……本当、嫌な奴
いじわるでもいいじゃない

 空には、ぽっかり月が浮かんでいる。
 雲ひとつない、晴れ渡った夜空。
 今日のわたしには、それがなんだかむしょうに腹立たしく思えてならない。
 わたしの心はこんなに荒れ狂っているのに、どうして空はそんなにすがすがしいまでに晴れ渡っているのよ。
 いつもより輝いて見える星の、なんて憎らしいことか。
 その思いのまま、伊織の部屋の扉を勢いよく乱暴に開けた。
「よっ! おひいさん、遅かったね」
「げっ、極楽鳥。どうしてあなたがいるのよ」
 すると、そこにいるはずの伊織ではなく極楽鳥がにこやかに微笑み、お出迎え。
 当たり前のように伊織のベッドに腰かけ、ひらひら手を振っている。
 ……くっ。殴ってやろうかしらっ。なんだかむしょうに腹が立つ。
 遅かったとは一体どういうことかしら? 
 わたし、あなたと約束をした覚えなど、まったくないのだけれど。
 そもそも、ここは伊織の部屋であって極楽鳥の部屋では決してないわ。本当、どうして極楽鳥がいるのよ?
「だって、俺もお呼ばれしたから、伊織んちの夕食に」
「誰も呼んでいない。お前が勝手におしかけてきただけだろ」
 迷惑そうにそう言いながら、奥の方から伊織がでてくる。
 伊織の部屋は手前がベッドや机、ソファなどを置いた生活空間になっていて、奥の方にクローゼット代わりの続き部屋がある。
 手には、何故か女性もののストールが持たれている。
 伊織の姿を見た瞬間、なんだか胸がほっとした。どんな違和感だってどうでもよくなってしまう。
「そんなー。ひっどーい。伊織と俺の仲なのに」
「どんな仲だ、どんな」
 あきれいっぱいに疲れたように言いながら、伊織はわたしへ歩み寄ってくる。
「え? 俺たち親友だろ?」
「脳みそ入れ替えて来い。完全に腐っている」
「いやーん。伊織が望をいじめるー」
 その途中で、なんともふざけたことをほざく極楽鳥を、たまりかねた伊織がげしっと蹴飛ばした。
「さて、馬鹿はほうっておいて。どうした? 緋芽、何があった?」
 わたしのもとまで歩いてくると、伊織は手に持ったストールをわたしの肩にそっとかけた。
 そういえば、伊織の部屋においていたわね、肌寒くなった時用のストール。
 わたしの部屋にいない時は、たいてい伊織の部屋にいることが多いから。
 そろそろ秋も本格化してきた頃だから、夜になるとさすがに寒くなるのよね。
 伊織は心配そうに顔をのぞきこみ、わたしの頬を両手でふわりと包み込む。
「……え?」
 眉根を寄せ伊織を見つめる。
 肩にかけられたストールに触れ、きゅっと握る。
「望を見て、緋芽がののしらないなんて、普通じゃない」
 伊織は頬を包む手をひとつだけはなし、そのままわたしのおでこを人差し指でつんとおしやる。
 思わず、伊織が触れたそこに手を触れ、じいっと伊織を見つめる。
 伊織はかわらず、優しげにわたしを見つめている。
 それ以上は無理に聞き出そうとはせず、わたしから話し出すことを待つように。
 まったく、この男って、……本当、嫌な奴。
「これだから、伊織は嫌なのよ」
 くしゃりと顔をくずし、微苦笑を浮かべる。
「それで、何があった?」
 伊織はそう言うと、そのままぐいっとわたしを抱き寄せた。
 伊織の胸の中に、ぽふんと頭が落ちていく。
 触れる胸からは、とくんとくんという伊織の心臓の音が聞こえてくる。
 その音に思わずすうっと意識が奪われそうになったけれど、ぐっとおしとどまる。
「な、何も。ただ、ちょっと……」
「ただ、ちょっと?」
 伊織はぐいっと顔を近づけてきて、じっとわたしを見つめる。
 思わず、その視線から顔をそらしそうになった。
 けれどやっぱり、意地でそれはおしとどまる。それでも、視線だけはどうにも合わせづらい。
 目を合わせちゃったら、すべてを見透かされそうだもの。
 目を合わせちゃったら、その中に吸い込まれそうだもの。
「そ、その……っ」
「あ、もしかして、桐生に告白されたとか?」
「極楽鳥!?」
 それまで、ベッドにすわりわたしたちの様子を見ていた極楽鳥が、ふいにけろりとそう言い放った。
 わたしは思わず、はじかれたようにぎょっと極楽鳥を見る。
「うっそー。ビンゴ!?」
 すると、極楽鳥は奇妙な雄叫びをあげた。
 そこ、言った本人がいちばん驚かない。
 驚きのあまり、ベッドからずるりとずり落ちない。
 というか、もしかしなくても、極楽鳥め、あてずっぽうで言ったの!?
 きーっ。悔しい、そんなことにひっかかるなんて!
 鹿野倉緋芽さまとあろう者が、一生の不覚よ!
「どうして、極楽鳥がそんなことを知っているのよ!」
 ぎろりとにらみつけてやると、極楽鳥ははっと何かに気づいたようにしどろもどろに答える。
 立ち上がろうとするけれど、なかなか力がはいらないらしく、何度もずるっずるっとこけそうになる。
「いや、だってほら、見ていたら――」
 けれど、そうこうしていたかと思うと、ふいにぴたりと言葉も動きもとめた。
 極楽鳥の顔から、さあと血の気が引いていく。
 極楽鳥は、ある一点だけを見て、ぶるぶる震えはじめた。
 その視線の先へとゆっくりたどっていくと……あら? 伊織?
 伊織にぎゅっと抱きしめられたここから見上げてもよくわからないけれど、極楽鳥のあの反応から、恐らく、とんでもない形相をしているのでしょうね、伊織。
 だって、伊織、得意だから。人を怖がらせるような悪魔な顔。
 普段は人畜無害と言わんばかりににこにこ笑って人を騙しているのよ。けれど、本性はこれだものね。
「……生意気だな」
 伊織は妙に低い声でぼそりとつぶやいた。
「本当にそうよ。このわたしにつきあって欲しいなんて、身の程をわきまえるべきよね」
 伊織の胸の中で憤ってみせると、極楽鳥はまたしてもすっとんきょうな声を上げた。
「って、おひいさん、気にするところはそこなの!?」
 そしてまた、こけっと床に倒れこむ。
 まったく、いつまでそうしているつもりよ?
 よほど床がお好きなようね。
 いえ、三流のお笑い芸人ね、それじゃ。こければいいというものでもないのよ。
「……で、お前も気づいていて何もしなかったのか? お前の後輩だろう」
 伊織はわたしを抱く腕にさらに力をこめ、ぎらりとした鋭い眼差しを極楽鳥へ向けた。
「いやんっ、そこで俺にふる!?」
 伊織の怒りをごまかすように、極楽鳥はおどけてみせる。
 けれど、もはやその滑稽な様は、伊織の目には入っていなかった。
「対処が必要だな」
 伊織は一人考え込むように、ぼそりとつぶやいた。
 すると、すかさず極楽鳥が神妙に言う。
「伊織、ほどほどにな?」
 けれどやっぱり、伊織はさらっと無視をする。
 わたしを抱く腕の力をゆっくり抜きはなし、そうして伊織の手がわたしの顔に近づいてきた。
 くしゃりと髪をなで、そのまま頬をふわりとつつみこむ。
 何だか訳がわからず、口をヘの字にして、じいっと伊織を見つめる。
 伊織はくすりと微苦笑し、包み込むようにわたしを見つめてきた。
「緋芽。緋芽は、俺だけを見ていればいいんだよ」
「伊織?」
 わたしは首をかしげずにはいられなかった。
 だって、伊織だけを見ていればいいってどういうこと?
 たしかに今は、わたしの視界には伊織しか入り込む余地はないけれど。だって、こんなに近くにいるのだし。
 それに、別にきょろきょろとあちらこちらを見ているわけではないわ。今見ているのは、見えるのは、伊織だけじゃない。今さらよ。
 すると、背後であきれたようにつぶやく極楽鳥の声がした。
「って、ちょっとそこ、俺がいること忘れていない?」
「散れ」
「うわっ」
 伊織はさっくり極楽鳥を切り捨てると、そのまままたわたしをきゅっと抱きしめた。
 極楽鳥はとうとうあきらめたのか、やれやれと肩をすくめつつ部屋からでていく。
 それにしても、今日の伊織、どこか変ねえ?
 いつもの伊織なら、もっとこう、わたしに無礼をはたらいてほくそ笑んでいるはずなのに。
 なんだか今日の伊織、どことなく不安そうに見える。
 ふうとため息をつき、抱きしめる伊織の背をぽんぽんとたたく。
 すると、伊織はばつが悪そうに微笑を浮かべ、ゆっくりわたしを解放していった。
 けれど、その後も体のどこかは必ず、伊織とぴたりと触れていた。まるで、何かに怯え、人の――わたしのぬくもりを求めるように。
 気づけば、桐生のことはぽんとどこかへはじけ飛んでいた。
 今わたしの気をひくものは、心をしめるものは、いつもとちょっと違う伊織だけ。


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update:09/01/01