いい度胸じゃない
いじわるでもいいじゃない

「な、なあ、誰か助けてやれよ」
「嫌だよ。だってあれ、生徒指導の権田原(ごんだわら)だぞ。目をつけられたら後が厄介だ」
 いつものように、モーセが海を割るが如く、わたしのためにあけられた道を通り、校舎の中へ入った時だった。
 昇降口に入ってすぐのところに、ちょっとした人垣ができていた。
 そして、すぐ目の前には、そう言い合って互いにつんつんと腰をつつきあう男子生徒が二人。
 まったく、邪魔よ。
 わたしの通行を妨げるなど、いい度胸じゃない。
 いつもなら、何かの電波でも拾っているように即座にわたしに気づき、さっと道をあけるのに。
 どうやら、今彼らが話しているそれって、わたしよりも重要なことみたいね。
 この無礼者たちが!
 わたしより重要なことが、この世にあってたまるものですか。
 むむーと眉間にしわを寄せ、わたしの邪魔をする男子生徒二人に華麗なる蹴りでもお見舞いしてやろうかと片足をあげかけると、伊織がさっと制した。
 もちろん、同時に伊織をにらみつけてやったわ。
 すると伊織ってば、くいっとあごをしゃくるようにして目配せをする。
 この人垣の中をのぞくようにと。
 足を戻し、渋々言われた通りにのぞいてみると……。
 あら、これはまた、面白いことをしているようね。
 教師の中でもとりわけたちが悪く、全生徒といっていいほどの数から嫌われている教師ね、あれは。
 その教師に男子生徒が一人、因縁をつけられているわ。
 まあ、あのいでたちじゃあ、一概に因縁とも言えないけれど。
 色を抜いて痛みまくった髪をだらしなく肩までのばし、制服のシャツの前ははだけ、スラックスは腰ばき。
 なんて見苦しいのでしょう。
 わたしの美的センスから、著しくずれているわ。
 やっぱり、高校生男子というものは、制服をぴしっと着こなして、さわやかな笑顔をふりまく清潔感あふれる少年でなければ。乙女は、そういう男子高校生にときめくものよ。
 そう、たとえば、今わたしの横にいるこの男みたいに……。
 って、違うわよ。この男は、好青年を装った鬼畜野郎なのよ。わたしは騙されないからね。
 それにしても、本当、この生徒たちの不甲斐なさといったらどうしようもないわね。
 触らぬ神に祟りなしと、ただ傍観しているだけだもの。
 スルーしてさっさと通り過ぎていく生徒も多いわ。
 野次馬をするか、すっぱり無視のどちらか。
 なんてお決まりで典型的な場面なのかしら。
 これを愉快といわずして、何といいましょう。
 もちろん、わたしは後者。華麗にスルーよ。
 得にもならないことにはまったく興味ないわ。
 でも……ちょっと待って。からまれているあの男子生徒、見覚えがあるわ。
 あれはたしか、子兎ちゃんの思い人? 裕太とかいったかしら?
 砂糖女に群がるくらいだからお馬鹿だとは思っていたけれど、まさかこれほどだったとはねー。
 子兎ちゃん、やっぱり考え直した方がいいわよ。
 まあ、わたしには関係ないことだからどうでもいいけれど。誰がどうなろうとね。
 それにしても、あの生徒指導、本当いけ好かないわね。
 あれって、見せしめよね、間違いなく。
 あんなつまらないことで、あそこまでよくねちねちねちねち言えるものよねえ。
 わたし、ああいう嫌みたらしいオヤジって大嫌いなのよね。
「ちょっと、どいてくださらない。通行の邪魔なのよね。馬鹿馬鹿しいことで廊下をふさがないでちょうだい」
 目の前にいた男子生徒二人をおしのけ、取り囲むように円ができたその中へ身を滑り込ませる。
 そして、腰に手を当て、くいっと顔をあげて蔑むように嫌味教師とお馬鹿な蟻さんを見る。
 ばっと振り返り、真っ赤になり鬼の形相で、嫌味教師はわたしをにらみつけてきた。
 すると、後を追ってきた伊織がちょうどわたしのもとまでやって来た。
 さすがは番犬、わたしに失礼な視線をなげつける嫌味教師にするどい視線を向ける。
 すると、嫌味教師は悔しそうに、けれどあっさり引き下がっていく。
 じりっと足をひきずるように一歩後退し、いまいましげに伊織をにらみつける。
 けれど、その及び腰ではまったく様になっていない。むしろ、滑稽ね。
 それと同時に、お馬鹿な蟻さんは、生徒指導の教師から解放され、負け犬よろしくそそくさと逃げ去っていった。
 傍観していた生徒たちは、ほっと安堵すると同時に、どこか腑に落ちないといった様子でばらばら散っていく。
 まあ、たしかにねえ、生徒指導の鬼教師と言われる教師が、まさか一生徒――生徒会長のひとにらみだけで引き下がるなんて、こんなにお粗末なことってないわよね。
 もっとお粗末なのは、しっぽをまいて逃げ去ったあのお馬鹿な蟻さん。
 まったく、男の風下にすらおけないほど情けない男よね。
 どう見ても助けられたかたちになっているのに、それに対して何も言わないって、人としてどうなのかしら?
 そう思うのはわたしだけではないようで、一部の生徒は怪訝な顔で蟻さんの去り様をちらちら見ている。
 嫌味教師も去って、もうすっかりいつもの朝の装いを取り戻した昇降口を確認すると、伊織がぽんとわたしの背を押した。
 伊織を見上げ視線を合わせると、互いにこくりとうなずき合う。
 そして、靴を履き替えるため、すぐそこにあるわたしのロッカーを開けた時だった。
「いい度胸をしているじゃない」
 わたしは、そうつぶやいていた。
 それに気づきのぞきこんでくる伊織の横で、わたしはにやりと笑みを浮かべる。
 だって、こんな愉快なことをしてくれるなんて、誰が想像できるかしら? 本当に浅はかだわ。
 どうせするなら、わたしのように、さりげなく、けれど威力は絶大に行うべきよね。
 靴を隠すなんて、これじゃあ、小学生以下の嫌がらせよ。
 なんてお粗末なのかしら、この犯人の嫌がらせって。
 この程度じゃあ、何の脅しにもならないわよ。
 むしろ、へそで茶をわかしちゃうわ。
 くすくすくすと笑い出したわたしから、伊織は何も言わずすっとはなれていく。
 それから、いくらもたたないうちに、伊織がまたよって来る。
「ほら、緋芽、あったよ、靴」
 靴をかかげ、そう言いながら。
 あら、たしかにあれは、わたしの上履きねえ。
「まあ、ご苦労、伊織」
「はいはい、さあ、足を出して」
 困ったように肩をすくめると、伊織はわたしの足元にひざまずいた。
「仕方がないわね」
 わたしが許可を出すと、伊織はわたしの右足を持ち上げ、ローファーを脱がし上履きをはかせた。
 バランスをくずさないようにと手をおいた伊織の肩が、小刻みに震えている。
 この震えは見ただけではわからないわ、実際に触れてみないと。
 それくらい、小さく小さく震えている。
 伊織は、顔を上げようとしない。
 こんな伊織、久しぶり。
 だけど、どうしてそんなに怒っているのかしら?
 こんなことくらい、別にたいしたことないのに。
「あ、鹿野倉さん、おはよ――って、ええー!?」
 くいっと首をかしげていると、ふいにそう声がかかった。
 振り向くとそこには、顔を真っ赤にしておろおろ見つめる子兎ちゃんがいた。
「なーに、やぶからぼうに」
「だ、だって、そ、それー!」
 おたおたしながら子兎ちゃんは、両方とも靴を履き替えさせたばかりの伊織を指差す。
 そういえば、これはあれねえ。まるで、女王様と仕える下男。
 気づかなかったけれど、まあ、なんて素敵な構図なのかしら。
「え? ああ、これ? これは……」
 そこまで言いかけてあえて言葉を切り、子兎ちゃんににっこり微笑んであげる。
 すると子兎ちゃんは、何を思ったのか、ますます顔を真っ赤にしてうろたえる。
 なんて愉快な反応なのかしら。
 うふふ。これじゃあ、くせになりそうよ。
 伊織は立ち上がると、さっとわたしに寄り添った。
「でもまあ、なかなか楽しいことをしてくれるじゃない。――ところで、問題はこっちね」
 すぐ触れるところに伊織を感じ、子兎ちゃんを見る。
 やっぱりすぐ横で、小さくうなずく伊織の気配を感じた。
 そうね、伊織も同じことに気づき、そして同じことを考えているのね。
 そうでなければね。伊織は、何も言わずともわたしの意を汲まなければいけないのよ。
 それができなければ、下僕はクビよ、伊織。
「子兎ちゃん、あなた、他生徒に顔がきくお友達はいて?」
「え? そういう友達は特には……」
 子兎ちゃんとしては、脈絡ないことだったのかしら?
 わたしの問いかけに、おたおたしながら答えた。
 そして、ぴんと何かに気づいたようにぱっと顔をはなやがせ、わたしを見つめる。
「あ、でも、いた。鹿野倉さん!」
 子兎ちゃんはくったくなくにっこり笑う。
 そんな純粋無垢な目で見つめられると、戸惑うじゃない。
 わたし、そういう目で見られるの、なれていないのよね。
 その穢れなく輝かせる目、わたしにはまぶしすぎるわ。
 思わず目を見開き、子兎ちゃんをまじまじ見つめてしまったじゃない。
 あまりにもきらきらした目を向けるから、くらくらきちゃうじゃない。
 たまらず、ばっと顔をそらしちゃったじゃない。
 何より、その言い分では、まるでわたしが子兎ちゃんのお友達みたいじゃない。
 図に乗るにもほどがあるわよ。誰がお友達を許可したかしら? まったく……。
 そういう恥ずかしいことを、さらっと言うものではなくってよ。
 なんだか、頬がほてってきたじゃない。
「それじゃあ、しばらくはわたしのそばにいなさい」
 ぶっきらぼうに言い捨てると、横で伊織が小さく笑いをこらえるように動く気配がした。
 ちらっと見ると、伊織は困ったように微笑み、わたしを見ている。
 その目が、なんだかとても優しいように見えるのは、わたしの気のせいかしら?
 まったくもう、顔が熱いじゃない。
 嫌な汗まででてきそうよ。
 伊織はくすりと笑うと、手の甲でそっとわたしの頬に触れた。
 ひんやりとして、気持ちいい。


* BACK * NEXT *
* TOP * HOME *
update:09/01/05