おどきなさい
いじわるでもいいじゃない

 まったく、放課後だというのに、伊織ってばわたしのお迎えにやって来ないってどういう了見かしら?
 こうしてわたし自ら迎えに行ってあげるのだから、海よりも深く感謝してもらいたいものだわ。
 使えない下僕ね。ご主人様に手間をかけさせるのじゃないわよ。
 ……まあ、この時期は仕方がないのもあるけれど。
 もうすぐ文化祭だもの、一応生徒会長である伊織もそこそこ忙しいのでしょう。
 わたしもそこまで鬼ではないわ。不出来な下僕を寛容に扱うこともまた、わたしの美学。
 少し大人の余裕でもって渡り廊下を歩いている時だった。
「あ、やばっ!」
 少し前を歩いていた男子生徒が、そんな声をあげがばっとしゃがみこんだ。
 思わず、それにつられぴたっと足をとめる。
 すると、男子生徒は、床と柱の境目にあいた小さな穴にぐいぐい手を入れようとしている。
 そういえば、さっき何かが落ちる小さな音がしたような気がするわ。
 あらまあ、それじゃあもしかして、そこに何かを落としたのかしら?
 まったく、学校側もちゃんと施設管理をしなさいよね。破損したところをそのままにしておくのじゃないわよ。
 というか、ちょっとあなた、さっさと拾うなら拾ってくれないかしら?
 何をもたもたしているのよ。
 目の前でそんなことをされていたら、目障りで仕方がないわ。
 ああ、もう、うっとうしいわね。
 なんて不器用なのかしら。
「おどきなさい」
 しゃがみこみ、懸命に穴に手を入れようとする男子生徒の背をどんと押す。
 すると男子生徒ははっとして、わたしを見上げた。
 不思議そうに見る男子生徒を押しのけ、あいた穴をのぞきこむ。
 すると、そこに陽があたりきらっと光るものがあった。
「ほら、これでいいのかしら? まったく、そんなごつごつした大きな手でとれるわけないじゃない。その辺りにいるミーハー女でもつかまえてとらせた方が、よほど建設的よ。大切なものならなおのことね」
 穴にはまったそれを拾い、男子生徒へぐいっと突き出す。
 すると、男子生徒はあっけにとられたようにわたしを見て、
「ありがとう」
腹立たしいくらいにさわやかににっこり笑う。
「あ、制服に……」
 笑ったかと思うと何かに気づき、わたしの制服のスカートをすっと指差した。
 それにつられるように視線を落とすと、たしかにスカートのすそが少し汚れている。
 ぱんと、勢いよくはたく。
「男ならいちいち細かいことを気にするものではなくってよ」
 それから、腰に両手をあて言い放つと、男子生徒は目を見開き、ぷっと吹き出した。
 まったく、失礼しちゃうわね。何が面白いというのかしら。
 もう一度、あてつけるようにぱんと大きくスカートのすそをはたく。
 すると男子生徒ははっと気づいたように笑いをやめ、また嫌味なくらいさわやかな笑みをのぞかせる。
「だけど、どうしてこれが大切なものだとわかったの?」
「あら? 違ったのかしら? だったら骨折り損もいいところだわ」
 すっと視線を向け、非難がましく言ってやる。
 この緋芽さまがわざわざ手を貸してやったのに、その言い草はないわよね?
 男子生徒は慌てて、ぶるぶる首と手をふる。
「いや、うん、間違いじゃないんだけれど、こんな……」
「他人から見たらがらくたでも、あなたにとっては大切なものなのでしょう? だったらそれでいいじゃない。戯言に耳を傾けるほど馬鹿げたことはないわ」
 まあ、たしかに、そんな古びたどこの国のだかわからないコインなんて、普通はただのがらくたよね。
 けれど、そうして持っていて、落としたらわざわざ拾おうとするくらいだから、大切なものでしょう?
 たとえば、誰か大切な人からもらったものとか。
 まあ、いわれはどうだっていいけれど。わたしには関係ないから。
 当たり前のように言い放つと、男子生徒はやっぱり目を見開く。
 かと思うと、感心したようにまじまじとわたしを見てくる。
「あはは、すごいなー。さすが、鹿野倉さん」
「まあ、わたしの名前をご存知なの?」
「ああ、有名だから。っていうか、俺、同じクラスなんだけれど」
「あ、あら、そうだったかしら?」
 思わず、ずいっとのけぞり、あははと誤魔化し笑いをする。
 しまったわ、わたしとしたことが。
 そういえば、どこかで見たことがあると思えば同じクラスだったわね。
 たしか、親は大病院の院長で、本人もスポーツ万能で成績もよく、その笑顔がさわやかでいいとかいって、ミーハー女たちが騒いでいたわね。
 名前はたしか、桐生郁馬(きりゅういくま)だったかしら?
 どうでもいいから、気にしていなかったけれど。
「それじゃあ、わたしは行くわよ」
 これ以上話していたらなんだか墓穴を掘りそうね。
 鹿野倉緋芽さまともあろう者が、そんな格好悪いことはできないわ。
 それに、伊織がわたしを待っているはずだから、これ以上道草はできないわ。
 だってあの男、うるさいもの。
 あまり遅くなりすぎると、絶対に理由を聞いてくるし、ぐちぐち言ってくるわ。
 まったく、面倒な男よねえ。
「ああ、ありがとう」
 桐生は手渡したコインをぎゅっと握りなおし、反対側の手をあげ小さく振る。
 それをちらっと横目で見て、進行方向へ振り返った時だった。
「緋芽、こんなところにいたのか」
「伊織!」
 そう言って校舎の中から出てきた伊織を見つけ、思わず声をあげてしまった。
 同時に、なんだか安堵感が湧き上がる。
 ほ、ほら、あれよ。これでぐちぐち言われなくてすむというあれよ。
 ……あら? けれど、もしかしなくても、どちらにしてもぐちぐち言われるのかしら? ――嫌だわ。
 思わずゆるめてしまった顔をきっとひきしめ、伊織をにらみつける。そして、ぷいっと顔をそらす。
 だって、ここで下手に下手に出ようものなら、伊織の思い通りになってしまうわ。
 それだけは嫌よ。
 下僕になめられては終わりよ。ご主人様の面子丸つぶれよ。
 じりっと一歩後退するわたしに、伊織は困ったように眉尻を下げ、当たり前のように歩み寄ってくる。
 そしてやっぱり、当たり前のようにわたしの手をとり、きゅっと握ったりするものだから、せっかくひきしめた顔がまたゆるみそうになる。
 伊織はくすっと小さく笑うと、そのまま手をひきわたしを引き寄せる。
「遅いから心配しただろ」
 耳元でそっとそうささやくと、わたしの手をひいたまま再び校舎の中へ歩いていく。
 ちょっと、それって、もしかしなくても、わたしが迎えに行ってあげることをまるでわかっていたみたいじゃない。伊織のくせに生意気ね。
 ちらりと振り返ると、桐生がどこか複雑そうに、けれどきゅっと唇をかみしめ、わたし――伊織をにらむように見ていた。
 怪訝に思い伊織を見上げてみると、桐生を見てふっと鼻で笑っている。
 何なのかしら? 一体……。
 まあ、伊織は誰でもかまわず喧嘩を売るような男だけれど。


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update:08/09/23