無礼者ばかりね
いじわるでもいいじゃない

 四限終了のチャイムが鳴り、教室中がにわかに活気を帯びだした時だった。
 机を移動させたり、教室から出て行くクラスメイトの中、声をかけられた。
「鹿野倉さん」
「あら、子兎ちゃん。何かしら?」
 珍しいこともあるものね。
 わたしに気安く声をかけようなんて、そんな果敢なことをする勇者――無礼者は、なかなかいないわよ?
 とりわけ、子兎ちゃんのような女の子が声をかけてくるなんて、とっても意外よね。
 ほーら、それに気づいたクラスメイトの何人かが、ぎょっと目を見開きこちらを見ているじゃない。
「こ、子兎ちゃん? あの、わたし、坂田真由子(さかたまゆこ)という名前があるんだけれど」
「それがどうかして?」
「……いえ、もういいです」
 どうでもいいことを言ってきたからさっくり切って捨ててあげると、子兎ちゃんががっくり肩を落とした。
 それでいいのよ。
 そのようなとるにたりないことなど、どうでもいいじゃない。
 子兎ちゃんは子兎ちゃんなのよ。わたしがそう呼んであげているのだから、それで決まりなの。
「それで、わたしに何かご用でも?」
 鞄の中にペンケースをしまいながら、ちらりと子兎ちゃんを見る。
 ついでに、その向こうのクラスメイトも見ると、やっぱり険しい顔でこちらを見ている。
 なーに、その目は。
 いたいけな子兎が、絶滅してしまった日本狼に今にもとってくわれそうとでも言いたげじゃない。
 たまたま目があった一人を微笑を浮かべにらみつけてあげると、さっと目をそらした。
 子兎ちゃんはがっくり落としていた肩をもとに戻し、ちらりと廊下へ視線を送る。
「え? うん。あの、南雲先輩が鹿野倉さんを呼んでほしいって」
「伊織が?」
 子兎ちゃんが視線を向ける方を見ると、ひらひらと手をふる伊織がいた。
 そうかと思うと、伊織は当たり前のように教室の中へ入ってきた。
 傍若無人に教室に踏み込んでくるなら、わざわざ子兎ちゃんに取次ぎを求める必要などないじゃない。お馬鹿な男ね。
「伊織、何をしに来たのよ」
「何をって、昼休みだろ」
 わたしのもとまで来ると、伊織はペンケースをしまい終わった鞄を奪い取った。
 それから、机の横にかける。
「そういえばそうね。今日は生徒会はいいの?」
「ああ、しばらくは暇だからね」
 伊織は鞄を机にかけた手を移動させ、そのままするりとわたしの腰を抱き寄せる。
 そして、無意味に顔を近づけ、にこりと微笑んだ。
 瞬間、教室中に戦慄がはしったようなざわめきが起こる。
 まったく、この男はっ。
 嘘おっしゃい。
 もうすぐ文化祭だというこの時期に、生徒会長が暇なわけないじゃない。
 お馬鹿ねー。そんなばればれな嘘は、普通つかないものよ?
 でもなんだか顔がにやけてしまうのは何故かしら?
 思わず、そのまま伊織の胸に触れそうになっていた頬をぐいっとひきはなし、ぷいっと顔をそむける。
「まあ、じゃあ、これからしばらく、うっとうしい顔を見ながら昼食をとらなければいけないわけね。……地獄だわ」
「はいはい。それは申し訳ありませんね」
 顔をそらした頭の上で、くすくす笑う声が聞こえる。
 きっと今の伊織、その微笑ひとつでいちころ、のようなあの似非微笑を浮かべているに違いない。
 視線を向ける女子のいくらかが、ぽうっとこの腹黒男を見ているから。
 ……なんだか、おもしろくないわね。
「まったく申し訳ないなんて思っていないわね。伊織のくせに生意気よ」
 腰にまわす手を、ぐにっとつねってやる。
 けれど、伊織の手はびくともせず、わたしは逆にさらに伊織へ引き寄せられた。
 わたしにしかわからない程度に少しだけ、さりげなく。
 思わず、ばっと顔を戻し、伊織をきっとにらみつける。
 すると伊織は、どこかたくらむようににっと笑った。
「それで、お姫様、今日の昼食は?」
「もちろん、伊織の手作りお弁当よ」
 だから、仕方がないから、わたしも伊織にあわせてにっこり微笑んであげる。
 伊織はもう一方の手に持っていた重箱を、ひょいっと顔の横にかかげた。
 まったく、無粋なことを聞くものじゃあないわ。
 わたしの昼食など、はじめから選択の余地すらなく決まっているじゃない。……それ≠セと。
 まあ、この学校のカフェテリアの食事も、そこそこ裕福な家庭の令息令嬢が通うだけあって口に合わないことはないけれど、伊織のお弁当の方がまだましだものね。
 ええ、あくまで、ましというだけで、決してそっちの方がいいわけじゃないわ。
 仕方がないから、伊織に腰を抱かせたまま教室を出るため扉へ振り返った時だった。
 ばっちりと、子兎ちゃんと目があった。
「あら? まだいたの?」
「緋芽、お前はまた……」
 わたしの腰を抱く手も、頭上でもれる声も、どこか呆れたよう。
 失礼なことに、子兎ちゃんまでなんだか苦い微笑を浮かべている。
 まったく……。無礼者ばかりね。
「ちょうどいいわ。あなたも来なさい」
「ええ!?」
 抱き寄せる伊織をどんと突き飛ばし、子兎ちゃんの手をとる。
 すると、あれだけ頑強に抱き寄せていた伊織の手が、あっさりわたしの腰からはなれた。
 子兎ちゃんは子兎ちゃんで、やっぱり失礼なことに、目を白黒させわたしを見ている。
「つべこべ言わない。こんなに大量のお弁当、わたし一人で食べきれないもの。だから、あなたが責任をもって処分するの」
「……お弁当って、え?」
 伊織が持つ重箱を指さし、きっぱりと命令を下す。
 子兎ちゃんはやっぱり目をぱっかり見開き、わたしと指差す重箱を交互に見る。
 そして、ばっちりと伊織と視線が合った。
「俺の手作りです。ちなみに、緋芽一人じゃなくて俺も食べるんですけれど?」
「男のくせに小さいことを言うわね。いいじゃない、一人増えたところでたいしたことはないわ」
 子兎ちゃんの手を左手で、さっきまでわたしの腰を抱いていた伊織の手を右手でにぎり、すたすた廊下へ歩き出す。
 すると子兎ちゃんは、つんのめりながら慌ててわたしの後についてくる。
 伊織は相変わらず腹立たしいことに、ゆったりと歩き出す。
「それはそうだけれどねー。俺は頭数にはないのか」
「当たり前じゃない。わたしの下僕なのだから」
「はいはい、お姫様、さようでございますね」
 ため息まじりに、だけどどことなく優しい伊織の声が、吐息とともにわたしの髪を揺らしていく。
 吐息がかかったそこが、なんだか熱い。
 わたしたちが教室を出ると同時に、その中では不穏な空気をはらみどよめいていた。
 わたしがこれから子兎ちゃんを体育館裏にでも引っ張って行って、いじめるとでも思っているのね、その反応は。
 まったく、失礼しちゃうわね。
 わたし、人に優しくなんてそんな得にもならないことはしてやらないけれど、いじめなんて愚行もしないわよ。美しくないもの。
 まったく、これだから愚民は……。


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update:08/10/14