってやれないことが、抱きしめられているこの状態ではその腹立たしい顔を殴ってやれないことが、もどかしくて仕方がないわ。
「い、いえ、いいんです。……でもやっぱり、男の人ってみんな、(たちばな)さんみたいな女の子がいいんですよね」
 子兎ちゃんは、わたしを抱きしめる伊織、そしてそれを振り払おうともがくわたしを通りこし、その向こうへぼんやりとした視線を送る。
 思わず、伊織の手にふさがれた口からため息がもれた。
 すると、それに気づいた伊織は、何故だか執拗に拘束していたどちらもの手をぱっと放した。
 それから、とんとわたしの背を押す。
 ちらりと視線だけで見ると、伊織は小さくうなずいた。
 ……まったく、仕方がないわねえ。
 また、大きなため息がひとつ、わたしの口からもれる。
「お馬鹿ね。みんなあんな男ばかりだったら、この国はすでに滅んでいるわよ」
「……へ?」
 両手を腰へやりふんぞり返って、きっぱり言い切る。
 すると、子兎ちゃんはぽけらっとした顔で、わたしをじっと見つめた。
 あらまあ、なんておまぬけなお顔なのかしら。
 まったく、この程度のことを理解できないって、鈍いわねえ。
「今はうわべに惑わされているだけで、そのうち目が覚めるわよ」
 木の向こうに見える砂糖と蟻三匹をちらっと見る。
「鹿野倉……さん?」
 子兎ちゃんは、やっぱり不思議そうにわたしを見ている。
 もう、仕方がないわねえ。
 背で呆れたように微苦笑を浮かべる伊織の腕をとり、ぐいっと引き寄せる。
 そして、その腕にかるく両腕をからめ、にっこり微笑む。
「本当に美しい女というものはね、いい? わたしのような者のことをいうのよ。間違ってはいけないわ」
「……はあ」
 ぽかんと口をあけ、子兎ちゃんはやっぱり、わたしの素晴らしい言葉を理解していないよう。
 仕方がないわねえ。これだから、凡庸な人間って使えないのよ。
 それにひきかえ、伊織はそこそこ役に立つわ。
 この男って、側においておく分には便利よねえ。
 わたしの引き立て役には、まあ使えるという意味で。
 ただ、いちいち、わたしがとる行動のひとつひとつに物言いたげな視線を送ってくることは、いただけないけれど。
「ほら、あなたも行くわよ。こんなところにいては、馬鹿がうつるわ」
「え? ちょっ、鹿野倉さん!?」
 ぽけっとする子兎ちゃんの腕をとり、ぐいっと引っ張る。
 そして、渡り廊下から歩いてきた廊下へ振り返る。
 子兎ちゃんはぎょっと目を見開き、わたしを見つめた。
 けれど、そんなことにはかまわず、わたしはすたすた歩き出す。
「いいから、一緒においで。あまりここにいない方がいいよ」
「……南雲先輩?」
 そう伊織が耳打ち子兎ちゃんが不思議そうに首をかしげていることに、わたしは背に感じる気配で察していた。
 まったく、本当に手が焼けるわね。
 まあ、伊織もたまには役にたつようだけれど。
 その似非くさい微笑みは、本当に女子供には効果的よね。
 子兎ちゃんは伊織をぽうっと見つめながら、素直にわたしに腕を引っ張られているもの。
 あーあ、変なものを見てしまったがために、遠まわりをしなくちゃいけなくなってしまったわ。
 それにしても、本当におまぬけね、この子兎ちゃんは。
 この様子だと、気づかなかったようだもの。
 あのぶりぶり女、剣呑な目でこちらを見ていたわよ。
 なんだか敵意を感じるするどい眼差しでね。
 そんな女に目をつけられちゃ、あとが厄介よ。
 まあ、この子兎ちゃんはわたしの敵にすらならないから、今日のところは助けてあげるけれど。
 さすがにねえ、子兎が女狐に狩られるところは見たくないじゃない? 後味が悪いから。
 わたしが見ていないところでなら、存分に狩られちゃってくれてもいいけれど。


* BACK * NEXT *
* TOP * HOME *
update:08/09/15