嫌いじゃないわ
いじわるでもいいじゃない

 その日の昼休み。
 どうせまた伊織が迎えに来るだろうから、とりあえずそれまで席に座り大人しく待っていてあげるわ。
 あの男って、こうして待っていてやらないと、すぐに文句を言ってきて本当にうるさいのよね。
 それに、今日の緋芽さまは少しご機嫌がいいのよ。
 だって、伊織が来るまでの間、これがあるもの。
 今朝桐生がおしつけてきたビスケット。
 これがなかなかわたし好みだから、昼休みに食べるのを楽しみにしていたのよね。
 そう、伊織になんておすそわけしてやらないから、今のうちに食べておかなければ。
「あれ? 鹿野倉さん、何食べているの?」
 ぱりぽりさくっとビスケットをかじっていると、首をかしげた子兎ちゃんが声をかけてきた。
 この子兎ちゃん、すっかり慣れてしまったのか、もうわたしを恐れる様子がないようね。おもしろくないわね。
 でもまあ、その心意気は嫌いじゃないわよ。
 他の遠巻きにしている連中にくらべたら、よほど度胸があるわ。
「これ? 子兎ちゃんも食べる? 桐生にもらったのよ」
 ビスケットが入った紙袋を差し出すと、子兎ちゃんは驚いたように目を見開く。
 まあ、何がそんなにびっくりするのかしら?
「え? 桐生くんに?」
「ええ」
「一昨日の礼にね」
 こくりとうなずき答えると同時に、背後からそう声がした。
 ぱっと振り向くと、そこにはにっこり笑う桐生が立っていた。
「きゃっ、桐生くんっ!」
 子兎ちゃんなんてぽっと頬を赤らめて、ずざっと一歩後退しちゃったじゃない。
 そんなに驚くことかしら?
 いえ、この場合、子兎ちゃんてば……。
 まったく、好きな男がいるくせに、他の男にまでときめいているのじゃあないわよ。
 桐生って、無条件でときめけちゃう男でもないでしょうに。……いえ、一般的にはそうなのかしら?
 どぎまぎする子兎ちゃんも、にこにこ微笑む桐生も気にせず、わたしはもくもくとビスケットをかじる。
「これ、なかなかいけるわよ」
 そして、おろおろする子兎ちゃんに、ずいっと紙袋を突き出す。
 目の前でいつまでもそうおたおたされていちゃあ、目障りなのよね。
 子兎ちゃんはぴくんと体をゆらし、ぴたっとゆれをとめた。
 それから、ちらちらと確認するように桐生を見る。
 すると桐生は、こくんとうなずいた。
 それを見て、子兎ちゃんはほっとしたように小さく息をはき、「それじゃあ……」と言って、袋の中からビスケットをひとつとり食べた。
「あ、本当、おいしい。桐生くん、これどこで買ったの?」
 それから、ぱっと顔をはなやがせ、興味深そうに桐生を見る。
「駅前の路地を入った目立たないところに、小さな洋菓子屋があるんだ。そこの、甘くなくて俺のお気に入り」
「うわー、すごい。よく知っているねー」
 子兎ちゃんは感心したように、目をぱちぱちしばたたかせる。
 あらまあ、子兎ちゃんってば、そのお顔、本当にすごいと思っているわね。
 まったく、なんて素直な兎さんなのかしら。
 桐生も子兎ちゃんの反応に気をよくしたように、にこっと笑う。
「だけど、よかった。こんな安物、鹿野倉の口には合わないんじゃないかと思ったよ」
「あら、わたしは別に高くても安くてもどちらでもいいわ。値段なんて関係ないわよ。おいしいと思ったものしか食べないだけ」
 もう一枚ビスケットを取り出し、さっくりかじる。
 すると、子兎ちゃんと桐生は顔を見合わせ、くすりと小さく笑った。
「あはは、らしー!」
「そうかしら?」
 くいっと首をかしげて答え、すっと立ち上がる。
「それより、場所を変えるわよ」
「え? 鹿野倉さん」
 ちらっと子兎ちゃんに目配せして、そう促す。
 子兎ちゃんはちんぷんかんぷんと首をかしげる。
 まったく、鈍いにもほどがあるわね。
「いいから、いらっしゃい、子兎ちゃん」
 ビスケットの袋をむんずとつかみ、すっと歩き出す。
「う、うん」
 子兎ちゃんは、訳がわからないものの、慌てたようにわたしの後についてくる。
 すると桐生が、自分だけ置いていかれたと感じたのか、慌てて後を追おうとする。
「あ、ちょっと待てよ、鹿野倉。俺も……っ」
 まあ、たしかに、桐生は置いていくつもりなのだけれどね。
 だって、この場から連れ出さなきゃいけないのは、子兎ちゃんだけだもの。
 野郎なんてどうなろうと、わたしの知ったことじゃあないわ。
「あなたはついて来ないでちょうだい。……いえ、来たければ目立たないようにはなれていらっしゃい」
 ちらりと桐生に視線を向け、つぶやくように言い放つ。
 野郎なんてどうなろうとわたしの知ったことじゃないけれど、ここで桐生がついてきたらついてきたで、なんだかおもしろいことになりそうだものね。
 いえ、この状況だと、桐生も連れ出しておいた方がいいのかしら?
 この後、桐生の身に降りかかることが手に取るようにわかるから。
 けれど、野郎には選択肢を与えてあげてよ。
 自らでどうするのが最良か判断するといいわ。
 自分で判断できない男ほど情けないものはないものね。そんなつまらない男には用はないわ。
 まあ、緋芽さまったら、なんて慈悲深いのかしら。男のプライドを立ててあげるなんて。……とっても不本意で不気味だけれどね。
 首をかしげる桐生を無視して、子兎ちゃんの手を引き教室を後にする。
 この状況じゃあ、伊織を待ってなんていられないわよね。
 桐生が割って入ってきてから、女子のみなさんの視線が急に鋭くなったもの。
 とりわけ、砂糖女の視線といったら……。醜いにもほどがあるわ。
 仕方がないから、伊織にぐちぐち小言を言わせてあげるわ。
 どちらにしろ、右から左へ聞き流すだけだし。


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update:08/11/02