調子にのるのじゃないわ
いじわるでもいいじゃない

「鹿野倉、これいる?」
 あの後、地図を戻しに行く桐生と別れ、極楽鳥をひとまず満足するまでいたぶった。
 そして、教室に戻ると、桐生がそう声をかけてきた。
 どうやら、思いのほか極楽鳥で遊んでいたようね。
 地図を返しに行ったはずの桐生の方が、先に教室に戻っているのだから。
 教室は、すでに全員帰ってしまったのか、桐生以外の姿は見えない。
 まったく、もうそろそろ文化祭の準備をはじめているクラスもあるというのに、このクラスはのん気なものね。
 だからといって、わたしもやる気なんてさっぱりないのだけれど。
 だって、面倒じゃない。
 それに、あんなこどもだまし、この緋芽さまが楽しむとでも思って?
「あら、マフィン?」
 差し出す小袋に入ったそれを受け取る。
 ふちがレースの形に切り取られた透明の袋の中にマフィンがひとつ入っていて、細いリボンで口をきゅっと結んでいる。
 一昨日のビスケットもそうだったけれど、桐生が持っているお菓子って乙女ちっくなものばかりね。
 まあ、嫌いじゃないからいいのだけれど。
「ああ、例のビスケットと同じ店のなんだ」
「まあ、でかしたわ、桐生」
 桐生からマフィンを受け取り、さっとリボンをほどく。
 だって、あのお店のものといえば、味は保証されたようなものじゃない?
 けっこう好みの味だったのよね、あのビスケット。
 この緋芽さまの舌を楽しませるなんて、なかなかのものよ?
 桐生、あなた、そこそこ隅に置けない男ね。
「だろ? 誉めて誉めて。鹿野倉、こういうの好きだろ?」
 桐生は得意げににっこり笑う。
 まあっ、少し誉めてあげたら調子にのって。極楽鳥と一緒で図々しいわね。さすがは、あれの後輩だわ。
 で、でもまあね、こういうお菓子、嫌いではないわよ、嫌いでは。
 けれど、どうして、これまでかかわり合いがなかった桐生が、そんなことを知っているのかしら?
 わたしの好みを熟知しているのは、伊織くらいのものと思っていたのに。
 ……ああそうね、たしかに、桐生はごく一部を知っているだけで、伊織のように熟知しているわけではないわね。
 もしかしたら、伊織とのお茶の時間をたまたま目にしたことがあるのかもしれないわね。うん、きっとそうだわ。
「調子にのるのじゃないわ。まあ、いい仕事ではあるけれど」
 袋からマフィンを取り出し、ひとくちかじろうと口へ近づけていく。
 すると、次の瞬間、目の前からマフィンがぱっと消えていた。
「緋芽は、俺が焼いたアーモンドクッキーがいちばんのお気に入りなんだよな」
 同時に、当たり前のように、そして得意げに耳元でささやく声がした。
 とくんと胸がはずみ、吐息がかかる辺りがざわつく。
 だって、この声は……。
「ええ、もちろんよ」
 そう答えると同時に、籠いっぱいのクッキーが目の前に降ってくる。
「だよな」
 そして、そう言いながら、伊織が背からきゅっと腕をまわしてきた。
 それから、「ほら、食べて食べて」と言う伊織にせかされるように、クッキーをひとつ手にとりぽいっと口にほうりこむ。
 先ほど奪い取られたマフィンを桐生につきかえす伊織に気づくことなく、わたしはただひたすら伊織が焼いたアーモンドクッキーをぱくぱく食べていた。
 うふふ、わたし、これがいちばん好きなのよね。
 どんなにおいしそうなお菓子を目の前にずらっと並べられたって、やっぱりこれを選んでしまう。
 さすがは、わたしの下僕。よくわかっているじゃない。
 マフィンをつきかえされ悔しそうにぎりっと奥歯をかむ桐生にも、勝ち誇ったように桐生を見下ろす伊織にも気づくことなく、誰にもとられてなるものかと、わたしはぱりぽりクッキーを食べていた。
 すると、ふいに伊織がわたしの手の中からクッキーの籠を奪い取った。
 そして、すっと顔を近づけ、ふわりと微笑む。
「緋芽、迎えに来たよ」
「あら? そういえばそうね……。あれ? でも、今日は遅くなるのじゃあ……」
 伊織が持つ籠からもう一枚クッキーをひょいっとつまみとり、首をかしげてみる。
 そろそろ文化祭へ向けての準備が本格的にはじまり、生徒会もにわかに忙しくなる頃だと、たしか極楽鳥が言っていたわ。
 伊織、これでも一応生徒会長だから、それなりに慌しくなるでしょうに。
 一部有志やクラブを除いては、特にクラスの出し物に関しては、まだ決まっていないところが大半のはず。
 これから、それぞれから出された企画の認可作業が待っているはずだわ。すでに、ぱらぱら企画が提出されていると、やっぱりこれも極楽鳥情報。
「俺、そんなこと言ったっけ?」
「……後で、極楽鳥に泣かれるわよ」
「俺の知ったことじゃないね」
 ええ、たしかに、伊織は言っていないわね。
 でも、極楽鳥は言っていたわ。
 まあ、伊織本人が言っていないということは、こうなるだろうと大方予想はできていたけれど。
 はあとため息をわざと大きくもらしてやる横で、伊織はひょうひょうと帰る準備をすませたわたしの鞄を持ち上げた。
「緋芽、鞄持つよ」
「いらないわ」
「そっか」
 伊織から鞄を奪い取り、また籠の中からひょいっとクッキーを一枚とる。
 駄目だわ、このまま食べ続けたらおブーちゃんになるとわかっていてもやめられないわ。
 まったく、伊織め、どうしてこんなに大量に持ってきたのよ。というか、今までどこに隠し持っていたのよ。
 ……とはあえて聞かないわ。だって、伊織だもの。聞くだけ無駄なような気がする。
 のらりくらりとかわされて、どうせわたしがいらだつだけだもの。
 クッキーを食べた手をぱんとはたき、そのまますっと伊織へ差し出す。
「引っ張りなさい」
 伊織はにっこり笑い、自分の鞄を持つ手にクッキーの籠をかけた。
「かしこまりました、お姫様」
 差し出された伊織の手に、すっと手を重ねる。
 当然よね。わたしが差し出した手をそのまま無視する不届き者は、この世にはいないものね。とりわけ、伊織がそんなことをしてみなさいよ。もう二度と口をきいてあげないんだから。もう二度と一緒に登下校してあげないんだから。もう二度とわたしの名を呼ばせてあげないんだから。
 手を重ねた瞬間、伊織からぷいっと顔をそらす。
 だって、なんだか一瞬、頬の筋肉がゆるんだような気がしたもの。
 まずいわ、もう年かしら?
 いいえ、そんなことはないわ。わたしはまだピチピチの十代よ、女子高校生よ!
 顔のたるみを気にする年齢なんかじゃ決してないわ!
 きっと顔をひきしめ、再び伊織へ向ける。
 見下ろすように見るわたしに、伊織はくすりと小さく笑った。
 そして、そのままわたしの手を引き、伊織は当たり前のように桐生を無視して教室を出て行く。
 慌てて桐生に「じゃあね」と言って、わたしはそのまま伊織にひっぱられていく。
 それと同時に、教室の中で、机を蹴るような音が聞こえた。
 いやだわ、また頬の筋肉がゆるみそうになったじゃない。
 ところで、伊織、どうして今日に限って鞄を持つなんて言い出したのかしら?
 そんなこと、わたしが望んでいないことなんてわかっているはずなのに。
 だって、伊織に鞄を持たせるより、こうして鞄は自分で持ち、あいたもう一方の手を伊織にひかせる方が楽だもの。
 そうよ、それ以外ではないのよ。ないといったら、絶対にないんだからね。
 自分の鞄は自分で持ち、あいたもう一方で手をつなぎたいとか、そんなことは絶対にないのだからね!
 伊織はふと気づいたように振り返り、またにっこり微笑みかけてきた。
 それと同時に、わたしに合わせるように歩調が少しだけゆっくりになる。
 思わず、ぷいっと顔をそらしてしまった。
 だって、頬がどことなく熱いのよ。
 筋肉がゆるんだ次は一体どんな老化現象が現れたのよ?
 いやだわ、わたし、そんなに年じゃないはずなのに。
 顔をそらしつつも、ちらっと伊織を見てみた。
 当たり前のようにわたしの手を引き、やっぱり当たり前のように歩く伊織。
 わたし、その背中や握るこの手は、嫌いじゃないわ。
 その背に思わず突進しそうになったけれど、ぐっとこらえる。
 不意打ち攻撃は嫌いじゃないけれど、今はなんだかそういう気になれない。ううん、このまま突進しちゃいけないような気がする。
 その背に触れたいのに、……何故だか触れられない。


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update:08/12/04