幸せになる資格はないわ
いじわるでもいいじゃない

 伊織は、わたしにつきとばされ一瞬すねたように頬をふくらませたけれど、すぐに子兎ちゃんの様子に気づき、静かに様子をうかがっている。
 抱き寄せる子兎ちゃんを見て、極楽鳥がくいっと首をかしげつぶやく。
「あれ、その子……」
「極楽鳥? 何か知っているの?」
「って、その呼び方決定? ……まあ、いいけれど」
 極楽鳥は、またわざとらしく肩を落とす。
 それから、すっと姿勢をただし、ぽりぽり頭をかく。
「いや、知っているっていうか……。さっきそこで、男を何人かはべらせたけばめのおネエちゃんにからまれていた娘、……だよね?」
 抱き寄せる子兎ちゃんをのぞき込むように、極楽鳥が告げる。
 瞬間、子兎ちゃんの体が大きくびくんとはねた。
 ……どうやら、図星のようね。
 それにしても、それってつまりは……。
「あなた、それを見ていて助けなかったの?」
 けろりと言い放った極楽鳥を、じろりとにらみつける。
 わたしの横では、伊織が呆れたように極楽鳥を見ている。
「っていうおひいさんだって、助けなかったでしょ?」
「当たり前じゃない」
 にやっと笑い問いかける極楽鳥に、わたしは胸をはりきっぱり言い放つ。
 まったくもって当たり前のことを聞かないでもらいたいものだわ。
 わたしが、その程度のことで手を貸すはずがないじゃない。そもそも、わたしに助けを望むことからして無礼だわ。
 野蛮な行為にかかわるなど、そんな美しくないことはしないわ。
 そういうものは、目にも入れたくないわね。
 他人をいたぶるなら、もっと美しく気高く優雅に、じわじわと精神的に追い込む方が楽しいわ。
 それでこそ、いたぶりがいがあるというものよ。最上の遊戯よ。
 意地悪く笑っていた顔をすっと引っ込め、極楽鳥は眉尻をさげふうとため息をつく。
「からまれていたっていってもすぐに解放されたから、大丈夫だろうと思ってさ」
 じとりと極楽鳥をにらみつけ、わたしもふうと細い吐息をもらした。
 それから、見下すように極楽鳥へすうと視線を流す。
「役立たず、ぐず、のろま、お馬鹿」
「うわっ。だからどうして、そこまで言われるの? 俺!」
 仕方がないから、わたしなりの誉め言葉≠与えてやると、極楽鳥は泣きそうな顔で喜んだ。
 ……この男、変態じゃないかしら?
 それよりも、今はこっちね、子兎ちゃん。
 この男がさっきから道化を演じているというのに、わたしの腕の中でぐすぐす泣き続けているのだもの。
 まったくもう、仕方がないわねえ。
 本当に手がかかる子兎だこと。
 普段のわたしなら、ここまではしてあげないのよ?
「子兎ちゃん。……真由子」
「え……?」
 ぐいっと引きはなしそう呼びかけると、子兎ちゃんは目をしばたたかせ、驚いたようにわたしを見つめた。
「まあ、あの見てくれだけの女のことだから、子兎ちゃんに何を言ったかはだいたい想像がつくけれど、所詮は中味がない女。そんな女にいいようにされるなんて情けないわよ」
 そうよ、わたし、知っているもの。
 さっき、バルコニーの下なんて人目がつくところで、グロスがとれるほどの大人のキスとやらをしていたけばけば女とたいして変わらないことを、あのぶりぶり女もしていること。
 このバルコニーの下で、これまでも時折みかけていたもの。
 そのたびに相手が違っていたこともね。
「って、ちょっと、おひいさん――」
 何が気に入らないのか、極楽鳥は慌ててわたしの言葉をさえぎろうとする。
 けれど、その極楽鳥の前にすっと手をだし、伊織がそれをとめる。
 極楽鳥は眉根を寄せ、不満そうに伊織をじっと見つめる。
 けれどすぐに、あきらめたようにふうと大きく息をもらした。
 極楽鳥は、渋々伊織の背へ下がる。
 わたしはそれを横目でちらっと確認して、また子兎ちゃんへ視線を戻す。
「馬鹿ね、この前言ったはずよ。あんな見た目だけの中味のない女、そのうち飽きるわよ」
 子兎ちゃんはやっぱり狐につままれたように、まじまじとわたしを見つめる。
「今はただ、物珍しさであの女のまわりをちょろちょろしているだけよ。あのお馬鹿男、今は道を誤っているけれど、そのうち間違いに気づき自ら修正するわ。それができなければ、所詮その程度の男。さっくり見限りなさい。とりあえず今は、自らで誤りに気づくことを待っていなさい」
「鹿野倉さん……?」
 子兎ちゃんはやっぱり目をぱちくりとさせ、不思議そうにわたしを見る。
 まったく、これだけ言ってもまだ理解できないのかしら? 鈍いわねえ。
 ここは、もう少し言って聞かせないと駄目ということかしら?
 横では、極楽鳥がどこか非難がましく、そしてはらはらと様子を見ている。
 伊織はというと、落ち着きはらって涼しい顔で、やっぱりわたしたちを見つめている。
 ふうと一度ため息をつき、子兎ちゃんの顔の前に人差し指をぴしっと立ててみせる。
「いい? よくお聞きなさい。幸せになろうとすることをあきらめては、そこで終わりよ。けれど、あきらめなければ、いつか必ず自分だけの幸せをつかめるわ。それを見極めて手に入れてこそ、いい女よ。間違わないで」
 わたしの素晴らしいお説教にも、子兎ちゃんはどこかぽけらっとしている。
 まったくもう、本当にどこまで鈍いのかしら。わからんちんなのかしら。
 だから、子兎ちゃんというのよ。
 眉尻を下げため息をもらすわたしに気づき、伊織はすっと顔をそむけた。
 そしてそこで、笑いをかみころすように小刻みに肩をゆらしている。
 まったく、憎らしい男ね。
 何を言いたいのかよーくわかってしまうから、腹立たしいったらないわ!
 その一歩引いたところでは、極楽鳥が間抜けにぽかーんと口をあけ、呆けたようにわたしを見ている。
 本当、失礼極まりないわね。
 見つめる子兎ちゃんにずいっと身を寄せ、きっぱり言い放つ。
「あんな男のどこがいいのかわたしにはさっぱりわからないけれど、幸せは自分の力でつかみとりなさい。ただ泣いているだけのつまらない女は、幸せになる資格はないわ」
 子兎ちゃんの背をおし、ぽいっと放り捨てる。
 すると、子兎ちゃんはよろけながら数歩足を踏み出し、そこでぴたりと踏みとどまった。
 それから、わたしへゆっくり振り返る。
 相変わらずぽけっととぼけているけれど、その顔が次第にほわりと笑みを浮かべた。
「ありがとう、鹿野倉さん。なんか元気でた」
 そして、にこっと笑い、そのまま走って去っていく。
 失礼なことに、極楽鳥までなんだか腹立たしいにやにやした笑みを浮かべ、しかもくすくす笑いながらゆっくりとバルコニーを去っていく。
 「会長、いくらいちゃつくのに忙しくても、生徒会はさぼらないでね」なんて、意味不明なことを言いながら。
 伊織の目の奥がぎらりと殺気立っていたことに、きっとあの極楽鳥は気づいていないのでしょうね。
 まったく、だから極楽鳥なのよ。伊織の神経をさかなでても何もいいことなんてないことくらいわかっているでしょうに、あえてするのだから。
 まあ、わたしもあえてするけれどね。
 でも、わたしには、伊織の陰湿な報復はないから平気なのよ。
 まあ、ご主人様に牙をむく下僕(飼い犬)なんて普通はいないから、それも当たり前だけれど。
 子兎ちゃんと極楽鳥が去ったことを確認すると、思わず舌打ちをしていた。
「ちっ。柄にもないことをしちゃったわ」
 いまいましげにつぶやくと、すぐ横に伊織がすっと寄ってきて、くすくす笑い出す。
「何よ!?」
 ぐるんと勢いよく振り返り、ななめ上の伊織の顔をにらみつける。
「いや、緋芽らしいと思って」
「ふんっ!」
 伊織は無駄にさわやかに、にっこり微笑んだ。
 ああん、もう、本当、いまいましいったらないわ。
 その後に続く言葉は、どうせこうでしょう?
 「はげましちゃったな」とでも言いたいのでしょう。
 そんなこと、伊織に言われなくたって、自分でもよーくわかっているわよ。
 そのつもりはなかったのに、ついつい流れでそうなっちゃったのよ。
 要領がいいいじわるお嬢様を目指すわたしとしては、とっても不本意。失態だわ!
 弱っている相手にさらに追い討ちをかけて再起不能にすることこそが、最高の遊戯だというのに。
 自分でそのチャンスをつぶしちゃうなんて、……嗚呼、悔しいっ。
 思わずその場でじだんだを踏み出してしまったわたしを、伊織がふいに抱き寄せた。
 そして、そのままぎゅうと包み込むように背から抱きしめる。
 ふわりと、耳に伊織の吐息がかかる。
 さわりと、頬に伊織の髪が触れる。
 どくんと、心臓が飛び出しそうなほどはねる。
「緋芽、わかっているとは思うけれど……」
「ええ、でも、こういうことは、本人が気づき認めないと意味がないことだわ」
 はねたはずの心臓が、伊織のその言葉を聞き瞬時に落ち着き冷たくなった。
 抱きしめる腕に、そのままぽてっと頬を寄せる。
 ……わかっているわよ、伊織に言われなくたって、ちゃんと。
 子兎ちゃんにはああ言ったけれど、わたしの見る目が間違っていなければ、きっと……。
 いいえ、考えるのはよしましょう。
 考えれば考えるだけ、なんだか胸の辺りがもやもやするもの。
 別に子兎ちゃんがどうなろうと、……悲しもうと、わたしには関係ないわ!
「そうか、うん。ならいい」
 伊織は何かを得心したように、こくりとうなずいた。
 それから、抱く腕をひとつはなし、そのままくしゃりとわたしの頭をなでる。
 もうっ、髪が乱れるじゃないっ。
 ……なんだか、頬がとっても熱い。


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update:08/11/15