いい番犬ね
いじわるでもいいじゃない

「伊織! そういう腹立たしい目で見るのなら、ついてこないで」
 なんだか急に頬に熱を感じ、とりあえず伊織からぷいっと顔をそらす。
 そして、伊織をおいて歩き出す。
「駄目。俺はおじさんから頼まれているからね。緋芽を無事に連れて行ってくれって」
「もう学校に着いたから、十分でしょ」
「まだまだ。教室までお連れしますよ、お姫様」
 早足で歩いているのに、伊織ってば少しも息を乱すことなくついてくる。
 わたしは少し息があがりかけているというのに。
 ああ、もう本当、ムカつく男だわ。
 というか、いつまでついて来る気よ? ――いつまでって、まあ、教室までなのでしょうけれどね。
 毎日毎日、よく飽きないものね。
 階段を上る足も、自然、腹立たしさに力が入るというものよ。
「くうっ。本当、腹立たしい男だわ! 伊織、二年でしょう! 二年の教室はあっち! 一年の教室までついてこないで!」
 一段目に足を置くと同時に、思わずそう叫んでいた。
 すると踊り場にさしかかったその時、上の方で何やら小さい悲鳴が上がった。
 それに気づき見上げると、五段ほど上から人が降って来た。
 しかもそれは、なんだか横を歩く伊織に向かって降ってくるようで……。
 って、ちょっと待って。状況を分析している場合じゃなかったわ。
 はっと気づき、すぐ横の伊織を見ると、見事その腕の中にそれがどすんと落ちたところだった。
 伊織は額に少しの脂汗をにじませ、似非くさいにっこり笑顔を浮かべている。
 両腕の中に抱える降ってきたそれ――その女を見ながら。
 ……なんだか、ムカつくわ。
「大丈夫?」
「はい、南雲会長」
 しかも、この女、いつまで伊織の腕の中にいる気かしら。
 伊織の腕にささえられながら、ずうずうしくも、そこで両手を握り合わせうっとり見ている。
 伊織をそういう目で見る女なんて別に珍しくないけれど、ただ降ってきたその女が問題なのよ。
 どうして、砂糖のように蟻をたからせる、昨日のぶりぶり女なの!?
 信じられないっ。
 いちばん信じられないのは、そんな女を助ける伊織よ!
 そんな女、助ける必要なんてないわ。そのまま、べしゃっと醜くつぶれさせておけばよかったのよ。
 これくらいじゃあ、死にはしないのだから。
「ちょっとあなた、危ないわね。気をつけなさい。これが伊織でなかったらつぶれていたところよ」
 しっしっと追い払うように手を振りながら、いまだ伊織の腕の中にい続けようとするぶりぶり女を見下ろす。
 いい加減、伊織からはなれなさいよ。
 伊織もいつまでそうしている気よ。とっとと放しなさい。
 その腕に抱いていいのは、その腕で支え守っていいのは、わたしだけなのよ。
 まったく、わたしの下僕のくせにわかっていないわね。
 追い立ててやると、ぶりぶり女はひどく傷ついたように、やっぱりぶりっと肩をすくめてわたしを見てくる。
「鹿野倉、お前って本当かわいくないな」
 すると、慌てたように階段を駆け下りてきた男が、ぶりぶり女を伊織の腕の中から奪うように引っ張った。
 さっとぶりぶり女を背に隠し、男三人でじろりとわたしをにらみつけてくる。
 ……あら? 今日の顔ぶれは昨日とは違うわね。
 伊織の胸に背をつけるように、わたしはすっと身を寄せる。
 そして、くすりと笑い、にっこりと男たちに笑顔を向けてやる。
 もちろん、とても清々しくこの男たちをあざ笑うように。
 だって、わかっていないのだもの、この男たち。
「お馬鹿ねえ。別に男にこびをうろうというのじゃないのだから、みえすいた滑稽な振る舞いは必要ないのよ」
 そう、わたしは男にこびをうるつもりはないから、わざとらしくかわいこぶってみせる必要もないわ。
 そもそも、そんなこと、気持ち悪くてできないわ。
 できそこないの悲劇のヒロインじゃないのだし。
 本当、いいこちゃんたちって、みんな男にこびをうっている連中ばっかり。
 男にこびをうって、一体何になるというのよ?
 そんなひまがあれば、いい男を手に入れるために自分をみがきなさいというのよ。
 っていうか、ふにゃふにゃしていて、見ていてムカつくのよね。
 いかにもどじでおっちょこちょいで、でもそんなところがみんなに人気なのと、自分から馬鹿な主張をするみたいで。
 それって、一体いつの時代の主人公よ!?
 ああっ、こういう女って、本当、その場で踏みつぶしてやりたくなるわ。
 ……まあ、近頃は、少女漫画や少女小説の主人公には、頭がいたくなってしまうようなすっとんだのとかもいるみたいだけれど?
 あれも、わたし的にはいただけないのよね。
 けばけばメイクに、制服着くずし。格好悪いったらないわ。
 いいえ、もっと許せないのは、あの犯罪を助長するかのようなスカート丈っ!
 あなたの桜島大根、一度鏡で見てごらん!?とののしってやりたくなるわ。
 むしろ、見せているあなたが犯罪ですとも言ってやりたいわね。
 まあ、言わないけれどね。
 自分から厄介事を引き込むようなものだから。
 面倒なことにはかかわりたくないわ。
 信じられないような積極的な主人公、それもムカつくけれど、やっぱり昭和に全盛を迎えた悲劇のヒロインほどムカつくものはないわっ。
 時代遅れもいいところなのに、今でも時々いるのよねー。
 その勘違いが入った典型が、このぶりぶり女。
 物思いにふけっていると、砂糖にたかる蟻たちがぴーぴーうなりはじめた。
「少しはあゆちゃんを見習えよなー」
「いつもお高くとまって何様だよ、お前。だから嫌われ者なんだよ」
 あらまあ、お顔を醜くゆがめ、格好悪いわよ? 無様よ?
 それに、わたしが何様ですって?
 そのようなこと、決まっているじゃない。
 鹿野倉緋芽さまよ。
「うふふ。愚鈍なお言葉」
 口の端を小さくあげ、ちろりと視線を流す。
 瞬間、蟻三匹の目がかっと見開き、顔を真っ赤にした。
「本当、性格わりっ!」
「最低女!」
 あらあらまあ、今度はそのようなことをおっしゃるのね。
 本当、これだから知能が低い動物は嫌なのよ。
 自分の立場が悪くなったら、相手をののしって回避しようとするの。誤魔化そうとするの。
 まあ、このような愚鈍な輩に何を言われても、こたえるような緋芽さまではないけれど。
 だって、わたしは、この蟻よりも劣っているなどまったく思っていないもの。
 自分より劣った者に何を言われようと、それは負け犬の遠吠えにしか聞こえないわ。滑稽にしかならないわ。
 さらに追い討ちをかけてやろうと口を開きかけると、背後からのびてきた手にばっとふさがれた。
 ……あら? これは、何かのデジャビュ?
 と思っていると、今度は腕をひかれ、ぬぼーっと大きな壁の背後に引っ張られた。
 あらら。壁だと思ったらこれ、伊織じゃない。伊織の背中じゃない。
「……君たち」
 見上げるその背から、低く響く声が聞こえた。
「な、何だよ? 南雲会長かよ。あんたもよくこんな女と一緒にいられるよな。……何? 生徒会長さまともあろう者が、こんな女に弱みでもにぎられているわけ?」
「あはは、言えている。じゃないと、こんな女と、とてもじゃないけれど一緒になんていられないよな!」
 せせら笑うように叫ぶ蟻さんたち。
「それくらいでやめておいた方がいいよ。自らを貶めるにすぎないよ」
「な、なんだよっ」
 伊織の背に邪魔され、蟻さんたちの顔が見えない。
 もちろん、今伊織がどのような表情をしているのかも見えない。
 だけど、いつにないすごみを帯びた伊織の声に、ちょっぴり驚き。
 わたし以外の前ではいい人を振る舞う、外面だけはいい男なのに。
 ……ええ、ちょっぴり意外。
 すると、伊織の右手がすっと背にまわってきて、わたしの腕をつかみぐいっと胸へ引き寄せた。
 伊織はわたしの髪に顔をよせ、そこからするどい眼差しで蟻さんたちをにらみつけ、妙に艶かしい微笑を浮かべる。
「それに、男が三人もいて、女の子一人まともに守れないなんて……恥ずかしいと思わないのかな?」
 伊織がそう言い放った瞬間、蟻さんたちは得もいわれぬほど不細工に顔をゆがめた。
 そして、わたしに対する暴言を楽しそうに聞いていたぶりぶり女の腕をつかみ、はたまた肩を抱き寄せ、蟻さんたちは階段をおりていく。
「い、いくよ、橘さん!」
 その姿は、あたふたと慌てているようにも見える。
 蟻さんなのに、蜘蛛の子を散らすように走っていっちゃって、まあ……。
 伊織は、その逃げ様を、どこか冷たい目で意味深長に見つめている。
 完全に姿が見えなくなると、伊織は視線を戻し、ようやくわたしを抱き寄せる腕をほどいていく。
 どことなく優しい目で見下ろす伊織へ、ちらりと視線を送る。
 ふうっと口のはしを小さくあげ、笑みをつくる。
「……まあ、伊織ってば、いい番犬ね」
「下僕の次は犬ですか。……まあ、いいけれどね」
 そう言うと、伊織はまたわたしを抱き寄せた。
 伊織に触れられたそこが、びくりと大きく震えた。
 それに気づいた伊織は、くすりと笑うと、見守るようにわたしを見つめてくる。
 すっと、耳に唇を寄せる。
「緋芽は、かわいいよ」
 今度は、体全部が大きくはねた。
 ぎりっと奥歯をかみ、いまいましげに伊織をにらみあげる。
「……美しいのよ」
「うん、誰よりもね」
 間違った言葉を訂正してやると、伊織の奴、あっさりとそれを認めた。しかも、余計な言葉までつけて。
「……ば、ばかっ」
 珍しく憎まれ口をたたかないから、調子が狂うじゃない。
 抱き寄せる伊織からぷいっと顔をそらし、それでもその胸の中でただ口をとがらせるしかできなかった。
 悔しいけれど、わたし、この腕の中が好きなのよね。
 わたしの下僕にしてあげている理由のひとつが、この包み込む腕なのだもの。
 もう一度ちらりと伊織を見ると、ばっちり視線があった。
 だから、慌ててまた視線をさっとそらす。
 ……お馬鹿。そんな目で、そんな優しい目で、わたしを見ないでよね。
 調子が狂うじゃないっ。


* BACK * NEXT *
* TOP * HOME *
update:08/10/08